11/02/26 22:30
走り始め
今夜は栂池雪の祭典。
わが家の庭からも花火がよく見えます。
二十歳の頃、社会人になって何かスポーツを、と思いましたが、この頃は早起き野球の全盛期。
昔から球技とチームプレイは苦手でした。野球にも興味がなかったし、スキーも人より上手というわけではありません。
じゃあ走ってみようかなと思い、小谷駅伝クラブの親方に訊いてみました。
この方は小谷では数少ないサブ3達成者であり、ご近所なので幼い頃からかわいがっていただきました。現在は小谷村議会議員のT氏です。
「おう、われやってくれるか?ほしゃさ、夜7時から市場(地名)でみんな練習してるで来てくれや。」
とりあえず歓迎された様子。
行ってみると…・県道をひたすら走る、という訓練が主だったと思います。
今では誰もが実践するストレッチ、LSD、ビルドアップ、ペース走、インターバル等々のトレーニングはなかった、と思うのですが何も知らなかった私が記憶に残ってないだけかも知れません。
もちろん給水もなく(水を飲めば疲れるという考え方があった)、練習が終わって水を飲もうとすると、「ばか、水なんか飲むな!我慢しろ!ビール飲め、ビールならいいよ!」
無茶苦茶でしたが、酒の飲めない私もこのときばかりは喉を鳴らしてビールを飲みました。
練習でもすぐにへたばる私をみてT氏には「わりゃ本当に根性ねえなあ」と、たしなめられました。
でもとても面倒見のいい方で、のろまな私についてよく走ってくれました。
ランニングウォッチなどない時代です。
熱心な仲間が走るとき横をクルマで走り、「今何km(時速)だ!」 「20km!あ、落ちた、18km!」
というような個人練習もしました。もちろん20km/hで走るのは私ではなく、私はクルマの中です。
大北縦断駅伝は2度走らせてもらったと思います。足が遅く、ろくに練習もしない私が出させてもらえるほど選手層の薄い時期でした。
後でわかったのですが、同じ日池田町代表で中山竹通氏も出場していました。
3年前、このときと同じ区間を小谷Bチームで出る機会に恵まれました。すなわち、30年前の自分と勝負ということですが、30年前とまったく同じタイムだったのには驚きました。
しかも、当時は必死でただ必死で走っていたのに対し、3年前はペース配分を考え、走り方もある程度リズムにのった楽な走り方になっていたと思います。
いかに当時練習嫌いで、勝負にこだわらないグータラランナーであったことかと思います。今もあまり変わりありませんが・・・・
それから次第に運動から遠ざかり、脂肪を貯めること30年近く、放課後の中学のグラウンドからスタートした熟年ランナーの初レースはスノーハープでした。
アップダウン激しいスノーハープの4kmを20分で走れたことで気をよくし、その秋には友人に誘われるまま無謀にも大町アルプスマラソンハーフに出場。
画像は運動公園エリア内、ゴール目前です。
初めてのハーフ、ペース配分もまったく知らないまま、見事に17km地点で轟沈!!!
なんとか完走にはなったもののタイムは2時間11分と悲惨なものでした。
そうしてこうして私の第2のランニングライフが始まり、年に応じて仕事も忙しくなり、練習がおろそかになってはいますが、まだまだ夢は捨てていません!
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