12/11/22 13:38

老子の続き(第77章)

 この章では、「天の道」のあり方について述べています。

 老子の言う「天の道」はそれこそ、宇宙、大自然の合理性を説いています。

 天はすべてのものを調和するということですね。

                                     

 天之道其猶張弓乎。?者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者與之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

                     

 天の道は其れ猶(な)ほ弓を張るがごときか。 高き者は之れを抑え、下(ひく)き者は之を擧(あ)ぐ。 餘り有る者は之を損(へら)し、足らざる者は之に與(あた)ふ。 天の道は餘り有るを損して足らざるを補ふ。 人の道は則(すなわ)ち然(しか)らず。 足らざるを損し以(も)って餘り有るに奉(ほう)ず。 孰(た)れか能(よ)く餘り有りて以って天下に奉ぜん。 唯(た)だ有道者のみ。 ここを以って聖人は、爲(な)して恃(たの)まず、功成りて處(お)らず。 其れ賢を見(しめ)すを欲(ほっ)せざるなり。

                               

 

 天の道の動き方はあたかも弓に弦を張って引っ張るようなものです。 つまり上の者を押さえ、下の者を持ち上げるようなものです。 あり余っている者から取り上げ、不足している者に分け与えます。 このように天の道は大きな自然の動きの中で余っているもの、足りないもののバランスを取っているのです。 しかしながら人の道ではそうではありません。 足らなくて困っている者から更に取り上げ、有り余っている者に差し出しているのです。 ありあまっているからと言って天下に差し出す人はいるのでしょうか。 それはただ、道を体得している人のみなのです。  それゆえに、聖人と言われる人は立派な業績をあげてもなにも要求せず、成果が上がっといってもいつまでもそこに留まっているわけでもありません。 ましてや自分の優れている点など人に見せようとはしないのです。
                                 
                       
 この調和のバランスが今の政治にも求められます。
 また、後段の 「功成りて處(お)らず。」 というのもすごいですね。
 成功までのプロセスが大切で、功成なり名遂げたならいつまでも居続けてはいけないということです。 出処進退の大切さも述べています。
                                          
                       
 坂城町長 山村ひろし 

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12/11/16 04:02

老子の続き(第76章)

 この章は老子のまさに言わんとする「根本」です。 いわば「強」を戒めると言うことです。

                                     

 人之生也柔弱。 其死也堅強。 萬物草木之生也柔脆。 其死也枯槁。 故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。 是以兵強則滅、木強則折。強大處下、柔弱處上。                  

 

 人の生まるるや柔弱なり。 其の死するや堅強(けんきょう)なり。 萬物草木の生ずるや柔脆(じゅうぜい)なり。 其の死するや枯槁(ここう)す。 故に堅強なる者は死の徒(と)、柔弱なる者は生の徒なり。 是(ここ)を以(もっ)て兵(へい)強ければ則ち滅び、木(き)強ければ則ち折らる。 強大なるは下に處(お)り、柔弱なるは上に處る。                          

 

 人が生まれるときは大変柔らかく柔軟です。 しかし、死を迎えたときには体は硬直してしまいます。 自然の万物もその生まれたときはみな柔弱です。 そして死を迎えたときは枯れて堅くなってしまいます。 従って、堅強な者は死の仲間と言え、柔弱な者は生の仲間と言えます。 このことからも頑強な軍隊は案外もろく滅びてしまい、強い木も強いだけに柔軟性に欠け、折れてしまうのです。 従って、世の中では、強くて大きなものは下位に位置し、柔弱な者の方が上位にいるものなのです。
                               
                     
 いつも頑なであったり、シャッチョこばっていては折れてしまうということですね。 人生、いなすかわす、柔軟さ、したたかさも持たねばならないということです。
                                    
                
 坂城町長 山村ひろし

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12/11/07 21:47

老子の続き(第75章)

 この章では、権力を持った者が心がけなければならない大切なこととして「無私」であるということを説いています。

                                        

 民之飢、以其上食税之多。 是以飢。 民之難治、以其上之有爲、是以難治。 民之輕死、以其上生生之厚。 是以輕死。 夫唯無以生爲貴者、是賢於貴生。

                                  

 民の飢(う)うるは、其の上(かみ)の税を食(は)むの多きを以(も)ってなり。 是を以って飢う。 民の治め難きは、其の上の為す有るを以ってなり。 是を以って治め難し。 民の死を輕んずるは、其の上の生を生とするの厚きを以ってなり。 是を以って死を輕んず。 夫れ唯(た)だ生を以って貴(たふと)しと爲すこと無き者は、是れ生を貴ぶより賢(まさ)れり。 

