13/07/25 00:42

坂城の100人 今回は「和算」の大家二人

 坂城の100人、今回は和算の大家二人を取り上げます。

 それは新町の市川佐五左衛門と大宮の菱田与左衛門です。(坂城の100人、19人目と20人目とします)

                  

 坂城町は北国街道の要衝ということもあり、数多くの和算の大家が訪れ、多くの弟子が育ちました。

 日本では飛鳥・奈良の頃すでに中国から「算木」が伝えられ、江戸時代には「算聖」といわれた関孝和が登場し、いわゆる「関流」が日本全国へ広がりました。

 坂城の和算の始まりは、中之条の中島彦衛門兼秀・兼等、親子、新町の小林沖右衛門といわれ、その後、数多くの達人を輩出しました。

 そのなかでも、双璧と言われるのが、新町の市川佐五左衛門、大宮の菱田与左衛門です。

 

  市川佐()()衛門()信任()(のぶとう)(1828〜1886)
                 
市川家は「京屋」という旅籠屋をいとなんでいました。
佐五左衛門は村の指導者的立場でもあったことから、土地の測量や境界問題解決のためにも数学への関心が深かったようです。
また、養蚕業をひろくおこなっていた関係で横浜に出向くことが多く、そこで関流の大家法導寺和十郎と親交をもち、和算に傾倒していきました。
安政2年(1855)に関流の見題和言免許をうけ、門弟は30余名にのぼり、数多くの和算書をのこしました。
明治9年(1876)の横吹新道築造にさいしては頭取となって力をつくしました。和算以外にも佐久間象山との交流や華道、謡曲などにも造詣が深く才能豊かな人物でした。
                  
菱田()()()衛門()眞明(1835〜1888)
             
菱田与左衛門は佐五左衛門と親交があり、そのため市川家に滞在していた法道寺に和算を学びました。
与左衛門は研究心旺盛で、三日くらいは寝食を忘れて和算の解題に没頭したり、坂城神社大鳥居前の大杉の高さを算出し、実際に木に登って実測することでその計算の正しさを証明したといわれています。
また、測量の力を駆使して、横吹新道の開削にも尽力しました。
                 
                  
                    
上:北日名の天幕社(てんばくしゃ)に収めた算額オリジナルの写真、下は複製したもの。(坂木宿 ふるさと歴史館所蔵)
この算額は市川佐五左衛門と菱田与左衛門が連名で各々2つの問題とその解を記述しています。
二人とも、観山法道寺善門人とし、関流正統八傅とあります。
                 
                
坂城の和算の歴史については「坂木宿 ふるさと歴史館」2階に展示がされていますので是非お出でください。
                     
                      
坂城町長 山村ひろし

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13/07/10 05:00

坂城の100人 18回目は 滝澤公庵です

 今までに、江戸末期の坂城で高名だった文人として女流の歌人、藤澤雨虹や沓掛なか子をご紹介しましたが、今回は同じ時期に活躍した男性の登場です。

                     

 (以下の資料は鉄の展示館宮下学芸員から提供いただきました。)

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 滝澤公庵(こうあん) 1773(安永2)〜1847(弘化4)年
                            
 滝澤公庵は江戸時代後期の医師で、本草学や国学・和歌(坂城の国学の先駆者)など多岐に亘って活躍した人物です。
                     
 鼠宿村に生まれた公庵は、若い頃江戸へ出て武田叔庵について医学を学ぶかたわら、詩歌と本草学を修め、帰郷して医業を開きました。
                         
 家に松の大木があったので松酒家と号し、名を木公庵と改め、後に略して公庵といいました。暇があれば山谷を歩いて本草学を研究し、一木一草名知らないものはなかったといいます。
 庭に多くの薬草を植え、薬種を作ったりしました。
                      
 天保の飢饉の時、藩命によって村を巡回し、救荒植物栽培を指導した功によって苗字帯刀を許されました。
                        
 国学者飯塚久敏や()荒木田久老(ひさおゆ)が北信濃を来遊した際、和歌の指導を受け、同門の沓掛なか子らと交わり、歌集『松のいほり』二巻を残しました。
            
  紀行の歌の中に
        
   みつくりの中山道は冴にけり 浅間おろしの雪の夕暮れ
            
 一重山のほとりに旅寝して
                   
   秋さむみ旅の衣のひとへやま 重ねまほしく嵐ふくなり
                         
                             
 

万葉防人歌碑(マンヨウサキモリカヒ)

 坂城南端の南条、会地早雄(おおちはやお)神社の境内にある万葉歌碑。

 滝沢公庵により天保年間に建立されました。

                    
           
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 以上、滝澤公庵のご紹介をしました。
                      
 現在、坂城町 「ふるさと歴史館」 の一階で 『パネル展 「坂城町の偉人」 〜近世の文人墨客〜』 で 坂城町の偉人たちとして、文人墨客15名を紹介していますので、こちらもご覧ください。
                                  
            
 坂城町長 山村ひろし

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