11/03/26 23:14

小谷村 50周年

小谷村CATV2 地デジ 122

こんなチャンネルいつのまにできたんだろ?

通常の自主放送は地デジ121。

 

流れているのは、平成20年の小谷村50周年記念DVD。

せっかくだから少し引用してみよう。

 

昭和46年、小土山地辷りにより姫川がせき止められた。

この頃私は高校生。部活中に「小谷はすぐ帰れ!電車が動かなくなるぞ!」と言われ、帰った記憶がある。

画像は南小谷駅のすぐ前。

この橋は柳瀬橋。現在は駅前に斜めに架けられている。

人数の多さと、重機のない災害現場が時代を物語る。

 

30周年に行われたのど自慢大会。

このときの審査員は、各方面の音楽有識者があつまっていたが、「おたまじゃくし吹奏楽団」として私もその席にいた。

その真相はおたまじゃくし吹奏楽団の団長が、年長であり創立メンバーだった私に席を譲ったというところか。

また、山の音楽家のN先生も当時の南小谷小学校音楽教師として審査をされていた。

さすが小谷村選りすぐりののど自慢の人たち。みなさんホントに上手!

30周年記念雨飾山村民登山。

このとき母は、髄膜腫手術での半身不随から必死のリハビリで治した体で登頂を果たし、周囲の人を驚かせた。

 

平成7年豪雨災害。

小谷村壊滅とまでいわれたこの災害から完全復興までに5年間。

東北は何年かかることだろうか。

画像は北小谷。下は復旧後。

その後、画像左側の方に道の駅小谷が建設された。。

 

 

平成8年、蒲原沢土石流災害。

消防団として現場へ行き、その惨状に目を疑ったものである。

土木作業員14名が犠牲となった。

小谷村は地辷り地帯であることから土木作業員が多い。重機を扱う技術は自衛隊よりもはるかに優れていたのが印象に残っている。

工事発注者が国であったため、亀井建設大臣はじめ多くの官僚、東京消防庁、自衛隊、消防団などが24時間態勢で救出、捜索にあたった。

12月の災害であったが、消防団、警察による遺体の捜索は春まで続けられた。

ことに災害直後は再度鉄砲水が発生する可能性があったため、二次災害を防ぐための連絡網、合図、点呼などは徹底していた。

姫川の中を何度となく探したが、ケータイもあまり普及してない時代、無線機では距離が限られ、通信には非常に苦労した。

 

最近は日本各地で100年に一度というような災害が多い気がする。

そして今度の東北。

平穏にあってほしいと願うのは誰しも同じこと。

私もノミの心臓で祈るだけである。

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