12/06/26 23:04
研修
さてここはどこでしょう?
公園の一角に建てられている早春賦の碑。
その下にはこの地にちなんだ早春賦の作詞者、吉丸一昌の写真が。
大町文化会館。
昼間こうしてゆっくり公園を眺めることはなかったな。
今日、明日は隣のフレンドプラザ大町で終日研修。
一日座ってることのなんと眠いことか・・・・
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12/06/21 23:39
庄屋宅
小谷村大網地区。
かつて武田、上杉の争いにおいて、この信越国境は常に両勢力に翻弄されていたことと思われる。
今も残る名家、という表現がいいのかわからないが、大網の武田家、そして姫川を挟んで対岸の集落、糸魚川市大所(おおところ)の山岸家。
戦国時代が終わり徳川の世になってからは、この両家が信濃、越後の南北の守りをしていたのではないかと想像する。
大網の武田本家。仕事で伺った。
今はおばあちゃんが一人で暮らしている。
高い壁、天井の梁、名家にふさわしい作りになっている。
とはいっても大網は一度大火に見舞われているが。
長い槍が3本。初めて見た。もちろん届出許可あり。
ただし穂先ははずしてあるそうである。
大きな家である。
武田姓でありながら不明な点がひとつ。
武田、ということは甲斐武田氏の姓に違いあるまい。また大網には仁科姓もあり、これは信玄の五男仁科五郎盛信の姓を受けたものと聞いた。
この人たちが武田一族の血縁かは知らない。
小谷にはかつて小谷五人衆、あるいは七人衆という庄屋があり名字帯刀を許されていたという。
五人衆とは山田、田原、太田、横澤、山岸、そして太田、細野が加わって七人衆である、と聞いた。
いま小谷で暮らしている嫡流は山田、太田が残るだけであろうか。
そのなかに武田家がなぜ入ってないのか。
ささやかな疑問にいくつか想定することはあるが、同和問題もありふだんは自分もあまり話題にしない。
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12/06/20 22:21
瀞
瀞(とろ)。
先日走ったときに見つけた北股川の大きな瀞。
山の音楽家の演奏・清掃の後、少し時間が空いたので3人で行ってみた。
川幅は狭いが、それだけにこの水が流れる様は迫力満点!
その瀞の上、一番川幅の狭いところに小さな吊り橋が架かっている。
おお、迫力!
ちょっと危ない感じの吊り橋であるが、しっかりしているのを確認して渡ってみた。
上流はこんな感じ。
こんなことしてていいのかな・・・・
正直言って、
おもしろい!・・・・子どもだな・・・・・
でも楽しかった〜。
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12/06/16 20:51
オダマキ
オダマキ、「苧環」と書くようである。
名前の由来は機織り道具からきているとか。
以前母が種をもらったが紛失してしまいがっかりしていたら、ある日縁側の下で咲いていた、というストーリーつき。
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12/06/11 22:11
対酒当歌 人生幾何
酒に対しては当に歌うべし、人生幾何ぞ
譬(たとえ)ば朝露の如し、去りし日は苦(はなは)だ多く
慨して当に以て慷すべし
よくわからないが、要はくよくよするな、と。
過ぎたことを思っても悲憤にくれるだけ、酒を飲んで大いに歌え、人生など幾ばくのものか。
というような意味らしい。
三国志の英雄、曹操の詩である。
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