16/03/17 21:31

禁煙の記

タバコを吸って40年超。
その間に決意した禁煙は数知れず。
しかしいずれも不本意な結果に終わる。

前回は半年前。
禁煙内科を受診した。
そのときいただいた薬は、脳をだましてニコチンは足りていると思わせ、吸わないでもいられるようにというもの。
楽にやめられた。タバコがほしいとは思わなかった。
しかし吸いたかった。
ニコチンがほしいのではなく、タバコを吸う、という行為がしたかった。
あえなく1ヶ月で撃沈。

2月、還暦になったらタバコを止めようと思っていた。
思っていたのであって、意思強く決めていたわけではない。
己の筋金入りの意思の弱さはよく知っている。やめると決めたところで早ければ1日で崩れること。
一応禁煙のきっかけとして誕生日を決めていた。

誕生日の前日、休日だったので昼間温泉のあるところで走り、温泉に入って出てきた。
手持ちのタバコはあと2本。2本で夜までもたなければもう1箱買うことになる。
そうすると明日の誕生日にタバコが残ることになり、またしても失敗することは目に見えていた。

風呂からあがり、春の柔らかい風の中で温泉場の風景がとてもいい感じでカメラに収めていた。
ところが、一番いいアングルの中にひとりの中年オヤジがおいしそうに喫煙中。
はやくどかないかな・・・と思うが灰皿の中でタバコの先を丁寧にこすりながら灰を落としていて、喫煙は終わりそうもない。
望むアングルを妨害された腹立ちが手伝ってか、そのタバコがひどく汚らしく思えた。同時にその中年オヤジも。
その汚らしさの思いは尋常ではなく、極端に言えば人間が自らの排せつ物を棒状に丸めてくわえ、あるいは乾かして手でいじってるようにさえ思えた。

自分で持っていたタバコ2本、吸ってはみてもまずい!
なんでこんなもの吸ってたんだろう。
なんでこんな汚いもの体の中に入れてたんだろう。
今までの禁煙ではなかった感覚。

翌日、還暦の誕生日。
タバコを吸いたいとはまったく思わず。次の日も、またその次の日も。
そして中毒症状をまったく感じないまま1ヶ月。

地区で催事があり、飲めば吸う人たち。


そばへ行けば、自分が愛煙家であることを知っている人がスッとタバコを差し出す。

以前の自分なら禁煙中でも、今日だけ、といただくところだが今回はほしいとは思わず手を出さない。



しかし、これで禁煙が成功したなどとは思ってはいない。
いや、明日になれば吸っているかも知れない。煙草の禍津日神はありとあらゆる手を使って喫煙を美化し、正当化し、意思の弱い自分をその世界に誘う。
そして何ヶ月、いや何年禁煙しようが1本、たった1本の喫煙で元の愛煙家に戻れるのである。

自分の体は親から誇るべき健康体をいただいた。
せっかくの健康体になんで煙などわざわざ入れてよいものか。
それはまさに、己の排せつ物をくわえる行為に近いのではないか。
ましてランナーであり、ラッパ吹きである。

ひとつ妙なことがあった。
半年前に禁煙したときは、わずか10日でタバコやめれば走っていてこんなに楽なのか!と感心した。
それが今回1ヶ月以上たっても、走っていて禁煙で楽になったとは全然感じない。
ただひとつ、心拍が遅くなったと感じる。最低だと40代。
それは自分でも望んでいたことなのでありがたいが、もう少し楽に走れないものか。

おそらく、今回の禁煙はちょっと長続きしそうな予感。
べつにがんばらない。
なんでそんなもの吸わなきゃいけないのか、おれは健康だ!
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