17/03/18 21:23

卒業式

春。

各地一斉に卒業式シーズン。

残雪深き小谷村でもこの日、好天に恵まれた中で小学校と中学校の卒業式が行われた。一応来賓として参列させてもらった。


小谷小学校の昇降口。

新しい中学の制服に身をつつんだ卒業生とその父兄がうれしそうに集う。

 

この小学校が開校して10年余り。

校歌は作詞作曲とも谷川俊太郎・賢作の父子という巨匠の作であり、小谷をよく表した歌詞と歌いやすく個性的なメロディが合わさってとてもよい曲である。

立派な校舎ではあるが、児童数は年々減少しており、今年の卒業生は18名。


 

そして午後は中学校の卒業式。

小さな村の小さな学校。小学校、中学校ともに1校ずつなので参列者の都合も考え、午前と午後に分かれて一日で式を行う。

 

中学の卒業式に出るのは何年ぶりだろう。おそらく次男が卒業した時以来だから10年近く前。

その前の10年近くの期間は毎年来賓として参列していた。長女の時はPTA役員で、長男の時は消防団で、そして次男のときに初めて保護者席に座った。

 


小谷中学校。

 


校庭にはまだこの雪山。

 


こちらも正門では卒業生とその父兄などが記念撮影でにぎわっているが、小学校と違うのは一緒に写真に入るのが先生であったり、友達の場合が多い気がする。


小谷中学校の校歌は島崎先生、飯沼先生による名曲である。

過去何年も参列させてもらったので覚えてはいるが、なにぶん三部合唱のため校歌としてのメロディがどの部分なのか分かりにくく、来賓席で歌う人はあまりいない。

子どもたちは大きな声で、それも男子の生徒の声がよく聞こえてきた。

 

そして全校合唱は「旅立ちの日に」

ずいぶん古い曲の気がするがとても卒業式らしい好きな曲である。

 

卒業証書授与式。

卒業生を送り出す厳粛な式典であるから当然であるが、言葉のすべてに「辞」がついている。

開式の辞、教育委員会告辞、学校長式辞、来賓祝辞、在校生送辞、卒業生答辞、保護者代表謝辞、閉式の辞、というところか。

 

会場から卒業生を送り出すときに流れたBGMが心に残った。

「Time to Say Goodbye」

 

夢も希望もいっぱいに巣立っていく子どもたち。自分にも覚えのあること。

がんばれ!

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17/03/06 22:09

土谷分館の冬

3月初の日曜日はいつも土谷分館主催の冬の交流会。

今年は去年と違って十分な雪があり、天候にも恵まれ・・・と思ったが、そりのコースに予定していた道路に雪がない!

あまり通らないこの道路、地元にお願いして雪をためておこうと思ったのだが、その後雪が降らなかった。

 

ー 前日のこと ー

そこで急きょこの騒ぎ。

こんな大掛かりに、あっという間に雪を動かしてしまうのも小谷村の実力というべきか、土谷分館の実力というべきか、いやきっと雪国では日常のことだ。


 


そしてできたのは全長約50mのそりコース。

丁寧に塩までまいている。

 


そしてメイン会場では除雪機で雪を踏み固め、さらにカンジキで均している。

なんてズクのあるおじさんたち。

 


明日のおもちゃたちの一部。足丈(アシタケ)もいくつか準備した。

 


夜。

その日猟に出ていた仲間からイノシシのレバーが届いた。

これ、意外とうまい!酒が進んでしまった。

 

 

下の画像は先週行われた中土スキー大会での一コマ。

足丈を持っていってみた。

なにこれー!

どこかで売ってるの?

初めて見た!

これほしー!


ということで彼女に一足進呈。

 

 

ー 当日 −

自分は都合で出られなかったので画像だけもらった。

楽しそうでホッ。。。


今年もファットバイクの新井さんにご協力をいただいた。

なにやら人気絶頂の様子。コンディションも最高!

 


で君たちはなにしてるの?

