12/11/08 23:55
小谷にラッパが響いた日
この古い写真。まちがいない。
小谷の吹奏楽はここからスタートしたのである。
小谷の共働学舎に新田目さんという方がいた。(↑指揮をしている人)
彼は自由学園で山本直純氏と机を並べ、山本氏に音楽を教わったのだと言っていた。
そして小谷で楽団ができないかな、と考えていたようである。
そんな彼の目を引いたのが消防喇叭隊であった。
音楽など縁がないように思えたこの壮年の皆さんが、指を使わない楽器をこれだけ吹きこなしている。これは使えるぞ!
きっとそう思ったに違いない。
そして彼が声をかけて水嶋、山田、千国、松田、矢口、中村、宮沢などの人物が参集した。
彼がまず目指したことは、楽器を揃えること、ステージを作ること、ではなかったかと思う。
楽器などといってもせいぜいギターくらいしか触ったことのない面々、管楽器など名前を言っても見当もつかない。
彼の口添えで楽器店を紹介してもらい、みんなが自分の楽器を持つようになった。
時代は昭和50年代初期のこと、経済は上りであり参集者が壮年層であったことから比較的容易に楽器はそろった。
初めて見る楽器を前にして、それぞれの想いは…
「おれはトランペットだで、じき吹けるわ」
「このトロンボーンってが、指で押さえるとこがねえぞ」
「やっぱりサックスはいい音するわ」
「このカタツムリみたいなのはホルンってがか、こりゃどこ持って吹くだ?」
漫才のような会話が飛び交っていた。
どこの学校だろう?
自分もホルンを持って写っていながら、まったく記憶がない。
楽器の手ほどきはすべて新田目さんがやってくれた。
驚くべきことに、彼はすべての楽器で(一応)演奏できた。
わからなければ指導ができない、と言いながら。
デビュー曲はなんだっただろう?海兵隊かな。
瀬戸の花嫁、花の回りで、君が代行進曲、みかんの花咲く丘、などが記憶に残っている。
そして初ステージ!保育園の運動会!
元々この運動会を初ステージに決めていたのだった。
そして保育園の保護者を主に団を組んでいたんだった。
このとき、私は何かの都合で欠席した記憶がある。
みんな若い!うそーっ!?というほど若い。今から34〜5年前のこと。
そうして新田目さんが、「いつかカエルになるおたまじゃくしだよ」といって名前をつけてくれた「おたまじゃくし吹奏楽団」はその年の文化祭に参加し、数曲を演奏した。テナーサックスでソロをとった知床旅情が印象に残っている。
これらの写真は新田目さんが小谷の共働学舎の主宰である宮嶋さんに送り、松澤に届けてくれるようにと託していただいたものである。
新田目先生、何十年もお会いしてませんがご健勝のことと思います。
ありがとうございました。
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