13/08/31 01:18

坂城の100人 第23回目は佐藤嘉長

 坂城の100人 23回目、今回は再び江戸時代に戻り、「常山隄」を構築した、佐藤嘉長です。

 嘉長は当時有名な河川管理の技術者だったようで、坂城町以外でも河川改修に関して佐藤嘉長の名を見ることができます。 (静岡県富士川近くの水神社にある「不儘河修堤碑」など。)

                    

 まず、「常山隄」の概略を説明します。(坂城町教育委員会、常山隄碑説明資料から)

               

            

(説明文)

 「天保12年(1841年)の大洪水でこの地籍の耕地は壊滅に瀕した。

 幕府は、代官所(代官:石井勝之進)を通じた農民の復旧の請願を受け、直ちに佐藤嘉長を派遣した。 嘉長は5年の歳月を費やして弘化2年(1845年)に彼の命名になる常山隄を完成した。

 その工法は、川筋に対してほぼ直角に突出し長さ300メートル、基礎を大石で築き、堤端は畳石という巨岩を置いた堅牢無比の構築であった。 そのため千曲川の流路は西方へ移り、広大な耕地を守ることができた。

 堤上には祠を立て、毎年祭りの行事として村人それそれが大石を水中に投じ堤端を補強することとした。

 孫子の兵法書によれば、常山にすむ蛇は頭を打たれれば尾が、尾を打たれれば頭が、それぞれを救うという故事から、この堤も洪水がどこをついても崩れない、と嘉長は説いた。

 村人は嘉長の功績と常山隄の由来とを永く後世に伝えるためこの碑を建立した。」 

 

 次に、佐藤嘉長が名づけた「常山隄」について述べます。

                     

 「常山」は孫子の有名な戦略論の「九地」の中に出てきます。

 孫子は戦には戦場に応じた戦い方があるとして、「九地」、九つの地形に分けた戦い方を挙げています。

 それは、「散地」、「軽地」、「争地」、「交地」、「衢地」(くち)、「重地」、「圮地」(ひち)「囲地」、「死地」があるといっています。 各々についてここでは詳しく説明はしませんが、兵士が機敏に対応することに大切さを説明するために 「常山」の蛇について説明しています。

                   

 「常山の蛇」

 故善用兵者、譬如率然。率然者常山之蛇也。撃其首則尾至、撃其尾則首至、撃其中則首尾倶至。

 故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。 率然とは常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。 

 そこで、兵士たちをうまく統率する者というのは、たとえば卒然のようなものである。卒然とは、常山にいるという伝説上の蛇のことだ。

 その蛇の首を攻撃すると尾が迫ってくる。尾を攻撃すれば頭がくる。胴体をせめれば頭と尾が同時にかかってくる。

 ということなのですが、さらに孫子は、この常山の率然という蛇のように兵士を統率できるのかという例として挙げているのが 「呉越同舟」 という言葉です。

 つまり、「呉」と「越」のように敵対している国の兵士が同じ船に乗り合わせ、暴風に出会い、船が危ないとなればこの呉越の兵士が否が応でも左右の手のように助け合うことになる。 このように一致団結できるような用兵策が重要であるといっています。

                      

常山隄の現在(平成25年8月)

                   

昭和7年の常山隄

                       

常山隄碑                 

                       

常山隄の図(中央縦の四角い部分が常山隄中心部)

 右のほうが千曲川上流で、洪水時に常山隄に直角にぶつかり図の下方へ流れ町を保護する。

                  

 以上、常山隄を作り長く村民に慕われた河川工事技術者 佐藤嘉長の話でした。

                          

 坂城町長 山村ひろし              

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13/08/30 07:45

川村真二さん 2年越しの講演会

 昨日(8月29日)、坂城テクノセンターで川村真二さんの講演会が開催されました。

 実は昨年ほぼ同じ時期に開催をする予定でしたが、都合により中止になり今回2年越しの開催となりました。

 川村先生とは約30年くらいお付き合いをいただいておりますが、リーダーシップ、マネジメントなど教育面で大変お世話になりました。

 また、川村先生は歴史、特に戦国武将の研究も奥深くされておられ恩田木工、真田信之、福沢諭吉などの小説も書かれています。

 今回の講演会では「戦国武将に見るリーダーの条件」というテーマで分かりやすくお話をしていただきました。

挨拶と講師の紹介をする山村

以下、講演会の内容について坂城町のホームページから

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8月29日(木)坂城経営フォーラム 川村真二氏

川村真二さん01

▲川村真二さん

8月29日(木)、坂城テクノセンターで、さかきテクノセンター役員、ニューリーダー研究会会員、坂城町経営革新塾会員、能力開発学院役員などを対象とした平成25年度第2回坂城経営フォーラムが開催されました。

講師には、リーダー・ビジネス研究所代表で、経営教育コンサルタント、作家など様々な分野でご活躍されている川村真二さんをお迎えし、「戦国武将にみるリーダーの条件」を演題にご講演をいただきました。

川村さんによると、約150年続いた戦国時代は、まさに「命がけの時代」で、数々の素晴らしい武将が生まれた時代でもあったそうです。特に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は稀代の名将で、彼らがリーダーとして優れていたものを、現代のリーダーも備えることができれば、「優秀なリーダー」になれると話されました。それは、強い責任感、はっきりした思想(ビジョン)、巧みな戦略、マネジメント力(リーダーシップ力)、よい人材の獲得(育成)などだそうです。
また、「今日は何が上手くいったのか、それはなぜ上手くいったのか」「今日は何が上手くいかなかったのか、それはなぜ上手くいかなかったのか」と常に反省することも大事だそうです。川村さんは、『「あなたがいたおかげで、今日の私がある」とまわりの人間から思われるようなリーダーになりましょう』とおっしゃり講演を締めくくられました。

川村真二さん02 

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 坂城町長 山村ひろし

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13/08/27 19:10

アンリ・マルトーのお話し(坂城町にも関係あり?)