 

本当に土谷はいいところです。

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17/01/26 23:10

土谷古老語り

1月12日ころからの雪はほぼ休みなく2週間近く降り続き、昨年に続く寡雪かと思われた冬は見事に大雪となった。

雪はこの雪国だけではなく、鳥取、岡山などで立ち往生する車が長蛇の列となり復旧には何日かを要した。

 

そんな大雪の中、わが土谷地区ではお年寄りを囲んでの昔を語る会が開かれた。

 

土谷地区を中心とした子育て世代のママさんたちが組織する「つなぐ会」。それと「ひなたっ子の会」。

この人たちは年に何度かいろいろな企画をしているが、今回は初めての「古老語り」と言ってもいいのかな・・・

 

 

さすが女性が多い会は自然とたくさんのごちそうが並ぶ。

 

 

コーディネーターがひとつづつテーマを示し、それについてみんなで語る。

年寄りに昔話、それはさながら鬼に金棒。集まった聞き手は若いだけでなく、他所から来た人が多い。昔の不思議とも思える話にカルチャーショックを受けたことだろうか。

 

例えば「冬の学校、どうやって行ったか」

今とは通学区も違い、車もなく、というか冬は道もなく、濡れない衣服もない。

更に今は絶えて消滅した集落もある。

親たちが朝早くカンジキで道踏みをして、といっても男衆は酒屋奉公でいない。かあちゃんたちがえらい目にあった。

 

などと老人たちが語る。

私の子どものころはそんな状況であり、子どもだったからその苦労は知らないが、景色は見える。

 

おそらくお年寄りがいくら言葉をつくしても、伝わるイメージは経験した人と聞くだけの人とではまったく違ったものであろう。

でもそれはいつの時代でも同じ。間違って伝わったり是正されたりしながら、実は若干違うものが言い伝えられてきたことだろう。

 

人の話など退屈なものだが、それを敢えて聴こうとする姿勢に彼女らのこの地で生きる意気込みを感じる。

お年寄りを敬い、子どもたちに未来を示す重要な感度を培ってくれることと感じる。

かく言う自分はただ毎日だらだら過ごすだけ。

がんばらなきゃ。

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17/01/15 23:15

冬が来た!

2014年2月は関東圏各地での大雪のためライフラインが止まった。


この画像は富士山と大雪に包まれた甲府盆地。

 

さて年が明けてもなかなか雪が降らない今冬、1月12日頃からようやく降り始め週末は猛吹雪に。

その大雪の週末、高森町とのスキー交流会。

雪国に暮らしても、いや雪国に生きるからこそ吹雪の外活動はありがたくない。という状況の初滑り。

でも子どもたちは元気、吹雪であろうがなんであろうがこんな大きなスキー場へは来たことがない。ことあるごとに自分たちがスキー教室で行く駒ケ根スキー場と比較していた。

 

しかし大雪、少し雪の深いところへ行くと彼らは動けなくなる。

緩やかな斜面では雪が深くて滑らない。先に誘導してコースを作りそのシュプールをたどるよう指示。しかし最後尾の彼はうまく歩けない。

スキーのトップを雪に刺してしまって動きがとれなくなる。そこで今度は後方に回りその子につく。

体重を後ろにかけてスキーのトップを上げろ、と何度言っても彼のスキーはトップが刺さり、テールを持ち上げて脱出しようとしている。挙句の果てに転ぶわ、板ははずれるわの大苦戦。

雪になじみのない子どもというものはこんなに物わかりの悪いものかと学習させられた。

 


夜、宿から眺める外の雪景色。吹雪は一層勢いを増している。

 


夕食後、ナイター照明を一部点けていただきそり遊び。

大人たちは震えあがっているが、子どもたちは大はしゃぎ。

 

二日目は天候さらに悪化、一部のリフトやゴンドラが動かない。ピステンで踏んだ後の積雪も多く、自分のような下手くそでも新雪にシュプールが描けるベストコンディション。しかしヤツラはそんなわけにはいかない。

それでも何とか滑れそうなところをあちこち連れまわし、充分に満喫してくれた様子。

特に一番出来の悪かった、新雪の中で苦戦していた彼が「来年も来ます!」といってくれたのはうれしかった。

 

さて一晩放っておいたわが家。妻がスコップで道をつけてくれてあった。

大きい除雪機を持ち出して今季本気除雪。

ようやくいつもの冬の様相となった。

 

