10/01/11 18:04

花粉情報収集機ポールンロボ5号設置!

WNIの花粉情報提供に参加しています。

自分自身はあまり春は厳しくつらいわけではないのですが、
家族に弱いのがいるのと、やはり興味あるじゃないですか。
自宅で花粉の飛散状況を調べてインターネットで全国へって。

で応募したら送られきたのがこの「ポールンロボ」

写真は昨年の4号のようですが、今年の5号も形に大きな変化はありません。
違いは。。。目の光りがより見やすくなった。。。らしいです。

ポールンロボは花粉の状況によって目の色がかわります。
うちは2階のベランダに設置してみました。


これで洗濯も花粉が気にならない!

しかし、目の色は花粉が多くなると白から赤、そして紫へとかわっていくそうな。
なんか怖いな。。。

と思ったら、夜ふと見に行くと。。。

闇夜に光る目。
こりゃこわいぞ。。。

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08/10/02 05:45

2001年インターネットの旅

Googleが2001年当時のアーカイブで検索できるサービスを、生誕10周年を記念して行っています。 2001年と言えば、まさに今連載している「東京めたりっく通信」が経営危機になった年。

 ということで検索してみました。

 検索結果の View old version on the Internet Archiveをクリックすれば当時のページが表示されます。

 ところで検索結果の3番目に表示されている「東京めたりっく通信非公式ユーザー掲示板」ですが、実はこのページを管理していたことがありました。
 東京めたりっく通信のドメイン管理は黒河内君がやっていたのですが、metallic.gr.jpをユーザーグループで使えないかなという話がでて、当時東條さんに相談して、ユーザー会みたく使えばという話になりました 。で、当時NOCが置かれていた大手町のサーバにスペースを作ってもらって、そこに掲示板cgiを置き、ユーザー掲示板としたわけです。

 そういう意味では「非公式」ではなかったかもしれませんが、当然会社にはサポートグループがいたわけなんで、非公式だったんですね。

なにしろ当時東京めたりっく通信の技術力もサポート力も(もちろん資金も)、そしてなによりADSL、ブロードバンドすべてがユーザーにとっては初めてのことで、この非公式掲示板は繁盛しました。 その頃アフェリエイトがはじまりつつありましたが、もし採用していたらひと財産かせげたかもしれません。 しかし、基本方針はユーザーによるユーザーのための掲示板でしたので、運営はボランティアでした。 同じように他社サービスの非公式板も、ほかの方が立ち上げていましたね。
当時は東めたの方も、NTTの方も匿名で入り込んで、お祭り騒ぎだったのを思い出します。

Googleのキャッシュのほうは6月頃のが残っているようで、内容までは読めませんでしたが、表題からもユーザーの混乱ぶりがそろそろ落ち着いてきたかなという感じでした。 いわゆる「あとの祭り」ではなく「祭りのあと」を見ることができます。

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08/10/01 06:04

グーグルマップの詳細航空写真が伊那も対応してる

皆さんも一度は見たことあると思われる「グーグルマップ」
最近はローケーションビューという、車による連続撮影写真までリンクされていて、
ますます怪しく、もとい便利になってきました

が、伊那はこのロケーションビューどころか、航空写真すら対応していませんでした。

 ところがついにそれも過去形で語られる日がきましたよ。 。。。。

でもね、天竜川から西半分しか対応してません。
 どうやら、中央道沿線を中心にしているという感じです。

ちなみに撮影時期ですが、2005年に開院した伊那中央病院が稼働の様子が映っていますが、2007年秋に新築した我が家は跡形もありませんでした。

 田んぼの様子から冬のようですから、2006年の冬あたりじゃないかと思われます。

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08/09/05 01:00

東京めたりっく通信物語ができるまで

J-Castによる特集「東京めたりっく通信物語」の前に、自費出版によるものがあって、そっちのほうが過激で難解というような話を前回書いた。

この「死海文書」こと、自費出版版「東京めたりっく通信物語」が、東條さんの手によって書き上げられつつあるころ、有志によって当時の資料をあつめようサーバを立ち上げた。