 アンリ・マルトー (Henri Marteau) というフランス生まれの天才ヴァイオリニストの存在を最近までよく知りませんでした。

戸張通子さんの著書:「マルトー」

カバーメッセージは 櫻井よしこ さん

                  

 アンリ・マルトーの経歴は以下のとおりです。

                    

 アンリ・マルトーHenri Marteau, 1874年 - 1934年)は、フランス・ランス出身でスウェーデンに帰化したヴァイオリニスト・作曲家。母親はクララ・シューマンに学んだピアニストで、父親も名の知れたアマチュアのヴァイオリン演奏家だった。

 幼少期からヴァイオリンに興味を示し、音楽を愛する両親の奨めで、フランス国内で音楽を学んだ後、10歳でハンス・リヒターの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演して公式デビューを果たし、さらにドイツ各地とスイスで演奏旅行を行なった。1888年には、やはりリヒターとの共演でロンドン・デビューを果たす。1892年にパリ音楽院で首席となり、マスネから作品を献呈された。1893年と1898年にはアメリカ合衆国で、1897年から1899年までロシア帝国で演奏活動を行なっている。

 20世紀に入ってからは教育活動に専念し、まずジュネーヴ音楽院で教鞭を執った後、ヨーゼフ・ヨアヒムの没年に、ベルリン高等音楽学校に選任されて、同校ヴァイオリン科主任教授に就いた。作曲家としては、フランス語のカンタータ《ジャンヌ・ダルク》を残した。ドイツ時代にはマックス・レーガーと親交を結び、その影響で室内楽の作曲も手がけた。中でも《クラリネット五重奏曲》は、近年になって録音も行われている。第一次世界大戦が勃発して、母国と第二の祖国が戦火を交えるに至ると、スウェーデンに渡り、同地でスカンディナヴィア楽壇の発展に貢献した。北欧における彼自身と門人の演奏は、近年になって音源が復刻されている。(ウィキペディアより)

                   

 ということなのですが、1934年に亡くなっていることもあり、戦前の録音があまり残されていません。

 また、来日する機会も無かったことから、日本ではほとんど知られない 「天才ヴァイオリニスト」 でありました。

 10歳でデビューしたことから、とにかく錚々たる作曲家、演奏家との交流が長く、バイロイト音楽祭で指揮する晩年のワグナーとも接しています。(後年、ワグナー家の財政支援なども行っています)

 卓越した演奏ぶりは当時の最高峰といわれた、ヨーゼフ・ヨアヒムの後継者と言われておりました。

 また、その人間性が素晴らしく、多くの芸術家との交流も幅広いものがありました。

 最近、戦前のSPレコードを復刻したいくつかのCDが発売され、わたくしもその演奏を聴きました。

 アンリ・マルトーの演奏については賛否あるのですが、わたくしはその素晴らしいヴィルトォーゾぶりと正確性のみならず大変なサービス精神にあふれた演奏がものすごい魅力だと思っています。

                     

 じつは、このように、アンリ・マルトーについて注目するようになったのは、今月(8月)初旬に、ドイツ在住の戸張通子さんから一通のファックスをもらったことによります。

 戸張さんはわたくしのことを友人を経由して、現在、坂城町にいることをお知りになりファックスでご連絡をいただきました。

 戸張さんとは東京、文京区の中学校の同級生でした。

 卒業以来52年ぶりに連絡をいただいたので大変びっくりしました。

 現在、戸張さんはドイツ国籍を取得され声楽家(メゾソプラノ)として活躍をされています。

 そして、戸張さんが20年をかけて研究されてこられたのが この「アンリ・マルトー」 だったのです。

 アンリ・マルトーのご長女とも個人的に大変親しくされ、「マルトー  大作曲家たちを虜にした世紀の大ヴァイオリニスト」 という本を2010年に出されました。

 アンリ・マルトーについて、その素晴らしい生涯を20年にわたり研究され出版されたものです。

 是非とも、多くの方に読んでいただきたいと思います。

 また、2011年には日独友好150周年を記念したコンサートをドイツで開催されました。(富士通もスポンサーになっていたようでしたが、知りませんでした。)

                        

戸張通子さんのコンサートパンフレット

日独友好150周年記念のコンサート(2011年)

「日本歌曲の夕べ」(平井康三郎、丈一郎曲集)

                  

 このコンサートのプログラムにお祝いのメッセージを書かれているのはチェリストで作曲家の平井丈一郎(たけいちろう)氏です。(平井丈一郎氏は作曲家 平井康三郎氏の息子さんですが、康三郎さんはアンリ・マルトーの弟子のローベルト・ポラック教授に東京芸大でバイオリンを習っていますので マルトーの孫弟子にあたります。)

 以下、些か長文ですが、戸張通子さんの紹介も含まれていますので平井丈一郎氏のお祝いのメッセージ全文を紹介させていただきます。

                     

 『この度、日本生まれのドイツ人メゾソプラノ戸張通子さんが平井康三郎、丈一郎親子の作品を集めて 「日本歌曲の夕べ」 を開催されることは、日独友好150周年という輝かしい年を記念するにふさわしい立派な企画であり、心から喜ばしく思います。

 皆様既にご承知の通り、Frau Michiko Tobariは永年にわたり独日友好の掛け橋たるべく、情熱を傾け、いのちをかけて貢献されてきた方であり、まさに今回彼女による記念コンサートが開催される必然性は誰もが認めるところでありましょう。

