12/09/20 23:45

栃餅復活シリーズ

北小谷大網地区。

ここでは古くから栃餅を生産していた。

 

昔、米があまりとれない小谷のような山間地でも年貢は米で納め、住民は文字通り「水飲み百姓」。

腹を満たすためにに五穀はもちろん、木の実、山野草、きのこなど食べられるものはすべて口に入れたことだろう。そのために灰汁(アク)の強い栃の実も食べられる工夫をした。

 

そうして作り続けられた栃餅。

それを金に変えることはできないかと、30年ほど前、郵便局のO氏らが考案したのが小谷の田舎もちシリーズであると聞く。

 

それは「大網の栃餅・豆餅」、「深原の粟餅」、「李平のキビ餅」である。

この4種類の餅をセットにして、ふるさと小包として小谷から出た人などから注文を取り発送する。

 

製造も地区ごとにチームを作り、最近叫ばれる集落起業ははるか以前から小谷に存在していた。

原料も製造者が栽培し、餅を搗く。

行政が設備を整え、農協が栽培指導と衛生管理、商品化までを担当すれば郵便局がそれを捌く。

その流れは今も変わっていない。

 

しかし高齢化と過疎がその前に立ちはだかる。

深原、李平地区ではかなり前に業務ができなくなり、作業を大網地区と農協が引き継いだ。

その大網もいよいよできなくなり、去年からは農協がほぼ全部の餅を製造した。

 

そうなると当然地元に落ちる金はなくなり、原料も生産されないことから地域も潤わず、高い原料を業者から仕入れて餅を作る農協も赤字製造になる。

 

そんなとき、行政が設置した「特産推進室」が大網に栃餅を再び!と行動を開始した。

その動機は経済面よりも文化面を重視したものであったかもしれないが、田舎においても特産物のもつ性格においても、文化と経済が並び立たなければ成立しない。

 

栃餅教室、最初は栃の実ひろいから。

この日は大網共有地にある大きな栃がある場所を借りる。

栃の実は拾い頃。

なるべく大きな、虫の入っていないものを拾う。

 

受講者に実の選び方を説明する特産室職員のKさん。

 

右にいる二人が信州大学学生。

 

今回講師のMさん。

 

ひとつ割ってかじってみた。にが〜〜〜い!

 

今日のおやつにと、講師らがあらかじめ用意した栃餅大福。

 

栃の実はこのあと水に浸し、乾かし、更に一ヶ月近く陰干しする。

そのあと皮をむき、あく抜きをする、という気の遠くなるような作業工程を要する。

そして11月頃には餅の原料として使える「栃」が出来上がる。餅を搗くのはそれからということである。

 

ここ大網は山菜やキノコの加工品を生産・製造することにおいては日本でも有数の歴史をもつ場所である。

ときの農協組合長も勤めたT氏は強烈なカリスマの持ち主であり、持ち前のリーダーシップで地元の人たちを導いたものだと聞いた。

 

今回の企画で栃餅は再び大網の特産として蘇るだろう。

問題は、継続と成長!

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