                                                   

 人民が貧困な生活を余儀なくされるのは、統治者が税金を余分に取りすぎるからです。 それによって飢えることになってしまうのです。 又、人民をうまく治められないのはあれこれと規則が多かったり余計なことをしているからなのです。 これが治世がうまくいかない理由なのです。 人民が命を軽んじてしまうのは統治者が自らの保身ばかりに目がくらんでいるからなのです。 生きることのみに汲々としている人より、生に対して淡々としている人の方がまさるのです。

                     

 この章には「貪損(どんそん)」というタイトルが付けられることがあります。つまり権力者に対し「貪欲をいましめる」ということでもあり、謙虚さをも求めています。

                          

 坂城町長 山村ひろし

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12/10/30 17:21

老子の続き(第74章)

 この章はいわば老子の「刑法論」ですね。

 前章の「天網恢恢」と同じように天が裁くということでしょう。

                                             

 民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。常有司殺者。夫代司殺者、是謂代大匠斲、夫代大匠斲者、希有不傷手矣。

                                      

 民(たみ)死を畏(おそ)れずんば、奈何(いかん)ぞ死を以(も)って之を懼(おそ)れしめん。 若し民をして常に死を畏れしめて、而(しか)も奇(き)を爲(な)す者は、吾(われ)執(とら)へて之を殺すことを得ば、孰(た)れか敢えてせんや。 常に司殺(さつ)者有り。 夫(そ)司殺者に代る、是れを大匠(だいしょう)に代わりて斲(き)る謂(い)ふ。 夫(そ)れ大匠に代わりて斲る者は、手を傷つけざる有ること希(な)し。

                                       

 人民が絶望感、あるいは捨て鉢な気持ちになって死を恐れなくなってしまったらどのようにして死刑などの刑罰を恐れさせることができるのでしょうか。 逆にもし人民が死を大変恐れているのに、犯罪を犯した場合に、私が捉えて死刑にすることも出来るのですが、そうすると罪を犯す人が少なくなるかも知れません。 しかしながら、世の中には自然の道理として犯罪を犯した者が自然と死に至るような摂理が働くのです。 その死殺者に代わってあえて処分をしようとする者は、あたかも優秀な大工にかわって木を切るようなもので、必ず手を傷つけてしまうことになるのです。

                           

 老子流に言えば、犯罪を犯したものに対する刑罰についても大きな自然の動きの中で自然に淘汰されるということですね。

 無闇に天に代わって、あるいは「道」に背いて安易に死刑などの執行をしては「自ら手を傷つける」ということですね。

                           

 坂城町長 山村ひろし

                        

 

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12/10/23 19:48

老子の続き(第73章)

 「勇敢」という言葉がありますが、果たしてそれで良いのだろうか。 老子の問いかけです。 

                                  

 勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。

                                   

 敢(かん)に勇なれば則(すなわ)ち殺(さつ)、不敢に勇なれば則ち活(くわつ)。 此の兩者、或(ある)いは利或いは害。 天の惡(にく)む所、孰(たれ)か其の故を知らん。 是(ここ)を以て聖人も猶(な)ほ之を難(かた)しとす。 天の道は、爭わずして善く勝ち、言わずして善く應じ、召さずして自(おのずか)ら來たり、繟然(せんぜん)として善く謀る。 天網(てんもう)恢恢(くわいくわい)、疏(そ)にして失はず。

                                      

 あまりにも果敢に行動する者は死に至り、慎重な態度をとっている者は生きながらえることが出来ます。 この両者の生き方にはそれぞれ利害があります。 しかし天の判断するところを誰が知ることが出来るのでしょうか。 この点から、聖人と言われる人にとってもその判断は難しいのです。 天の道は争わずして勝ち、言わずとも応答し、呼ばないのに到来したり、ゆったりと物事を最善の方法で裁くのです。 天の法網といわれているものは大変大きく、目も粗いのですがしっかりと見ていて、何事も捉えられないことは無いのです。

                                

 「 天網(てんもう)恢恢(くわいくわい)、疏(そ)にして失はず。」

 これも有名な言葉ですね。

 最近、何十年も指名手配だった逃亡犯が捕まっていますが、正に、「天網恢恢、疏にして失はず」ですね。 政治の悪いところも御目こぼしなく矯正してもらいたいものです。

                            

 坂城町長 山村ひろし

 

                   

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