少しの雪なら自分の17馬力の除雪機を使うのだが、本気モードだと村の26馬力を持ち出す。

その威力はけた違い。1mの積雪も屋根雪もたちまちなくなる。


村の除雪機。平成4年式の古い機械ではあるが機械は快調♪

除雪機を使っていつも不思議に思うこと。どんな大きな重機を使っても雪は数m移動するだけだが、除雪機は雪がその場から消えて無くなる。あの雪山はどこへ行ってしまうのだろう。

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17/01/08 21:53

年末年始に

 この年末年始、いろいろなことがあった。

12月22日の糸魚川の大火。復興には何年かかるのだろう。

 

以下facebookに載せた記事もいくつかある。

クリスマスに母に本を一冊プレゼントした。

新潟の豪雪地帯松代町。数回行ったことがあるが小谷をはるかに凌ぐ豪雪であった。

この町のある分校で入学者0の年、子どもの代わりに牛を3頭入学させたというのが話の始まり。

ひとりの女の子がこれをきっかけに獣医にまでなるという実話。映画では日本中で公開されているが、問い合わせたところ当分DVDで販売する予定はないというので本で買ってみた。

母はさぞ喜んで読んでくれるかと思いきや、本よりも私が自分のために買ってきた安いキーボードが気に入った様子。

私が音楽をやるのは間違いなく母の血である。音楽好きな母は幼少のころからハーモニカを教えてくれ、私も小学校に上がるころには簡単な曲なら自由に吹けるようになっていた。

母がキーボードで真っ先に弾いていたのは「港」。♪空も港も夜は明けて〜

その後も思いつくままに弾いている。

 

そして平成28年は暮れ、新たに平成29年が明ける。

 

雪のない冬である。

昨年の寡雪に驚いたと思ったら今年はさらに少ない。年が明けても降る気配のない空にスキー関係者は青くなる。

 


新年会の公民館よりの画像。春である。

 


年が明けて、珍しく全員そろった子どもたち。

 

正月、福井へ立つ子どもを糸魚川まで送ったついでに、久比岐サイクリングロードをランニング。

焼山、火打山が見える好天。

しかし、食べすぎと風邪で不調。15kmで動けなくなりタクシーのお世話になる。

 

その帰り道のことだった。

何度もケータイが鳴るのでクルマを止めてかけなおしてみると友人の声。「いい話じゃねえぞ。Sが死んだ」。

一瞬唖然、早速関係者にきいてみると、Sは元旦に地区の新年会に幹事として出席、その夜は普通に帰宅し、次の朝自宅のトイレで冷たくなっているのを母親が発見したのだという。死因は心筋梗塞だとか。

翌日同級生3人でお参りに伺った。

そして1月7日、葬儀が執り行われた。小学校時代の先生と同級生10人ほどが参列、その夜は大町温泉郷でお斎同級会となった。

そんなことで友が集まるのはありがたくもない。自分たちまだまだ若い、逆縁の不孝だけはしてはいけないのである。

 

訃報を聞いた2日後、久しぶりの吹雪の中を白馬で走っていた。ようやく正月の不摂生も解消されてやや体調がよくなっていた。

12km地点手前、後ろからクルマが来た。さりげなくよけて走り続ける。そのとたん!

左足が雪で見えなくなっていた段差を踏みはずし、その場で猛スライディング。

体中に激痛が走った。痛くて動けない、その横を当のクルマは走り去る。

道路はちょうど直線になったところであり、よけたのは車道から少しずれていたので轢かれる心配はなかった。

挫いた左足、したたか打ち付けた右ひざ、持病の腰痛も転んだショックで激痛、立ち上がるまでには数分かかったか。

しばらくゆっくり歩いてみる。500mほど歩いてなんとか小走りができる程度になった。

しかしその晩から左足首が腫れて1週間程度の休養が見込まれた。Sに言われたような気がした。「俺の喪中だ、おとなしくしてろ」って。

松納めが終わり、今年が稼働し始めた。

いろいろとやりたいことがあり、身の振り方も考えてみる。が、大事なのはこの冬の過ごし方。

夏場は追い回されて忙しいので冬は休養期間とする考え方もあるが、それでは何も変わらない。

でもそう思いながらまた何も変わらないまま春を迎えるのかもしれない。

がんばれ、自分!

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