 日本の代表的作曲家である父、康三郎は来年で没後10年になりますが、歌曲の場合、言葉の壁が存在するにせよ、私共父子の作品は、日本的でありながらも世界共通の音楽的言語で作曲されており、その点親愛なるドイツの皆さまにも十分理解し、親しんでいただけるものと確信しております。

 今夜のコンサートの大成功と、これを契機に日独友好が更に深まることを祈念し、私のお祝いの言葉といたします。』

                       

 以上、アンリ・マルトーと戸張通子さんのお話でした。

                     

 また、最後に坂城町との関係でいうと、実は坂城中学校の校歌はこのアンリ・マルトーの孫弟子にあたる平井康三郎氏が作曲しています。 作詞は康三郎氏とコンビで数多くの名曲を作った、勝承夫(よしお)氏です。

 この二人で戦後、日本全国の数多くの校歌を作っています。

                      

 私は、今回、中学校の同級生でドイツ在住の戸張さんから連絡を受け、「戸張さん」・・「アンリ・マルトー」・・「平井康三郎、丈一郎親子」・・「坂城中学校校歌」という繋がりができたことにとても不思議な、気持ちの良い思いをいだいています。                      

                     

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/25 11:11

坂城町総合防災訓練実施

 本日、朝(8月25日)、坂城町総合防災訓練実施が実施されました。

 一昨日来の豪雨のため、訓練実施予定の坂城小学校のグランドが使用不能となったため、小学校正門前で各自主防災会から避難訓練の報告をいただき、防災訓練を終了いたしました。

                        

各自主防災会長から報告を受ける山村

                 

 雨の中、坂城地区(四ツ屋・戌久保区を除く)の皆さん、自主防災会、消防団、関係団体など約500名の方に参加していただきました。

 以下、訓練の様子を坂城町ホームページから。

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8月25日(日)雨天の中、避難訓練を実施

H25総合防災訓練01

  8月25日(日)、坂城小学校を会場に、平成25年度坂城町総合防災訓練が実施されました。

  総合防災訓練は、毎年、南条、中之条、坂城、村上地区で順番に行っています。今年は、雨天のため避難訓練のみとなりましたが、坂城地区(四ツ屋・戌久保区を除く)の皆さん、自主防災会、消防団、関係団体など約500名の方が参加されました。

  恐ろしい災害はいつ起こるか分かりません。家庭でも、災害時の行動を相談しておく、非常時持ち出し品を用意しておくなど、備えておきましょう。

H25総合防災訓練02-03 

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 坂城町長 山村ひろし

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13/08/25 11:07

コーチング・コミュニケーション講座の実施

 昨日(8月24日)、文化センターで、長野県スポーツ少年団北信地区指導者・母集団育成研修会と、さかきふれあい大学教養講座を兼ねて、コーチング・コミュニケーションの講座が開催されました。

 大変分かり易く楽しくご指導いただきました。

 私も一緒になっていろいろなセッションに参加させて頂きました。

 以下、詳細は坂城町ホームページから

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8月24日(土)コーチング講座  竹内正美さん

竹内正美さん01

  8月24日(金)、文化センターで、長野県スポーツ少年団北信地区指導者・母集団育成研修会とさかきふれあい大学教養講座を兼ねて、コーチング講座が開かれました。

   講師には、サポートオフィス アン代表で、坂城町教育委員の竹内正美さんをお招きして、「やる気を引き出すコーチング・コミュニケーション」を演題に講義をしていただきました。相手のやる気を引き出すためには以下のことが必要だそうです。

  • まず相手と話して、共通点を見つけて安心感のある環境を作ること
  • ゴールを設定してそこに向かわせること
  • 相手の人格や過去の経歴・物語に興味を示すこと
  • 自己イメージを高めて自分に自信をつけることで、相手を認め、褒めることができるようになること

  講座は、参加した皆さんが実際に席の隣の方と話して、相手との共通点を探したり、相手の人格や物語を聞き、また、自分が過去に比べてできるようになったことは何かなどを考えて自己イメージを高めるなど、実践しながら進められました。

  竹内さんによると、これらを実践し、相手の話をよく聞き、夢を壊さず、相手が「絶対にできる」と信じることが重要だそうです。参加した皆さんからは、「実際に体験することができてとてもわかりやすかった」などと感想が述べられていました。

竹内正美さん02-03

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 坂城町長 山村ひろし

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13/08/24 04:34

平成25年度「刀職者実技研修会」開催

 平成25年度「刀職者実技研修会」が鉄の展示館横の坂城町中心市街地コミュニティーセンターで開催されました。(8月23日〜25日)

 本研修会は公益財団法人日本刀文化振興協会(会長:柳井俊二、理事長:本阿彌 光洲)の主催で開催され今年で6回目を迎えました。

 日本刀の製作にあたっては、作刀の技術はもちろんのこと、研磨、白鞘、白銀、柄巻きといった幅広い総合技術が必要です。

 今回の研修はこの5部門に分かれ、日本を代表する錚錚たる講師の指導のもと3日間にわたり実施されます。

 今回は日本全国から28名の研修生が参加されました。

 また、本研修会は平成25年度文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産を活かした地域活性化事業)に採択され、本日の開会式にも文化庁文化財調査官佐藤直子氏にお出でいただきました。

                      

中央:挨拶する山村、その左:宮入小左衛門行平刀匠(同協会専務理事)

左側:講師陣、右側:研修生

                  

