11/03/30 00:12

ダークダックス

ダークダックスの特集番組を見ていました。
この人たちの歌うジャンルが好きです。

ゾウさんの笑顔、癒されますね〜。

吹奏楽を始めた頃、そのときの指導者Aさんは自由学園?で山本直純氏の同級生であり、彼に音楽の指導を受けたと言ってました。

Aさんの言ったこと。
「ダークダックスはなぜ売れてるかわかりますか?歌の上手い人はいくらでもいるんですよ。ただ、彼らはハーモニーとダイナミクスがすごいんです。」

あのときはふ〜んと聞いていたけれど、いまは少しわかるような気がします。

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11/03/25 22:53

題名のわからない歌

クルマの運転をしているときや、走っているとき、頭の中で勝手に曲が流れ出すことがある。

帰り道、浮かんだのはかなり小さい頃からよく知っていた歌なんだけど題名がわからない歌。

 

► ふるさとの やさしいことばで

誰かが呼んでるわ でも私はゆく

いつかしら 空にみつけた

あの虹につづく道を 歩いてゆこう

太陽が背中を とおりすぎないうちに

友達と歌って 歩いてゆこう ♦

 

歌詞も曲もしっかり覚えているが、誰が歌っていたなんという曲なんだろう?

たぶん幼い頃テレビで覚えた・・・と思う。

とても懐かしく感じる歌のひとつである。

 

以前職場の宴会で、本会から少人数に別れて飲み始めた頃、この歌を歌い出した女性がいた。

これにはびっくり!

一緒になって歌うと彼女もかなりおどろいた様子。わからないものである。

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11/03/22 23:35

練習日♪

新しいネタを教わった。

いろいろな先生に教わって心にとまる一言はメモってるんだけど、また新しいの。

「日本の歌い方は母音を伸ばす。洋は母音を伸ばさない。」というもの。

 

先生、歌ってみせてくれた。

うuさaぎiおooいしiかaのoやaまaaaaという感じ。

今回の曲想は、それをせずにもっとあっさり吹きなさい、というもの。

 

うん、なるほど、これはわかりやすい。

 

今日もうひとつのポイントは、スラーの後のタンギングははっきりと。

これは名指しで指摘された。

「勘で吹かないで、そこはぴったり合わせてください!」

 

うん。満足満足。

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11/03/21 21:54

蓼科高校ジャズクラブ

昨日上田で行われた蓼科高校ジャズクラブのスプリングコンサート。

http://www.jazz-candy.com/index.php

スイングガールズのモデルになったバンド♪

 

行きたかったな・・・

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11/03/08 23:59

「山の音楽家」練習日♪

Regular Concertの楽譜が全部揃った…らしい。

今後は毎回譜読みの練習かな?

 

今日は日本の叙情歌のメドレー。

真島俊夫氏の編曲は…ん~よく理解できない

4度の和音? 9度の和音???

ボクの頭はドミソの3和音しかわからんようにできているのだ。

 

先生は終始にこやかに、しかし妥協しない指導をしてくださる。

たまに有名指揮者や作曲家のエピソード、ご自分の体験などを織り交ぜて話ながら、みんなを引き込んでいく。

合唱団のチームも、この先生を求めているようではあるが、やんないもんね~

 

ランニングよりも一層練習時間を割いてない吹奏楽。

やってみたい難曲の夢はあれど、いつのことやら・・・・

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11/03/05 01:27

歌曲『智恵子抄』

「山の音楽家」の常任指揮者、長沢先生の歌う『智恵子抄』を聴いてきた。

 

高村光太郎の詩集『智恵子抄』。

高村光太郎が智恵子と結婚しその喜びの様、やがて智恵子が精神異常をきたし、亡くなるまでを書いた詩集。

正直言って先生のコンサートで聴くまでは、高村光太郎の詩集『智恵子抄』という題名は聞いたことがあっても、内容はまったく知らなかった。

 

八十二別館ロビー。

案内の中で、最後まで真剣に聴くのはかなり大変であるとの説明があった。

そこで二階席で先生の顔が見えないのをいいことに、最初から居眠りを決め込んだ。日頃、先生の指導を受けているくせにとんでもない奴である。

 

それが、不思議なことに先生の歌う詩が、清水脩の曲が、ピアノの伴奏、というよりも効果音が、実に素直に耳に入ってきて、あたりの風景や智恵子の表情が空想の中に浮かび上がり、あたかも高村光太郎と同じ体験をしているかのような感動があった。

先生の顔が見えないことで、ピアノを弾く指が見えないことで、雑念を覚えず純粋に「感じる」ことができたのかも知れない。

 

もしかしてこれが「芸術」というもの?

芸術とは見て、聴いて理解しようとするものではなく、感じるものなのか・・・

少し似た意味を持つのではないかと思われる曲、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を思い出しながら、至福のひとときを過ごさせていただいた。

 

長沢先生の声楽の恩師、岡部多喜子先生もいらっしゃった。(手前)

かなりのご年配だが、まだまだ元気でコメントされた。

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