19/12/24 17:37
移住者のために
わが家の別荘。
平成6年、うちの田を買い取りここに別荘を建てて住んでいた方がいた。
その後、複雑ないきさつがある中でこの家と地所はうちの所有となり、それを借りて住んでいた方は10月に退出した。
この別荘からの景観はすばらしく別荘の大きさが手頃なこともあって、空いたという情報を得た人たちから3件ほどのオファーがあった。
よき人に恵まれお譲りする話は決まったが、駐車場もない状態。
現状渡しではあるがせめてそのくらいはと、雪が降らなかった12月に工事をした。
職人さんは木の切り株を取り、うまいこと勾配を調整していく。
余った土の一部を庭となる家の前にも少し上げて整地する。
コンクリートはワイヤメッシュで補強。
さすが職人!上手にならして平らにしていく。
山側から少し水が出ていたので水抜き用の穴あきパイプを埋めた。
コンクリートが固まらないうちに記念すべき筆を入れてくれたのは職人さんの連れていた犬。もちろん直ちに修正。
整地の際に場所を広く取るため山側の法面を少し削り取った。その影響で上にあった木が倒れ落ちる危険があったため伐ることに。
個人で林業を営む山口氏、慣れた手つきで伐採してくれた。
幹をチルホールで引っ張りながら、上手に電線にかからないように倒す。
そしてBefore!
After!
Before!
After!
この隣の家も新たに入る方が決まった。さあ、ここもにぎやかになるかな。
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19/11/01 22:06
台風19号災害ボランティア
台風19号は関東から千曲川水系に猛烈な雨を降らせ千曲川は数か所で決壊、やがて被害は東北にまでおよび、三陸の地震に匹敵する大被害となった。
長野市では千曲川が10月13日午前4時ごろ決壊、長野盆地の広い範囲を水没させた。
災害からずいぶん時間がたったが、10月31日ボランティアに行ってきた。
軽トラが不足してるとの情報を得て軽トラで参加させてもらうことにした。問い合わせてみると、赤沼のどこそこで受付をしているのでそこへ行ってほしいとのこと。さらにそこから北町サテライトへ行くようにとの指示。
仕切ってくれるのは災害NGOラブ&アースの皆さん。
早速、昨日も軽トラで作業をされていた方と組んでのゴミ運び。なお、画像は自分で撮ったのはあまりなく、よそから拝借したのも多い。
災害発生からかなり時間がたっていたことと、好天のため被災の悲壮感はない。
ここは北長野、横を浅川が走り千曲川からは距離がある。住民は川の氾濫と言えば浅川を心配したようであるが、今回は反対方向から水が来て浅川を乗り越え向こう側の住宅地にまで被害をもたらしたという。
近所の公園はこのとおり、ゴミの山。
ここは浅川堤防。各戸から出されたゴミはこの道路わきにも積まれた。
家を見てもここまで水がついた、というのはわかりにくい。むしろりんご畑の方がわかりやすかった。
住民の方と少し話してみた。
「自衛隊のヘリに助けてもらったんだよ。この車庫の屋根まで完全に水没したからねえ」
家の中が片付きつつあるのと暖かい陽射しで笑顔がこぼれる。
ここは自分が行った時の浅川堤防。ゴミもだいぶ少なくなっていた。
北町のゴミはみんなこの赤沼公園に運ぶ。おそらく大きなグランド2面分くらいの公園だが、ゴミで桜も見えないほどになっていた。
当初は分別もしていたのであろうが、それを取り締まる人員もなく分別されているのは家電、燃料くらい。
この山もまたいずこかへ片付けなくてはならない。
連日の多くのボランティアの手を借りて、ゆっくりとではあるが街は確実に復興の歩みを進めている。
その多くのボランティアは体じゅう泥だらけになって泥やごみの片づけ。当然のことながら軽トラは作業としてはかなり楽であった。
早い家ではすでに修復に取り掛かっている家もあったが、まだまだ続く気の遠くなるような清掃片付け作業。そしてここは農業地帯。家が終われば次はリンゴや園芸の農地を整備しなくてはならない。個人では到底できるレベルではなく、まだまだずっとボランティアの手は求められることだろう。何年かかるのか・・・
一日も早く日常に戻れますように。
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19/07/04 21:18
白馬高校しろうま祭
あんまり久しぶりの更新でどうやって更新するのかを完全に忘れていた💦 ブログってこんなにめんどくせえもんだっけ??FBやLineならサッサッと投稿できるのに。
先日知人の葬儀に伺った折、古い音楽や走った仲間に会えた。その方から思いがけぬお言葉。
「まっちゃ、ブログ更新しとくれや。おらそれ励みにしてるだで。」
何ともうれしい言葉にようやく重い腰を上げて9か月ぶりの更新。
おたり吹奏楽クラブ。
恒例のしろうま祭が今年も目前に迫った。
毎年白馬高校吹奏楽部のご厚意で、しろうま祭では高校生と一緒に演奏させてもらっている。
ということで今年も演奏曲3曲を練習中。
昨年の演奏風景。
高校生の人数も少ないが、社会人も応援になるような演奏ができるわけではない。むしろ足を引っ張っているのが実情。
若いコにエネルギーを分けてもらっている♪
さて、私事。
この春までここ白馬高校で校用技師をしていた。
諸事情があって3月で退職したが、実に楽しく過ごさせてもらった。
その中のスタンドプレーをちょっと紹介。
新聞受け作成。
この学校には郵便受けはあるが新聞受けがなかった。図書室での記録保管のような意味合いもあり、長期休暇でも新聞を停めることはない。
今までは連休前には玄関にボール箱など置いてそこに新聞を入れてもらっていた。
仕事の合間を見て苦闘一週間。アルプスの麓の学校だから山小屋スタイルがよかろうかと出来たのがこの「新聞小屋」。
弓道部フィールドに落書き。
ここの草刈りは校用技師の仕事ではないと思うが、あまりに草ぼうぼう、人目に付く場所なので何度か草刈りをした。
そのうち、どうせ刈るなら!とちょっといたずら。
はじめは弓の絵を🏹書こうかと思ったのだが想像力乏しく断念。
ならば字を書いてみようか、失敗したら全部刈っちまえば元通り。まあ、意外とうまくいったぞ。
いよいよ職場を去る離任式の日、弓道部の生徒さんと顧問の先生が寄せ書きをくれた!
