18/10/15 19:47
白馬高校強歩大会
白馬高校強歩大会。
晴天とはいかず、目標地点の黒菱は厚い雲の中。しかし危ぶまれた雨の様子はなく10/12開催。
コースは学校から八方地区を経由して黒菱までの林道を往復。標高差800m、往復22km、天気がよければ林道からも絶好の景色を楽しみながら交通の危険も少ない中を北アルプス中腹まで山岳感覚を楽しめる、他に例を見ない最高の強歩コースである。
朝のざわめき。
楽しみにしている生徒も、嫌で仕方のない生徒も、レース間隔で臨む生徒もいる。
自分も一般枠で参加させてもらう。
ゼッケンをつけている自分を見てひとりの生徒が「え?先生も出るんですか?」
おれ、先生じゃないんだけど。。。
選手宣誓。
これはかなり不真面目。ウケ狙いなんだろうけど漫才も完成度が低いと不真面目にしかうつらない。
準備体操も終わって校長先生の号砲一発でスタート!
おお!けっこうマジで走り出すじゃないか!
間もなく八方地区。
みんな順調に走っていく。
和田野に入ったところ。
自分も余裕がなくなり、撮影はここまで。
参考画像1 5km付近。咲花ゲレンデ中腹から和田野の道路、白馬盆地がよく見える。
参考画像2 黒菱近くから北尾根。今まで走って上ってきた林道がよく見える。
参考画像3 黒菱直下の尾根からは南又から白馬連峰のダイナミックな展望。
さて、北尾根よりもやや上部で速い生徒が折り返して来るのとすれ違う。ナイスラン!
自分の往路タイムは1:35くらい。
下りでハンガーノックにならないよう、エネルギー補給ジェルを口にして水をいただき、下りスタート。
とっても快調!気持ちよく下れる。しかし!
親指の爪をやられている。ちょっとヒモの締め付けが緩かったか。まあいいか、とかまわず走り続ける。
下の平地になってからが苦しいが我慢してゴール!
復路タイムは46分。合計2:21程度。
62歳のタイムなら上出来!というか、自分の黒菱ランでは自己記録じゃないのか?
豚汁を準備して生徒をねぎらってくれるのはPTAの役員さん。
ありがとうございます。
2人が入ってきた。もう少しだ!がんばれ!
一般参加者は自分含め5人。おつかれさまでした。
表彰式。
強歩大会だからタイムが目的ではないんだろうけど、やっぱり速い生徒が表彰される。
1位は男子が1:40。女子が2:00ジャスト。
よく頑張りました。
観光白馬を代表するかのようなコース。
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18/10/10 23:16
南アルプス地蔵岳(オベリスク)
今年初めての山行きは南アルプス地蔵岳。
地蔵岳、観音岳、薬師岳を鳳凰三山と呼ぶが、今回はそのうちの地蔵岳、あこがれのオベリスクを目指した。
天気がよければこんな秀麗な山容を見ることができるはずだった。
地蔵岳オベリスク(画像は他のデータからお借りしました)
日帰り予定であまり時間もないので青木鉱泉からドンドコ沢往復ルートをチョイス。
その辺が間違いの始まりか、道と天気が悪いのも運命か。
序盤の急登。林の中を九十九折に道が続いている。この斜面もかなりの急こう配。
はあはあ言いながら登る。
1時間余りで南精進ヶ滝。
南精進ヶ滝、すごい!大きい!勇壮!
滝つぼ。
それにしても超悪路!
何も見えない林の中の悪路。急登。修行のための道に違いない。
鳳凰の滝
白糸の滝
だんだん霧が濃くなってよく見えない。
滝を見るために寄り道をするのがばかばかしくなってきた。
それでなくてもこのルート、とても道がわかりにくい。ましてや方向音痴の自分、何度も道を間違えて戻ってきた。間違えるような踏み跡がけっこうある。
こんな看板。いったい俺にどこへ行けっちゅうんじゃ!