 また、今回の研修会では、宮入一門の4名の弟子たちも講師陣の一角として指導にあたっています。 宮入刀匠の弟子を育てる指導力の素晴らしさにも敬意を表します。

 研修の様子はどなたでもご覧になれますので、是非、会場へ足をお運びください。

 以下、坂城町ホームページから

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8月23日(金)〜25日(日)刀職者実技研修会

H25刀職者実技研修会01

  8月23日(金)から25日(日)まで、中心市街地コミュニティセンターで、公益財団法人日本刀文化振興協会主催による平成25年度刀職者実技研修会が行われています。

  今年で6回目となるこの研修会は、日本刀に関わる伝統技術を継承し、高度の人材育成を目的に毎年開催されており、今年は「平成25年度文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産を活かした地域活性化事業)」の対象となりました。

  研修会には、全国から28名の研修生が参加し、作刀、研磨、白鞘、白銀(刀身の手元の部分に嵌める金具)、柄巻きの5部門に分かれて、日本のトップクラスに立つ講師の皆さんから熱心に技法を学んでいました。この研修会は、鉄の展示館に入館した方も見学することができます。日本刀を作る過程が見られる滅多にない機会ですので、この3日間のうちにぜひご来館ください。

H25刀職者実技研修会02

H25刀職者実技研修会03

H25刀職者実技研修会04

H25刀職者実技研修会05

  鉄の展示館では、9月14日(土)から10月27日(日)まで「第八回お守り刀展覧会」を開催します。宮入小左衛門行平刀匠の作品など、数々の素晴らしいお守り刀が展示され、会期中は様々なイベントも催されますので、ぜひ足をお運びください。

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 坂城町長 山村ひろし

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13/08/21 22:07

169系電車清掃活動ボランティア募集

 5月末に坂城駅横に設置された 「169系」 3両セット、熱烈なボランティアの皆様の後押し、ご提言を得てこのたび初めての試みとして 「169系電車清掃活動ボランティア」 を募集します。

 多くの方々に参加していただけることを期待しています。

 詳細は以下の坂城町ニュースをご覧ください。

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169系電車清掃活動ボランティア募集

 

  9月22日(日)午前10時〜午後5時まで、坂城町169系電車の清掃活動を行います。ボランティアとしてお手伝いいただける方を募集します。ご協力いただける方は、8月30日(金)までに、メール、FAX、TEL等で坂城町まちづくり推進室までご連絡ください。

  ボランティアなので、費用弁償はできません。昼食(弁当)を用意する程度ですが、よろしくお願いします。

応募及び問い合わせ先

  応募用紙にご記入いただき、直接提出いただくか、郵送、FAX・メールで送信してください。

  • 応募用紙    こちらからダウンロードしてください
  • 提出先
    〒389-0692  長野県埴科郡坂城町大字坂城10050
                坂城町役場  企画政策課  まちづくり推進室
    TEL:0268-82-3111(内線241)
    FAX:0268-82-8307
    メールアドレス:machizukuri@town.sakaki.nagano.jp


展示箇所

  • 地図(Google Map)


大きな地図で見る


 

問い合わせ先

坂城町役場  企画政策課  まちづくり推進室

TEL  0268−82−3111(内線241)

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 坂城町長 山村ひろし

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13/08/21 01:20

坂城町名勝繪葉書全セット

 先日、昭和7年の「村上義光公600年祭」事業の1つとして発行された 「坂城町名勝繪葉書」 について記述しました。

 これは、伊豆にお住まいの久木野和暁さんが東京町田の骨董屋でお求めになったものをお送りいただいたものです。(ありがとうございました。)

 しかしながら、これは残念ながら10枚セットの内、9枚のみでした。

 ところが、インターネットサイトで10枚セットの同一のものを発見し、購入しました。(価格は5200円。これが高いのか、安いのか?)

 前回のセットの中に含まれていなかったのは 「葛尾城址ヨリ坂城町」 というものでした。

 葛尾城址より見える、旧坂城町役場、木造の昭和橋、現在の18号国道の無い町並み、などなど興味があります。

 以下、坂城町の風景以下全10枚を掲載します。

                       

                 

葛尾城址より坂城町を望む

                       

葛尾城址より鏡台山を望む

                   

磯部堤防より葛尾城址を望む                   

葛尾城址より温泉地方を望む

                          

姫城紀念塔

                      

坂城町北日名十三度権現

                         

坂城町より招魂社・飯繩奇巖を望む

                     

坂城町大英禪寺の櫻花

                   

坂城町御所澤塔の平(村上氏墓地)

               

坂城町常山堤と昭和橋

                    

 葉書に消印でなく押されたスタンプをよく見ると、「姫城紀念塔」と葛尾城址に作られた「葛尾城址紀念塔」が書かれていますね。

 これにも当時の意気込みが感じられます。

 今回ご紹介した絵葉書は「第2輯(しゅう)」です。

 どなたか、「第1輯」をお持ちの方がおられたらご連絡いただければ幸いです。

                      

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/20 04:48

坂城の100人 第22回目は 村上義光(よしてる)

 坂城の100人 第22回目は村上義光(よしてる)公です。

 たまたま、先日(8月16日)、昭和7年の絵葉書について触れましたが、これが村上義光公600年祭の際に作られたものであることを述べました。

                                 

http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=33112

                       

 今回はこの村上義光公について記述します。(坂城町「ふるさと探訪」から引用記述します。)

 村上義光、義隆親子について、戦前では国定教科書に記述されていたほど有名な人物でありました。

 義光公の概略は以下のとおりです。

                       

 村上義光(よしてる)()

