14/03/30 23:05
はたご改造
はたご=機織り機のことをこう呼ぶ。
母の使うはたごは織りあがった布を巻き取る棒が取れないため、糸を仕掛けるときに体を曲げてはたごの内側にもぐりこまなくてはならない、とこぼしていた。
そこへアシタケの相談で来てくれた幼馴染の匠。
相談を受けて早速見てくれた。
匠は今日再度来てくれて、たちまち棒をはずし作業に取り掛かる。
緻密な採寸、丁寧な型枠を先に作って棒を動かせるようにレールを掘る。
そして出来た棒をはずすためのレール。
ほかにキズをつけないように、実に理にかなった方向と寸分狂わぬレールが掘られていた。
母は喜んで満面の笑顔。
これで糸を仕掛けるのが相当楽になるようである。
匠のI君、ありがとう!
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14/03/28 22:40
あしたけ
アシタケ。それは足丈。あしたけスキーとも呼ばれた。
簡単にいえば足の長さの木に金属板を張った冬の遊び道具。
40年以上も前のイメージを再現してみた。
足の丈に切った角材にRをつけ、金属板を張り付ける。
それに取り付け金具をつければ出来上がり。
自分の小中学時代は当たり前にあったもの。
しかし、小谷中きいてみても土谷以外の人はそういうものは知らないと。おそらく山越えで下り3km弱の通学コースが生んだ文化なのだろうか。
小学生でも男の子はこのようなものを作り、通学に使用した。
冬の山越え通学路は大人がカンジキで道を踏み、その後を歩く子どもたちの坪足で自然に出来上がる幅30cmくらいに固まった雪道。
その道を一部の子どもはアシタケで滑って下った。
3月になれば野良が凍みて、陽があたって緩む前ならどこでも自在に歩ける。そんな時期はアシタケの天下。通学にわざわざ遠回りをしても楽しいバーンがあればそこを通ってアシタケ通学。
今は部材も買えば何でも手に入るが、当時はある物しかない。
ブリキの代わりに缶詰の空き缶を使ったり、足の先を留めるのにはプーリーベルトの使い古しを使った。
少し時代が進むとスキー用具が進化し、古くなったスキーのカンダハーのトップを使用したり、皮ひも(ラングリーメン)で踵部分を締めたり、スキーのエッジをはずしてアシタケのブリキの上からネジ止めした。
新しいスキーがおいそれと買ってもらえる時代ではなく、こういう部品も近所の年上の人のお下がりなどがほとんど。そのかわりお下がりも部材のみならず、技術も伝承された。
今回は栂池観光協会で子どもたちに昔の体験遊び企画、そのお手伝いをさせてもらった。
講師の宮崎氏が角材を各個人の靴に合わせて切っている。
子どもたちは、今回裏にに張り付ける金属板として持ち寄った空き缶をたたいて平らに伸ばしている。
金槌や釘など持ったこともない子どももいること、けっこう大人が手を入れる。
靴に合わせて取り付け金具などを取り付け、出来上がり!
出来上がったアシタケに名前を書く。かっこよく書けよ!
これを使って遊ぶのは明日の日程。
こう温かくて大丈夫かな。なにしろ足の裏と同じ面積しかない道具、足が潜るような柔らかい雪の上では使えない。
遊んでる現場も見たいけど明日は行かれない。ちょっと心配(-_-)
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14/03/25 22:28
もうすぐ春!の小谷
3月末は村中まわる仕事をしている。
天気のいい日、各地区の気に入った景色を撮ってみた。
やっぱり素人の安いカメラじゃ迫力でない。
山は眼前に迫り、尾根の向こうは長野市鬼無里。
中谷神社。
夏は「歌って踊る奴ども」で賑わう諏訪神社小谷宗社も、今は雪の中にひっそりとたたずむ。
地元住民がかつての分校で宿を始めた。おもしろい!