そんなわけで霧も濃く、時間もないので最後の五色滝はスルー。
五色滝(画像は他のデータからお借りしました)
やがて急登が終わり、庭園のような道が続く。
そしてまたしばらく登ると
ヒョイと着く鳳凰小屋。
12時ジャスト。ここまで4時間。コースタイムは6時間である。
けっこう人が大勢いた。
今の道があまりひどかったので訊いてみた。
下りはいいルートありますか?
青木鉱泉でしょ?じゃあこの道下るしかしょうがねえなぁ。
・・・ゲンナリ・・・
気を取り直して頂上に向かう。
鳳凰小屋から1時間近くもかかる。意外と遠い。
見えてきた!オベリスク!
しかし。。。
ストックがズボッと刺さるザレ場。しかも相当な急登。一歩進んで半歩ずり落ちる感じ。
これはキツい。5歩登ってハアハアの繰り返し。
ようやく見えてきた、ここが賽の河原。
お地蔵様の群れ。
見え隠れしている地蔵岳頂上。その形はまさにオベリスク!
晴れていれば南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳、甲府盆地、そして富士山が見渡せたに違いない。
それが見たいために苦労して登る山。しかし登頂の満足感は十分にあった。行程がきつかったから。
ここでお弁当♪、小休止。
ここで標高2,704m。地蔵岳は2,764m。
これ以上登るのはロッククライミングの世界。自分はここで十分。
さあ下ろう。13:08発。
間違えないように。方向音痴の自分。
登りと違って下りでルートを間違えると遭難に直結する。
しかし、登りでも何度もルートを間違ったように下りも実に不安だった。
慎重に確認しながら下る。
おそらく紅葉も最盛期なのだが、針葉樹ばかりでよくわからない。
なにも見えない悪路、苦行の登山道。
それを思えば後立山連峰はなんと素晴らしい登山道なのか!
特に八方尾根、栂池、五竜。これらの登山道は麓から山頂までずっと世界に誇れる景色の中を登って行けるのである。
青木鉱泉到着。
15:51着。3時間弱。コースタイムは5時間。
登ったり下ったりで8時間。痩せるかな。その前に筋肉痛が怖い。
とにかく無事に帰ってこられてよかった。
もうこのコースをたどることはあるまい。今度来るとすれば夜叉人峠からか。
せっかくだからここで入浴。
入浴料金は1000円。風呂はいいが、設備は悪い。
自分は体力を使い果たし満足ではあるが、悔しいのは穂高方面は好天であったということ。
うーん、行先の選択を誤ったか。
とりあえずあこがれのオベリスク、行ってきた充足感に満たされている。
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18/09/13 21:47
秋の味覚
今年の天気はまさに異常であった。
寒い5月、6月は空梅雨と思ったら6月中に関東には異例の梅雨明け宣言。
それを合図としたかのように西日本では連日の大雨。中国、九州地方は大雨による大災害に見舞われた。
こちらは8月下旬まで猛暑が続き、連日のように空を見上げて雨を待つ日々。
9月、今度は連日の雨。
9月5日、室戸台風の再来といわれる台風21号が西日本一帯を襲う。
9月6日、北海道胆振東部地震が起きる。
各地の被災された方、犠牲となった方たちには手向ける言葉も浮かばない。
そんな今年、秋の味覚は意外と早くやってきた。
9月初旬なのにこのナメコ!
