11/11/06 05:19

老子の続き(第21章)

 この章では、徳を持った人はどんなふるまいをしているのか、また、「道」とはどんなものなのかを説明しています。 抽象的なものを老子流の言い回しで解説をしています。

 

  孔徳之容、唯道是從。道之爲物、唯怳唯忽。忽兮怳兮、其中有像。怳兮忽兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚眞、其中有信。自古及今、其名不去。以閲衆甫。吾何以知衆甫之然哉。以此。

  

 孔徳の容(よう)は唯(ただ)道に是れ従う。 道の物たる、唯怳(こう)、唯忽(こつ)。  忽たり怳たり、其の中(うち)像有り。怳たり忽たり、其の中物有り。  窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中精有り。其の精甚(はなは)だ眞にして、其の中信有り。  古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名去らず、以て衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。  吾れ何を以て衆甫の然るを知るや、これを以てなり。

 

  本当の徳を備えた人はひたすら道のありように従っています。 ただし、道はまことにおぼろげでとらえにくいものなのです。 そのおぼろげな中にもなにかの形があり、そのぼんやりした中になにかの物があります。 影のように暗い中に何かの精のようなものがあります。 その精はまことの真でありその真の中に確かなものが存します。 大昔より現代にいたるまで道は絶えることなく続いています。 すべての万物を統括しているのです。 私が何をもってその事実を知るかと言えばこの道のありようを見ているからなのです。
  
    ここでは、「道のありよう」を述べていますが、何と言っても大自然を営々と総べている 「存在自体が説得力」 ということでしょうか。
   
  坂城町長 山村ひろし
 

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