そこに集まった資料をみて、つくづく「あやしい会社だったんだなあ」と思った次第である。

その死海文書のほうに、関係者の一人であった三田さんが書評を4月に書いていた。 www.swimy.org/cgi-bin/reviewComment.cgi

とても素晴らしい文書だと思うし、ネットの常できえちゃうともったいないと思ったので、無断ではあるが以下に転載させていただく。
書籍名 『東京めたりっく通信物語』 [amazon.co.jp で検索]
出版社名 「東京めたりっく通信物語」出版賛同人会(非売品)
著者名 東條 巌
[001] 2008/04/21 17:26:44 三田 守久
言わずと知れた、あの「東條 巌」氏の著書である。

私家版、非売品であるから、ここで書評を述べるのはどうかとも思うが、いずれべつのかたちで出版されるであろうから、それに先駆けての書評ということでご容赦いただきたいと思う。

東京めたりっく通信株式会社(TMC、ところによっては「東めた」と略記されるときもある)については、すでに多くのひとびとの知るところではあるけれども、それがじつはその起業よりずっと以前からあった構想の延長線上にあることを知るひとは少ないのではないかと思う。

日本のインターネット「劇」の幕開けは、1993年に商用サービスを開始したインターネット・イニシアティブ株式会社(IIJ)ということになろうが、そ れからわずか2年後の1995年には東京インターネット株式会社(Tnet)がサービスを開始(発足は1994年末)している。

TMC の起業の伏線は、このTnetにある、と東條氏も説明している。なぜならこの会社の発足は、UBA (UNIX Business Association、現NextQ)主導で始まったものであって、当時、そのUBAの会長を務めていたのが東條氏で あったからである。

Tnet発足についても、UBAの準備会合(というか「朝まで討論会」という正体不明の理事会)の話も関係者に聞く と、これもなかなか面白い。じつはそのための伏線もあって、この準備会合に先立って、現在の株式会社JCC社長の石井氏、株式会社ディアイティ社長の下村 し、現、株式会社アールワークスの社長の木下氏、それにわたしとわたしの部下2名ほどで、池袋の中華料理屋で会合を持ち、IIJの料金の高さを嘆き、ある いは憤慨し、もっと安い接続料金の会社を作れないかの打ち合わせをし、引き続き若干の検討に日数を費やしたが、結局、資金をどう集めるかの答えがないま ま、うやむやになってしまった。その後、半年ぐらい経過したころに、木下氏から「じつはUBAの理事会で、例の安いインターネット接続料金の会社の必要性 の話を出したらたいへんうけまして、具体化できるならやってみよう、ということになりました」との報告をいただいた。これがUBAの準備会合なのだった。

Tnetの話もそれなりには面白いが、まあ、この本の主役は「東京めたりっく通信株式会社」だ。Tnetは、結局、1998年にPSIに経営権を譲渡した。

恐らく、TnetのPSIへの経営権の譲渡は、東條氏にとっては相当の消化不良であったに違いない。そのことがTMC起業の遠因にもなったのであろう。

Tnet 経営と並行して、伊奈におけるADSLの実験にも手を拡げていた東條氏としては、「普通のメタル線」でインターネットのサービスを実現できる、しかも NTTはそれをある意味「ひた隠し」にしている、とあっては東條氏の気持ちが燃えないわけはなかったであろう。必然であったやもしれぬ。

結局、TMCを立ち上げる。

この本は、つまりこのTMCの物語である。内容的にはたしかに面白いが、しかしそれはいまだから言えることで、ましてや著者の東條氏にあっては、その当事者中の当事者であることを考えると、「いまだからこそ」こうして痛快な読み物として提供できる、ということであろう。