さすがにまだ気温が高いので上質のものは採れない。
天然のコクボ(さるなし)
マイタケ!わが家はいつも早いが、今年はまた一段と早い。
不作だった昨年の分まで出てくれるかな。
わが家のマイタケ料理。
右は小谷野豚との合わせ料理。
日本中災害復旧に必死になっている中、一足早く秋の味覚を味わっている。
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18/09/03 20:08
白馬高校にて
冬の白馬。
晴れた日の北アルプスは息をのむ美しさである。
森上付近からの景観。正面に八方尾根、その上の不帰の嶮から北に広がる白馬連峰、南には五竜、鹿島槍の名峰が続く。
昨年(平成29年)12月、私は今までお世話になっていた小谷村農業再生協議会をやめ、白馬高校の校用技師となった。正確には「長野県特別行政事務嘱託員」という。
私は40代の頃から校用技師をやりたかった。好きな営繕をやり、校舎内外の管理をしながら時には子どもたちと演奏したり、走ったりできたら最高じゃないか、と。責任ある仕事や役職に疲れていた時期でもあったので尚更そう感じたことだろう。
狙いは中学校だった。幼すぎる小学校や思春期の高校生相手は自信がなかった。しかし定年になって学校へ入りたいと願っても地元の学校には空きがなく、村役場で嘱託でお世話になっていた。
昨年9月、白馬高校で校用技師を募集していることを聞いた。早速高校へ行って話を聞いてみた。
聞けば6月ころから欠員が出て募集していたようである。事務長は私の経歴をざっと聞いた後、明日からでも来てほしいとの意向。自分とて様子を聞きに来ただけであって、転職するにはそれなりの準備がいる。その時点では農業関係の仕事をしていたので、早くて12月からでなくては無理である旨を伝えた。それまでにいい人が応募すれば自分はあきらめるとも。
村役場では、12月いっぱい勤めてくれればボーナス支給の対象となる、と好意的な見解を示されたが、私は他の応募者が決まる前に高校に入りたかった。また、校用技師の業務はほとんどがグリーンシーズンであると思われるが、年が明けてから行ったのでは雪の下の状況がわからないのが恐かった。
というわけで、私は12月1日から長野県特別行政事務嘱託員となった。待遇は村役場に比べればかなり下である。
高校は小中学校と違い、校用技師は2人体制。一人は嘱託ではなくレギュラーであり、他の事務なども兼務する。
冬の白馬高校。
雪の始末も重要な業務である。
生徒が勉強しやすい環境をいかに整えるか、教員が安心して仕事に打ち込めるように目立たない部分で支えるのが自分たちの業務だと思っている。
しかし高校生であれば来年は社会に出て働く生徒もいる。社会性や責任感を養うためにも生徒がなすべきことは生徒にやらせる。
春先に作成した新聞小屋。
この学校には驚くべきことに新聞受けがなかった!入り口ドアの付近の床に置きっぱなしだった。
そこで作ったのがこの新聞小屋。屋根の部分がそっくり上に開くフタとなっている。入口ドアの上に遭難防止の鐘まで下がっているのに、犬小屋のようなと言われたのはちょっとショック。
壁の絵は美術部の生徒にお願いして書いてもらった。冬になったら煙突の上に忍び込むサンタさんがほしい。
しろうま祭。
毎年おたり吹奏楽クラブと高校吹奏楽部は合同演奏をしている。
今年はおたりとしてだけでなく、高校生バンドの中に入れてもらったのも楽しかった。
相変わらずの少ないお客さん。
高校生、うまいんだけど人数が足りないのだ!
プール横の畑?を開墾してキャベツを植えてみた。
耕運機は持ち込み、苗や肥料はとりあえず自分持ち。
7月5日播種、8月14日移植。70株。
9月3日時点、順調に発育している。
間引きした苗を畝の外にそっと植える。
学校の環境授業で作っている野菜。
しかし苗を起こして植えるだけ、後はほとんど何もしない。
そこで自称百姓としては放っておけず、潅水に収穫。しかしこの畑?モグラが多く根を切られるケースが多い。
トマトとキュウリ。自分が障子の戸板を使って棚を作らなかったら、とっくに草に埋もれて消滅していたと思われる。
オクラ。これが一番元気。オクラの花を職員に見せても誰もそれがオクラだとは知らない。きれいですね〜、何の花ですか?
ナスとピーマンは環境やら病気やらモグラやらで早々リタイヤ。
超特大ひまわり。幹は2m以上、花は種が重すぎて上で折れている。この後どうなる?
そんな高校生活。毎日何の不満もなく励んでいるが、不満がないことの見返りは低待遇。しかしそれも自分の選んだ道。
学校に入ってやりたかったことがふたつ。
ひとつは生徒と一緒に演奏すること。叶った!