 生年不明〜1333(元弘3)年 
 信濃村上氏の一族。村上信泰の子で通称を彦四郎と称したが、後に左馬権頭に任じられた。
 元弘の変に護良(もりよし)親王に従い、南都から紀伊国十津川に逃れてこの地の土豪を頼ったが、北条氏の命をうけた熊野別当定遍の探査を避けて十津川を出て後に吉野山に入って幕府軍の攻撃を防いだ。
 元弘3年(1333)年閏2月1日吉野城は落ちたが、この時義光は子の義隆とともに親王の脱出をはかるため、親王の身代わりとなって敵の目前で壮烈な自害を遂げた。
                          

 また、「太平記」にはその自害の状況が次のように記述されています。

 『「われこそは大塔宮護良(もりよし)親王である。 今ここに自害するから、最後のありさまをよく見てお前たちが武運尽きて、腹切るときの手本にせよ。」と大声で叫んで腹一文字にかき切り、返す刀を口にくわえてうつ伏せになって息絶えた。 この間に大塔宮は天河村の方に落ちのびてゆくが、父とともに討死にしようとして父に諫められた村上義隆は、なおも追いくる敵勢を防いで満身に傷を負い、小竹の藪ににかけこみ割腹して果てた。』

                     

「太平記」 巻第七より(國學院資料より)

                    

 戦前の歴史、国語の教科書には「村上義光」「錦の御旗」の題名で取り上げられ、全児童の学ぶところでありました。

                     

村上義光 『前賢故実』より(ウィキペディア)

敵方に奪われた御旗を取り返す

                    

吉野山にある村上義光の墓(吉野観光ガイドより)

                   

 しかし残念なことに皇国史観のイデオロギーによる忠君愛国の事例として強調されてしまった。 戦後はその反動で忘れられてしまったが。「太平記」の文面をありのままに理解することが大切である。(「ふるさと探訪」より)

村上小学校の裏側に立つ歌碑

「死での山こゆるも嬉し天照らす神の遠裔(みすえ)の皇子(みこ)となのりて」

揮毫は東郷平八郎

                 

 また、村上小学校の校歌の第2番では 「芳野の山の 花と散り」(村上義光、義隆親子について)、さらに 「越路の雪に 埋みても」(村上義清) とあり、いまだに歌い継がれています。

                   

村上小学校校歌               

作詞 浅井 洌  作曲 青木 友忠

  一 源清く 末遠き
    千曲の川を 前にせる
     村上むらは 所がら
     人の心も すなおにて
     かせぎの道に いそしめば
     学びの業も 栄ゆなり

  二 芳野の山の 花と散り
     越路の雪に 埋みても
     知るきその名は 世に絶えず
     残る古城に み社に
     今も言いつぎ 語りつぎ
     
ありし昔を しのぶなり

  三 千曲の水の 清ければ
     さやけき月の 影ぞ澄む
     人も心の 正しくば
     やがてそうらん 身の光
     花の朝も 月の夜も
     励め学びの 窓の友

                       

                            

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/20 04:02

坂城高校ハンドボール部 インターハイの報告

 昨日(8月19日)、坂城高校ハンドボール部の監督、主将、ゴールキーパー、校長先生が先日開催されたインターハイの報告に来ていただきました。

 37年ぶりに出場し、初戦を突破、ベスト16に輝きました。

 以下、坂城町のニュースから。

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坂高ハンドボール部  インターハイでベスト16!

坂高ハンドボール部結果01

▲写真左から、田中浩校長、鴇澤蓮さん、山村町長、飯島良太さん、山本臣也監督

  坂城高校男子ハンドボール部が、7月30日(火)から8月4日(日)まで佐賀県で開催された「第64回全国高等学校ハンドボール選手権大会」に37年ぶりに出場し、ベスト16と好成績を収めました。

  本日は、田中浩校長、山本臣也監督、キャプテンの飯島良太選手、ゴールキーパーの鴇澤蓮選手が山村町長を訪問され、全国大会の様子や試合で感じた手応えなどを報告してくださいました。

  全国大会では、1回戦はシードとなり、2回戦で滋賀県立彦根東高校と対戦し、25対21で初戦を勝利で飾りました。しかし、準々決勝進出をかけた3回戦で、関東王者の茨城県立藤代紫水高校を相手に善戦しましたが、惜しくも敗れてしまいました。飯島キャプテンは、全国大会でも自分たちのプレーが通用したと手応えを感じたそうです。この経験を次に活かし、また全国の舞台に立てるよう頑張ってください!

坂高ハンドボール部結果02

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 今後ますますのご活躍をお祈りします。

                          

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/19 08:29

千曲川イカダ下り大会(坂城チームも参加)

 昨日(8月18日)、「千曲川イカダ下り大会」が開催されました。

 2004年を最後に中断されていたものを一昨年から有志の皆さんで再開したものです。

 ルートは千曲市の万葉橋から千曲橋までの約7.5キロです。(約2時間程度かかります)

 かつては坂城大橋を出発点として坂城町、千曲市の大きな行事として開催されておりましたが種々の理由で中断されていたものです。

 今回は全部で15チームの参加がありましたが、坂城町からは1チームのみでした。(チーム・タオ:大橋俊之さんほか)

開会式と選手宣誓(宣誓は坂城の大橋隆夫さん)

              

続々チームが集合

坂城チーム(「タオ」)

                   

着水する坂城チーム:タオ号

              

快走する坂城チーム

                 

 このレースの特徴は、単にスピードを競うだけでなく、「隠しタイム」との時間差で順位を決めるため、必ずしも短時間で完走したチームが優勝はできないことです。

 我が坂城チーム「タオ号」は、リタイアするチームが続出する中、悠々と完走しましたが残念ながら特別に賞をいただくことはできなかったようです。

                

