12/06/21 23:39

庄屋宅

小谷村大網地区。

かつて武田、上杉の争いにおいて、この信越国境は常に両勢力に翻弄されていたことと思われる。

今も残る名家、という表現がいいのかわからないが、大網の武田家、そして姫川を挟んで対岸の集落、糸魚川市大所(おおところ)の山岸家。

戦国時代が終わり徳川の世になってからは、この両家が信濃、越後の南北の守りをしていたのではないかと想像する。

 

大網の武田本家。仕事で伺った。

今はおばあちゃんが一人で暮らしている。

 

高い壁、天井の梁、名家にふさわしい作りになっている。

とはいっても大網は一度大火に見舞われているが。

 

長い槍が3本。初めて見た。もちろん届出許可あり。

ただし穂先ははずしてあるそうである。

大きな家である。

 

武田姓でありながら不明な点がひとつ。

武田、ということは甲斐武田氏の姓に違いあるまい。また大網には仁科姓もあり、これは信玄の五男仁科五郎盛信の姓を受けたものと聞いた。

この人たちが武田一族の血縁かは知らない。

 

小谷にはかつて小谷五人衆、あるいは七人衆という庄屋があり名字帯刀を許されていたという。

五人衆とは山田、田原、太田、横澤、山岸、そして太田、細野が加わって七人衆である、と聞いた。

いま小谷で暮らしている嫡流は山田、太田が残るだけであろうか。

 

そのなかに武田家がなぜ入ってないのか。

ささやかな疑問にいくつか想定することはあるが、同和問題もありふだんは自分もあまり話題にしない。

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