もう一つは生徒と一緒に走ること。全校強歩大会は10月。さて参加させてもらえるかな?
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18/08/27 22:56
叙勲 -受章編-
平成30年度 春の叙勲。
それが発表されたのは平成30年4月29日。
しかし内定連絡はその少し前にあった。マスコミや叙勲関連業者なども早く情報が入るらしくたちまちカタログの山、そしてローカル新聞は4月29日当日に間に合うようにインタビューに来た。
消防関係の春の叙勲受章者は大北地区で2名。自分よりも一期上の大町の清水さんと自分である。
受章者名簿を見れば自分たちの62歳という年齢はほぼ最年少。叙勲の条件は基本として消防団30年勤続、それと団長経験であるが、それにしても弱冠62歳の若僧?が叙せられるということに消防のすごさを感じた。
ただ世の中には同じボランティアでも、名もなく何ら見返りを求めずこつこつと尽くす人たちがいながら、そういう人たちが報われない社会構造があることも事実である。
5月14日、東京にて伝達式と天皇陛下拝謁があった。
それを案内するのは各県の担当官。集合場所は虎ノ門のニッショーホール。
集合場所。おのぼりさんがわかりやすいように各県の担当は旗を掲げている。
伝達式会場。この演台に野田総務大臣が立ち、代表者に勲記・勲章を伝達した。
ホール入り口付近でのワンショット。どこかの県の担当官に撮ってもらった。
このあと、皇居にて天皇陛下に拝謁した。
皇居豊明殿。当然初めて入る。
入り口階段の両側には皇宮警察の方だろうか、が身じろぎもせずに立っている。イギリスの近衛兵を思い出した。
この日の消防関係受章者は約650名。そして付き従う夫人たち、総勢1,300人近くが豊明殿に入った。
担当侍従から説明があり、やがて天皇陛下が姿を現した。
少し高いステージから全員にお言葉を賜り、その後壇を降りて会場を一周する。その間に年配の方や体の具合の悪そうな人に優しい言葉をかけていく。
一同は陛下の移動に合わせて体の向きを変えていく。その一斉に動くさまは日本の秩序であり、天皇陛下に間近で拝謁できたことと重なって目頭が熱くなった。
来年になれば皇太子殿下が即位される。明仁今上陛下から叙せられたのもとてもうれしく感じた。
拝謁が終わった後は下の大きな広間で記念撮影があり、バスに戻って賜物が配られる。菊の御紋の入った大きな饅頭のようなものである。
賜物っていうんだ?下賜品とか恩賜とは今は言わないんだな。
ホテルでの記念撮影。
もちろん貸衣装。左胸につけているのが今回の瑞宝単光章。右胸には現役時代にいただいた消防庁長官表彰。
その夜は妻と東京泊まり、在京の次男が叙勲を祝って祝杯をごちそうしてくれた。
この叙勲については受章の可否を選択することができた。
自分はもともとあまり名誉に興味がなく、年数が経過しただけで大した実績もなかったので受けようか断ろうかずいぶん迷った。
しかし先述のように、これは小谷村消防団がいただいたものであるとの解釈ができた。となれば自分をここまで引き上げてくれた消防団の名誉を自分一人の判断で断るのも失礼に当たると判断し、経済的にも苦しかったが受けることにした。
ただ、近い人間から「なんでそんなもの受けただ⁉」と言われたのはショックであり、腹立たしかった。
自分とて消防団長をやりたくてやったわけではない。気弱な性格から推薦を断り切れなかっただけであり、もとよりミスキャストであることは明らかだった。それでもかなりの時間を費やし、金もかかり、自分なりに一生懸命に務めてきた。ほかに多くの役職も重複してある中で、決して楽に過ごしてきたわけではない。「なんでそんなもの…」と軽々しく言ってほしくない。
3ヶ月後の8月18日、発起人の方々に祝賀会を開催していただき、大盛会のうちに私の祭りは終わった。
発起人の方々、現役消防団員の皆さん、そしてOBの皆さん、地域の方々、行政の皆さん、そのた多くの関係各位と家族・親族に深く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
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