これはうれしい!校用技師など裏方ばかりだから生徒に顔すら覚えてもらえないのに、寄せ書きをもらえるなんて!
本当に抱きしめて帰った。
早春の白馬高校。
好きだなあ、学校って。勉強は嫌いだったけど。
去ってからは意識して行かないようにしていた。
そして今週末。白馬高校文化祭「しろうま祭」
ワクワク o(^▽^)o
皆様のご来場をお願いします。
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18/09/03 20:08
白馬高校にて
冬の白馬。
晴れた日の北アルプスは息をのむ美しさである。
森上付近からの景観。正面に八方尾根、その上の不帰の嶮から北に広がる白馬連峰、南には五竜、鹿島槍の名峰が続く。
昨年(平成29年)12月、私は今までお世話になっていた小谷村農業再生協議会をやめ、白馬高校の校用技師となった。正確には「長野県特別行政事務嘱託員」という。
私は40代の頃から校用技師をやりたかった。好きな営繕をやり、校舎内外の管理をしながら時には子どもたちと演奏したり、走ったりできたら最高じゃないか、と。責任ある仕事や役職に疲れていた時期でもあったので尚更そう感じたことだろう。
狙いは中学校だった。幼すぎる小学校や思春期の高校生相手は自信がなかった。しかし定年になって学校へ入りたいと願っても地元の学校には空きがなく、村役場で嘱託でお世話になっていた。
昨年9月、白馬高校で校用技師を募集していることを聞いた。早速高校へ行って話を聞いてみた。
聞けば6月ころから欠員が出て募集していたようである。事務長は私の経歴をざっと聞いた後、明日からでも来てほしいとの意向。自分とて様子を聞きに来ただけであって、転職するにはそれなりの準備がいる。その時点では農業関係の仕事をしていたので、早くて12月からでなくては無理である旨を伝えた。それまでにいい人が応募すれば自分はあきらめるとも。
村役場では、12月いっぱい勤めてくれればボーナス支給の対象となる、と好意的な見解を示されたが、私は他の応募者が決まる前に高校に入りたかった。また、校用技師の業務はほとんどがグリーンシーズンであると思われるが、年が明けてから行ったのでは雪の下の状況がわからないのが恐かった。
というわけで、私は12月1日から長野県特別行政事務嘱託員となった。待遇は村役場に比べればかなり下である。
高校は小中学校と違い、校用技師は2人体制。一人は嘱託ではなくレギュラーであり、他の事務なども兼務する。
冬の白馬高校。
雪の始末も重要な業務である。
生徒が勉強しやすい環境をいかに整えるか、教員が安心して仕事に打ち込めるように目立たない部分で支えるのが自分たちの業務だと思っている。
しかし高校生であれば来年は社会に出て働く生徒もいる。社会性や責任感を養うためにも生徒がなすべきことは生徒にやらせる。
春先に作成した新聞小屋。
この学校には驚くべきことに新聞受けがなかった!入り口ドアの付近の床に置きっぱなしだった。
そこで作ったのがこの新聞小屋。屋根の部分がそっくり上に開くフタとなっている。入口ドアの上に遭難防止の鐘まで下がっているのに、犬小屋のようなと言われたのはちょっとショック。
壁の絵は美術部の生徒にお願いして書いてもらった。冬になったら煙突の上に忍び込むサンタさんがほしい。
しろうま祭。
毎年おたり吹奏楽クラブと高校吹奏楽部は合同演奏をしている。
今年はおたりとしてだけでなく、高校生バンドの中に入れてもらったのも楽しかった。
相変わらずの少ないお客さん。
高校生、うまいんだけど人数が足りないのだ!