 「イカダ下り」なかなか素晴らしいものです。

 来年はもう少し、坂城町も共催という形がとれないか、あるいは、昔のように出発点をもう少し上流の坂城側(坂城大橋の付近)に出来ないか、相談したいと思っています。

                  

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/16 09:39

坂城町昭和7年の「名勝繪葉書」

 先日、ある方から昭和7年発行の「坂城町名勝繪葉書」をいただきました。

 その方の友人が東京の骨董市で入手されたとのことです。

 この絵葉書は10枚セットなのですが、いただいたものは残念ながら9枚のみでした。  (骨董市で買われた際の代金は500円だったそうです。)

 しかしながら、この写真を見ると当時の坂城町の風景が如実に分かり大変感激しました。

 さらに調べてみると、びっくりしたことに、この絵葉書が単に観光目的で作られたものではなく、その当時大々的に企画された 「村上義光公六百年祭」(没後600年)の一環として、坂城町史跡勝地保存会の事業として推進されたものの一つだということが分かりました。

                       

坂城町史蹟勝地保存会の事業内容                  

かなりの大事業だったことがわかります。

中段に「坂城町名勝絵葉書」の発行の記述があります。

(坂城町誌下巻歴史編より)

                        

村上義光公六百年祭の様子 (葛尾城址本丸にて)

(坂城町誌下巻歴史編より)

                     

 村上義光(よしてる)公については別途、坂城の100人の中で取り上げる予定ですが、簡単にご紹介すると以下のとおりです。

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 村上義光(よしてる)()
 生年不明〜1333(元弘3)年
 信濃村上氏の一族。村上信泰の子で通称を彦四郎と称したが、後に左馬権頭に任じられた。
 元弘の変に護良(もりよし)親王に従い、南都から紀伊国十津川に逃れてこの地の土豪を頼ったが、北条氏の命をうけた熊野別当定遍の探査を避けて十津川を出て後に吉野山に入って幕府軍の攻撃を防いだ。
 元弘3年(1333)年閏2月1日吉野城は落ちたが、この時義光は子の義隆とともに親王の脱出をはかるため、親王の身代わりとなって敵の目前で壮烈な自害を遂げた。
                  
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 昭和7年頃は戦時下にあり、坂城町でも国威発揚の国民教化策の一環として「村上義光公六百年祭」 「葛尾城址保存事業」が大々的に「挙町一致」で実施されました。
                                     
 以下、坂城町名勝繪葉書から表紙を含めて4枚ご紹介します。
                     
絵葉書集の封筒表紙
発売所が「佐藤写真館、山根屋書店」とあります。
                    
                    
「姫城紀記念塔」
                     
山頂右側に白い塔が見えます。私は初めてこのような塔が姫城に作られていたことを知りました。(戦中の物資供給要請により撤去されたそうです)
                    
                        
                         
千曲市磯部側から見た、姫城、葛尾城の風景
                           
磯部の上部の方まで見事に耕作されている様子が見えます。
桑の木でしょうか。いくつかの東屋も見えます。
現在では、全くの山地となっているところです。
                      
                      
                         
坂城町常山堤と昭和橋
                         
 常山堤の堤防の様子がはっきりと分かりますね。後方には木造の昭和橋の姿も見えます。 (常山堤については別途詳しく記述する予定です。)
                  
 今回、偶然に81年前の絵葉書を拝見し坂城町の「名勝」について大いに思いを馳せました。
 これからの町づくりに大変参考になりました。
 なお、これらの絵葉書は拡大コピーをし、しかるべき場所に展示したいと思っております。
                              
 坂城町長 山村ひろし

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13/08/15 13:05

成人式挨拶(平成25年8月15日)

坂城町では、成人式を毎年、8月15日に開催しております。
                                  
今年の成人式該当者は197名で、内、本日出席された方は152名です。
(ただし、10ヵ月のお子さんをつれてこられた方もいらっしゃり、参加者は153名となりました。)
                       
                     
本日の成人式は実行委員会の皆さんのご努力もいただき、和やかな中、厳粛に執り行われ、大変素晴らしい式となりました。
                   
                    
                       
                      
私の挨拶を以下に掲載させていただきます。
                  
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成人式挨拶(平成25年8月15日)
 
皆さま今日は。
                  
ただ今ご紹介いただいた坂城町長の山村です。
本年、成人を迎えられた皆様おめでとうございます。
一言ご挨拶を申し上げます。
また、本日、ご多用のところ本式典においで頂いた、柳澤澄坂城町議会議長殿を始め多くのご来賓の皆様に御礼を申し上げます。
 
さて、本日、成人式を迎えられた皆様の中にはすでに社会に出て働かれておられる方、学生の方、働きながら勉強をされておられる方々がおられます。
又、坂城の中で家業を継がれておられる方、遠く坂城をでて活躍されておられる方々などいろいろな立場で本日お出でになっておられると思います。
 
坂城町では、例年、8月15日の終戦記念日に成人式を行っております。
先ほど黙祷をしていただきましたが、これは戦没者の皆様に対するものだけでなく、すでに2年半を経過した東日本大震災、長野県北部大地震など大変大きな災害で被害を受けられた方々に対するものでもあります。
また、災害という意味では、本年も日本各地で集中豪雨による被害、あるいは猛烈な暑さ、まさに異常気象と言われることが起き続けています。
幸い坂城町ではここ数年大きな災害はありませんが、いつ何時訪れるかもしれない災害に対して万全の準備を怠ることはできません。
 
本日の会場後方で被災を受けられた方々への義援金の受付を行っております。
また、坂城ライオンズクラブの皆さんがアイバンク(献眼)の登録も行われておられますのでご協力いただければ幸いです。
 
