12/07/11 23:09

豪雨災害

平成7年7月11日。

17年前の今日、長野県北部の豪雨災害が起きた。

降る雨は時間が過ぎるたびにその量を一層増し、小谷村壊滅とまで言われるほどの大災害をもたらした。

ここに書くのは自分のことだけである。

 

わが家では夜7時ころ家の裏が崩れ、わが家と隣家は土砂に襲われた。

下はわが家のトイレ部分。

もちろん災害時刻にカメラを用意できたわけではないので写真は後日の物である。

 

わが家の横。

著しい量の土や杉の木が家になだれ込んだ。

 

屋根に倒れた杉の大木。こんな風に家に倒れ込んだ木が5〜6本。

 

その夜は近所の比較的安全な家に村中が集まって夜を明かした。

気にかかるは飼っていた牛と鶏。

畜舎に害がないことは確認していたが、いったん家を離れて集団行動に移ればもはや身勝手な行動は許されない。

翌日、村の衆の許可を得て鶏は鶏舎を開けて自由に出入りできるようにし、牛は飲み水が来ていることを確認してワラを山ほど与えてきた。これで数日はなんとかなるだろう。

 

先日、東北の震災現場で餓死してミイラ化している牛の姿が映った。

どうしようもなかったことではあろうが、せめて自衛隊を差し向けて射殺する等の処置ができなかったかと、かわいそうでならない。

 

災害から2日ほどたって、下里瀬の川原が見えるところまで下ってみた。

まったく情報が入らない中でこの景色は衝撃だった。

国道のバイパスが半分もえぐられている!

今は下の写真の真ん中にローソンがある。

 

情報。それはまったくなかった。

電気、電話線は切断され、まだケータイ電話は普及してない。

 

罹災の夜に避難した家がほぼ自動的にわが地区の災害本部となっていたが、誰かが発電機を持ってきてくれた。

噂ばかりが飛び交う中で初めてテレビの情報が入った。

 

その目を奪う村中の惨状に皆あいた口がふさがらない状態。

姫川温泉では大きなホテルが消失しており、北小谷では国道がなくなっている。

真横になったガソリンスタンド、空中にぶらさがる線路、土砂に埋もれた中土駅、赤肌を見せる山腹は数え切れず、わが家などはこれらに比べればはるかにマシと思われた。

 

情報といえばひとつ。

災害が起きて最も情報が入らないのは災害現場である。

発電機を用意して映るテレビはNHK。しかしそこに映される映像は、石が転がる様子、濁流が流れる様子、埋もれたクルマなどであった。災害映像がそういうものであることは今も変わりはない。

 

しかし状況のわからない罹災現場では、全体がどうなっているのか知りたいのである。

このときはさんざんマスコミの悪口を言った。

「ヘリまで飛ばしているくせにもっと全体がわかるような情報を流せないのか!」と。

 

やがて徐々に土砂は取り除かれ、家も大工さんが入って出来上がってきたが、土木工事が進まないため冬になっても地すべりは続いた。

 

母は災害の状況を含む内容の本を著し「星空の下で」と題して自費出版した。

毎年今頃は雨が降ると心臓が高鳴る。

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