プール横の畑?を開墾してキャベツを植えてみた。
耕運機は持ち込み、苗や肥料はとりあえず自分持ち。
7月5日播種、8月14日移植。70株。
9月3日時点、順調に発育している。
間引きした苗を畝の外にそっと植える。
学校の環境授業で作っている野菜。
しかし苗を起こして植えるだけ、後はほとんど何もしない。
そこで自称百姓としては放っておけず、潅水に収穫。しかしこの畑?モグラが多く根を切られるケースが多い。
トマトとキュウリ。自分が障子の戸板を使って棚を作らなかったら、とっくに草に埋もれて消滅していたと思われる。
オクラ。これが一番元気。オクラの花を職員に見せても誰もそれがオクラだとは知らない。きれいですね〜、何の花ですか?
ナスとピーマンは環境やら病気やらモグラやらで早々リタイヤ。
超特大ひまわり。幹は2m以上、花は種が重すぎて上で折れている。この後どうなる?
そんな高校生活。毎日何の不満もなく励んでいるが、不満がないことの見返りは低待遇。しかしそれも自分の選んだ道。
学校に入ってやりたかったことがふたつ。
ひとつは生徒と一緒に演奏すること。叶った!
もう一つは生徒と一緒に走ること。全校強歩大会は10月。さて参加させてもらえるかな?
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18/08/27 22:56
叙勲 -受章編-
平成30年度 春の叙勲。
それが発表されたのは平成30年4月29日。
しかし内定連絡はその少し前にあった。マスコミや叙勲関連業者なども早く情報が入るらしくたちまちカタログの山、そしてローカル新聞は4月29日当日に間に合うようにインタビューに来た。
消防関係の春の叙勲受章者は大北地区で2名。自分よりも一期上の大町の清水さんと自分である。
受章者名簿を見れば自分たちの62歳という年齢はほぼ最年少。叙勲の条件は基本として消防団30年勤続、それと団長経験であるが、それにしても弱冠62歳の若僧?が叙せられるということに消防のすごさを感じた。
ただ世の中には同じボランティアでも、名もなく何ら見返りを求めずこつこつと尽くす人たちがいながら、そういう人たちが報われない社会構造があることも事実である。
5月14日、東京にて伝達式と天皇陛下拝謁があった。
それを案内するのは各県の担当官。集合場所は虎ノ門のニッショーホール。
集合場所。おのぼりさんがわかりやすいように各県の担当は旗を掲げている。
伝達式会場。この演台に野田総務大臣が立ち、代表者に勲記・勲章を伝達した。
ホール入り口付近でのワンショット。どこかの県の担当官に撮ってもらった。
このあと、皇居にて天皇陛下に拝謁した。
皇居豊明殿。当然初めて入る。
入り口階段の両側には皇宮警察の方だろうか、が身じろぎもせずに立っている。イギリスの近衛兵を思い出した。
この日の消防関係受章者は約650名。そして付き従う夫人たち、総勢1,300人近くが豊明殿に入った。
担当侍従から説明があり、やがて天皇陛下が姿を現した。
少し高いステージから全員にお言葉を賜り、その後壇を降りて会場を一周する。その間に年配の方や体の具合の悪そうな人に優しい言葉をかけていく。
一同は陛下の移動に合わせて体の向きを変えていく。その一斉に動くさまは日本の秩序であり、天皇陛下に間近で拝謁できたことと重なって目頭が熱くなった。
来年になれば皇太子殿下が即位される。明仁今上陛下から叙せられたのもとてもうれしく感じた。
拝謁が終わった後は下の大きな広間で記念撮影があり、バスに戻って賜物が配られる。菊の御紋の入った大きな饅頭のようなものである。
賜物っていうんだ?下賜品とか恩賜とは今は言わないんだな。
ホテルでの記念撮影。
もちろん貸衣装。左胸につけているのが今回の瑞宝単光章。右胸には現役時代にいただいた消防庁長官表彰。
その夜は妻と東京泊まり、在京の次男が叙勲を祝って祝杯をごちそうしてくれた。
この叙勲については受章の可否を選択することができた。
自分はもともとあまり名誉に興味がなく、年数が経過しただけで大した実績もなかったので受けようか断ろうかずいぶん迷った。
しかし先述のように、これは小谷村消防団がいただいたものであるとの解釈ができた。となれば自分をここまで引き上げてくれた消防団の名誉を自分一人の判断で断るのも失礼に当たると判断し、経済的にも苦しかったが受けることにした。
ただ、近い人間から「なんでそんなもの受けただ⁉」と言われたのはショックであり、腹立たしかった。
自分とて消防団長をやりたくてやったわけではない。気弱な性格から推薦を断り切れなかっただけであり、もとよりミスキャストであることは明らかだった。それでもかなりの時間を費やし、金もかかり、自分なりに一生懸命に務めてきた。ほかに多くの役職も重複してある中で、決して楽に過ごしてきたわけではない。「なんでそんなもの…」と軽々しく言ってほしくない。
3ヶ月後の8月18日、発起人の方々に祝賀会を開催していただき、大盛会のうちに私の祭りは終わった。
発起人の方々、現役消防団員の皆さん、そしてOBの皆さん、地域の方々、行政の皆さん、そのた多くの関係各位と家族・親族に深く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
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