さて、皆さんが生まれ育って来られた平成は今年で25年となったわけでありますが、この間「失われた20年」「不況、デフレの20年」と言われ続けてきたわけでありその中で皆さんは生きてこられたわけであります。
                      
昨年の今頃は野田前首相が、消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法を可決・成立させました。
民主党、野田政権は遠い昔のような気がしますが、わずか1年前のことであります。
歴史というものはこのようにどんどん上から塗り重ねられて行くものであります。
昨年末の総選挙で圧倒的多数の中で自民党、公明党の連立政権が成立し安倍内閣が発足し、早くも9ヶ月が過ぎ、また、先月の参院議員選挙でもこの流れの中、民主党の大敗、自民、公明の大勝という形となり、参議院でのねじれが解消されました。
経済成長率もようやく上向き始め、新たな時代への息吹が感じられるようになりました。
皆様方はこのなか、まさに歴史の大きな節目の中で成人式を迎えられたことになります。
 
本日、8月15日は、約310万人と言われる大勢の戦没者の方々の命を失った第二世界大戦が終結し今年で68年目を迎えました。
 
本日、成人式を迎えられた皆様方にも、もう一度先の大戦についての歴史を学んでいただきたいと切に希望します。
 
毎年お話をさせていただいているのですが、皆様は人の命の大切さ、ご両親から頂いたこの命の大切さについてどう考えておられるでしょうか。
                     
私は「命」は大自然からお借りした大切な「宝物」だと思っています。 
皆さんの命は皆さんのご両親が突然作り出したものではありません。
皆さんのご両親、ご両親のご両親、どんどん遡れば地球誕生から約46億年、宇宙の起源から考えれば約130億年前から営々と皆様のDNAが脈々と続いてきているわけであります。
大自然からお借りした「命」を立派に立派に磨き上げ再び大自然にお返ししなくてはならないのです。
仮に、皆さんが友人からゲーム機を借りたとします、これを傷だらけにして汚して、きたないままで返したら皆さんの友人は何と思うでしょう。
借りた時以上に見事に磨き上げピカピカにして返したら皆さんの友人は何と喜ぶことでしょう。皆さんの「命」もこのようにピカピカにして命を全うし、大自然にお返ししなくてはならないのです。
 
今から70年前、戦時中では成人するということは即、戦場に行くということでありました。敵と戦うということであります。見も知らぬ人間の命を奪う戦いをせざるを得ないということであります。
 
一昨年の成人式の際に私は皆さんと同年代で、航空特攻隊として昭和20年まさに終戦の年に、国家に命をささげた二人の若い兵隊の遺言を読みました。
また、昨年は、上原良司さんという南安住郡穂高町に生まれ、松本中学校(現、松本深志高校)を卒業し、慶応義塾大学の経済学部へ進み昭和20年5月沖縄嘉手納湾上で米海軍機動部隊に突入戦死した方の遺言書を読みました。
 
 今年は、このような遺書を読むことはいたしませんが、たまたま、現在、戦争に関連した映画がいくつか上映されていますので、この点に関してすこしお話をさせていただきます。
                     
まず、「風立ちぬ」です。 ・・・風立ちぬ、いざ生きめやも・・・
                  
すでにご覧になった方が多くいらっしゃると思いますが、宮?駿監督のアニメで、昭和12年に発表した堀辰雄の小説「風立ちぬ」と零戦を開発した堀越二郎の二人を合体し、新たな「二郎」を創りこの主人公を中心にした素晴らしいアニメ作品であります。
                        
宮崎駿監督の言によれば 「自分の作ったアニメを見て初めて泣いた」 という作品だそうです。
                    
昭和10年ころというのはまだまだ本格的な戦争突入以前で、そこそこ民主主義が残っていて、文化的にも素晴らしい時代であったと言われています。
                      
この合体した「二郎」には、宮?駿さん自身もあわせ作られているのでしょう。
                   
反戦のアニメではありますがフィクションと事実が折り重ねられた素晴らしい夢のある作品でもあります。
二郎の同僚の本庄と二郎が交わした会話、「俺たちは20年先のカメを追いかけるアキレスだ」という言葉にこの時代の日本の若者の意気込みが感じられます。
また、最後の部分で、夢の中に出てくるイタリアの飛行機製作者カプローニ伯爵が二郎に「君の10年はどうだったかね。力を尽くしたかね」の質問に二郎が「はい!終わりはズタズタでした」というセリフは非常に印象的です。
二郎が設計した零戦は名機と言われながらその優位を保ったのはわずか3年でしかなく、最終的には「飛び立った零戦は一機も戻ってこなかった」わけであります。
 
また、主人公のセリフはみなさんよくご存知の「エヴァンゲリオン」の監督をされている庵野秀明氏が話されており大変新鮮な感じがいたしました。
ところで、詳細は決まっておりませんが、来年、春に坂城町の鉄の展示館で「エヴァンゲリオン展」を開催する予定にしております。
楽しみにしてください。
 
さて、是非、皆さんには、今年成人式を迎えられたのを期に、「風立ちぬ」をはじめ、「終戦のエンペラー」、「少年H」をもあわせてご覧になったらと思いますし、百田尚樹さんの「永遠のゼロ」もお読みになられると素晴らしいと思います。
 
さて、ここから先は毎年申し上げているところでありますが、もう少しお聞きください。
 
「後生畏るべし」という言葉があります。これは、論語にある孔子の言葉で、「若者は大きな力を発揮する可能性を秘めているから、年下の者には敬意を持つべきだ」という意味です。いい言葉ですね。
 