目次の章立てのうち一部を抜き出しただけでも、読者諸氏には想像できようというものである。

第二章 東京めたりっくの発足と相互接続交渉

第三節 東京めたりっく通信の発足
第四節 KDDの支援を得る

第六節 接続交渉で大きく前進

第三章 商用試験サービスの前哨戦の日々
第四章 ブロードバンド通信の最前線に躍り出る

第二節 第三社割当で50億円の資金調達
第三節 半年で50万ADSL回線を構築
第四節 ブロードバンドISPとして自立


ここまでが上り坂。そして頂点ということであろうか。

第五章 立ち塞がる障壁
第六章 非常時体制で臨む最後の決戦
第七章 最後の一戦に向けて
第八章 あっけない幕切れ

とどめは、朝日新聞記者原淳一郎氏の「経営危機か」の記事だったという。とはいえそれが原因ではなかった、と当の東條氏自身も書いておられる。

発足のおりに、稲盛氏には「やめておきなさい。所詮、お上には勝てませんよ」風の忠告を受けたという。

そんなことわかっていて挑んだ勝負なのだからこれもしかたあるまい。むしろ稲盛氏のほうが自らが辿ったベンチャーの精神を忘れていたのであろう。

わたしは東條氏のことを「反権力」、「反権威」、「反体制」の権化のように表現しているのだけれども、この本を読んで、それは失礼かもしれない、と思うようになった。なぜならそれらの「反・・」は、「・・」が存在しなければ意味がないものだから。
また東條氏のこの「東京めたりっく株式会社」についても、あまり論評してこなかった。多くのひとびとが「東條さん、よくやりましたねえ、成功ですよ」のよ うな声かけをしているのを耳にしても、そういうのはおべんちゃらじゃないか、と思ったりもした。なぜなら、(少なくともわたしは)東條氏本人から「成功で した」という発言を聞いたことがなかったからである。「成功」にしろ「失敗」にしろ、当事者の意識がどこにあるかによって、どちらにも転がり得る。肝心の 東條氏本人がなにも言わないのに周囲が言うべきことではない、とも考えていた。

今回、この本を読ませてもらって、やや考えが変わった。つまりは、東條氏の活動を成功とか失敗とかの次元で捉えないほうがいいのではないかと思うようになった。

結局、「・・・ADSLで世の中はひっくり返るやもしれないと、密かな期待を抱いていたのである。」(23ページ)が東條氏の真骨頂なのではあるまいか。 「ひっくり返」ってどうなるか。そこに勝機を見出せるか、それはわからない。しかし「勝機」となり得る状況を作り出さねば、勝負はできない、自分がその勝 機に乗じることができるかもどうかわからない、それは自らの才覚の発揮の場でもある、それには自信はある。ともかくも「場」を作り出さねばならない。そう した状況へのチャレンジこそが、東條氏のやむにやまれぬ、あるいは押さえがたい性癖ともいえる、持って生まれた感性なのではなかろうか。

そう考えると、東條氏にとって、東京メタリックは、成功でも失敗でもない、チャレンジの一例に過ぎない。多分、押さえ難いその欲求は、またまた新たな「混沌」を齎すべく活動をはじめるに違いない。

しかしそう期待され続けるというのも辛いことかもしれないなあ。

本書がどう装いを変えることになるかは不明だが、早く店頭にんでほしいものだ。

(追記)一回目の読破は、いわば「校正」作業のようなものだった。1ページに数個は校正の対象があった。二回目にようやく内容に入り込むことができた。書 店に並べるときには、相当に変更を加えさせられるかもしれないなあ。しかし読みものは「勢いだ」とつくづく感じさせてもらった。










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08/09/04 20:30

東京めたりっく通信物語 By J-Cast

以前ご紹介した、元東京めたりっく通信社長の東條さんが、某通信会社との守秘義務がきれたので一念発起したのになかなか筆が進まず、やっと数年かけて書き上がった「東京めたりっく通信物語」
しかし、かなしいかな既に

「なにそれ新興宗教?」
「ADSLなんて遅くね」

などと言われる時代になり、なんとか自費出版で出された本ですが、
J−Castさんに特集されているのを、さっき知りました。。。。。さっきですかい!

【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語



既に今日(4日)までに第4話が掲載されています。
さすが東條さんの「べらんめえ」口調といいますか、東大共闘時代をくぐり抜けてきた文体には、正直抵抗感がありますが、元本(死海文書とも言う)はもっとすごいです。

死海文書・・・・じゃない「実話!東京めたりっく通信物語」

当時の関係者に話しを聞いてみると
「ありゃあ危なくてそのまま出せないでしょ 万寿うまい」
と言っていましたので、さすがのJ−Castさんも、そのまま載せるのはまずいと考えたのでしょうね。
ちなみに死海文書の目次は
第一章 伊那市におけるADSL公開実験        3
第二章 東京めたりっく通信の設立と相互接続交渉   36
第三章 商用試験サービスへの前哨戦         67
第四章 ブロードバンド通信の最前線に踊り出る    79
第五章 立ちふさがる障害              97
第六章 非常時体制で臨む決戦           113
第七章 最後の一戦にむけて            123
第八章 あっけない幕切れ             133
となっており、Jcast版はまだ1章の前半という有様。。。。
いったい、第何話まで続くんでしょうね。。。。

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