人家があるところでは小谷村でも最も厳しい地区への道。文字通りの九十九折。
そして着いた集落。
かつては大部落だったのだが、今は3戸、冬は2戸がここに暮らす。
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14/03/19 21:34
お彼岸の準備
暑さ寒さも彼岸まで・・・といっても今年の冬は特に寒くもなく雪も少なくて楽な冬だった。
でも豪雪地帯、今の時期まだまだ残雪多く、彼岸の墓参りもできないので今朝は早起きしてお墓ルートの除雪。
これはわが家のお墓。
聖徳太子像。見通しの良いこの場所に聖徳太子の碑が建てられている。村の人たちはここを「太子様の所」と呼び、ほとんど地名となっている。
「太子様の所」から東を見れば長野市(鬼無里)堺の尾根がつづく。
左の杉の木の下には私が小学校3年まで通学した土谷分校があった。
わが家の墓だけでなく、ご近所の足の悪い方も墓参りに来るので道を開ける。
掘り割って車道に到着。
これでひと安心。お彼岸が迎えられる。
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14/03/14 21:53
ゆきわり草
小谷村伊折地区に古民家を改装した農山村体験交流施設「ゆきわり草」がある。
オープンしてまだ日は浅いがとっても活気があり、地区の人たちや専属のスタッフがいろいろな活動を盛り上げている。
こちらであるイベントの際に30分ほど演奏をとの話があり、皆さん会食している横で演奏させていただいた。
フルート、クラリネット、アルトサックス、ユーフォニアム、バリトンサックス、という変則的なクインテット、しかも合わせる時間もほとんどなくかーなり迷惑な演奏だったのではないかと反省しきり(ToT)
終わった後は一緒に卓につかせてもらった。
ご馳走の山!
気取った料理は一切なくみぃーんな田舎料理。様々な工夫や特色が盛り込まれていて美味しかった♪
デザート。和風♪
最後にお土産までいただいてしまった。
ウラジロ(オヤマボクチ)を練りこんだ生地で餡を包んだ笹団子。これがまた、んまい!
こちらでは各種研修などをはじめとし、要望があれば法事等も受けるという。宿泊もOK。
大網でも今同じような古民家施設を作っている。
村の中にそんな場所が何か所もあって気楽に立ち寄れたらうれしい。あとは整備したが後が続かなかった・・・というのはよくあるハナシ。
そんなふうにならないように利用もしたいし、知恵と活気でがんばってほしいもの。
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14/03/02 20:54
お葬式
道路に雪はないのに除雪車が上ってきた。どうやら当主が頼んで来てもらった様子。
この家ではおばあちゃんが亡くなり、明日は葬儀となる。
明日家を出る仏様、それを迎えにくる霊柩車やマイクロバス、そしてそれを見送る人々の駐車場を確保するために臨時駐車場を用意するのである。
小谷では10数年前まで自宅葬が一般的であった。
人が亡くなるとまず近所や近い身内の人が集まり、葬儀の段取りをする。
これを取り仕切る人を座拝(ざへえ)と呼び、この人が葬儀の一切を支配する。つまり葬儀委員長であるが、これに当たるのはたいがい隣の家の人である。隣家は隣役と呼ばれ、家人に代わる権限を持つ。
書けばきりがないが、身内はあまり仕事にはかかわらず、ほとんどの準備、すなわち墓穴掘り、会場、料理、受け付け、供物、進行などを地区の人たちがやっていた。
今はそれら全部を葬儀業者が行う。過疎高齢化、もはや地区ではそんなことは出来ない。
楽にはなったが、お金はかかる。
訃報があればすぐに農協の葬祭担当が来て打ち合わせに入る。
玄関には忌中幕。
そして入り口に忌中札。
なにからなにまで、葬儀一切、香典返し、料理などはもちろん、希望があれば会計も、それこそペン1本、紙1枚まで準備してくれる。
ただ会場が遠い。
小谷でも大町まで行って葬儀をすることが多い。大きなお寺の檀家はお寺で葬儀ができるが、そうでない人はほかに会場がない。
いずれにしろ、大町まで行かなければ火葬場がないので施主の家の人はいいのだが、投げ込みの弔問客は片道1時間かけて大町まで行ってこなくてはならない。
最近はそれも当たり前のこととして住民は受け入れている。
他人事ではなく、わが家とてそう遠い未来のことではない。
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