その正反対によくない言葉は「今時の若い者は…」と若者を批判する言葉です。 なぜ年寄りがよくこのような言い方をするのかというと、一つには、新しい価値観についていけないことが挙げられます。
もう一つは、自分の世代の実績を否定されたくない、あるいは、昔の良い思い出だけを残したいという人間の心理です。だから、今よりも昔の方が良かったかのように錯覚するのです。
 「今時の若い者は…」という批判は、いつの時代にも出てきますね。 
数千年前のメソポタミヤの遺跡やプラトンも言っているようですが、もし、年寄りがそう感じるのが正しくて、どの時代もその前の時代よりも悪くなっているのであれば、世の中は太古の昔からどんどん悪くなり続けてきたはずですね。確かに、現在、人口問題、環境問題、原発問題、など、昔にはなかった問題が出てきています。しかし、人類は必ずそういう問題を乗り越えてきました。
大切なのは物事の本質をとらえ、しっかりとした未来を見据えることが出来るかです。
 
「物に本末あり、ことに終始あり」、物事の何がもとで何が枝葉末節かを常に考え、何から初めに手を付け、何を最後に行うかなどの順序付けが大切です。
常に物事の本質を考え行動しなければなりません。
そうすれば、皆様が築く未来は大いに明るい希望の持てる世の中になります。
「命」を大切にし前向きにチャレンジして頂きたいと思います。
 
 本日、成人式を迎えられた皆様方の今後の益々のご活躍に期待し、成人式のご挨拶とさせていただきます。
                  
                   
平成25年8月15日 坂城町長 山村弘
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成人式の写真など以下の坂城町ホームページより
                         
                                   
                                    
                 
坂城町長 山村ひろし

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13/08/14 12:00

「ピークシフト自販機」 が坂城町役場にも設置

 今月初めに 「びんぐし湯さん館」 に 「ピークシフト自販機」 が設置されましたが、昨日、この自販機が坂城町役場入口右側にも設置されました。

                  

                      

                    

 この自販機は、町全体での効率的なエネルギー利用を考える 「坂城スマートタウン構想」 の趣旨を北陸コカ・コーラボトリング?様にご賛同頂き設置されたもので、最新型のため全国的にもまだ設置例はあまりないそうです。
                      

 最大の特徴は、日中の電力需要が多い時間帯には冷却の電力を使わず、電力需要が少ない夜間に冷却し、昼間は自販機内の保冷剤と高性能断熱材により飲料が冷たく保たれることです。

 このように電力需要が大きい時間帯をずらすことを 「ピークシフト」 といいますが、日中には冷却をしないため、とても静かです

 また、役場に設置された自販機の裏側には 「備蓄水」 ボックスが置かれており、緊急時に飲料水をまかなう事ができます。

                     

この「備蓄水ボックス」には常時、500ml ペットボトルの飲料水が240本備蓄されています。

                     

 「坂城スマートタウン」 構想と災害対応のアイデアが結びついた好例です。

 今後も種々の新たな取り組みを考えて行きたいと思います。                            

                            

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/09 08:22

竹内希さんのザンビアだより(第8回目)

 坂城町南条出身で、現在、ザンビアでJICA派遣の理科の教師として活躍されている竹内希さんからレポートが到着しました。(第8回目)

 相変わらず元気満々でご活躍の様子です。

 2年のご予定なので残すはあと1年となりました。

 戻られたら、坂城の子どもたちにもいろいろと経験談を聞かせていただければと思っております。

竹内希さん

竹内 希さん

                

 以下、坂城町のホームページからご覧ください。

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ザンビアだより?        平成25年8月  竹内希

ザンビアだより(8)01

 

私の日常

  8月になり、今の家へ引っ越しをしてから丸1年が経ちました。私の活動も、折り返しとなり、なんだかあっという間にもう1年が過ぎそうです。

  このザンビアだよりも8回目となりますが、今まで私がザンビアでどのような暮らしをしているのか、紹介をしてこなかったので、今回は私の生活について触れたいと思います。

  私は、理数科教師としてザンビア共和国、北西部州、ソルウェジの中高等学校へ派遣されました。主な仕事は、日本では中学2年生に当たる理科と、高校1年生の生物を教えることです。学校のある期間は、以下のようなスケジュールで動いています。

 

勤務スケジュール

時間 月曜
(30分授業)
時間 火〜金曜
(40分授業)
6:30 出勤 6:45 出勤
7:00 学校着
教員ミーティング
7:15 学校着
7:30 全校朝会 7:30

8:10
1時間目
8:10

8:45
1時間目 8:10

8:50
2時間目
8:45

9:20
2時間目 8:50

9:30
3時間目
9:20

9:55
3時間目 9:30

10:10
4時間目
9:55

10:30
4時間目 10:10

10:30
休み時間
10:30

10:50
休み時間 10:30

11:10
5時間目
10:50

11:25
5時間目 11:10

11:50
6時間目
11:25

12:00
6時間目 11:50

12:30
7時間目
12:00

12:35
7時間目 12:30

13:10
8時間目
12:35

13:10
8時間目    
午後は、補講、授業準備、マーキング、本の貸し出しなどを行っています。
17:00には退勤します。

 

  毎朝、1時間目が始まる前に教室の掃除とクラス担任の先生による出席をとります。月曜日は、教員ミーティングと全校朝会があるので35分授業、火曜日から金曜日は、40分授業です。お気づきかもしれませんが、休み時間は、たった一度の20分しかありません。授業は、教員が入れ替わった後、続けて行われます。この時間割からは多くの問題が見られますが、学校や教員数が生徒数に見合わない現状況では、どうすることもできそうにありません。私の学校は、1クラス約60人です。中学2年生から高校3年生の生徒が通っています。夜は、既に働いている方たちが、学位をとるための勉強をしに来ています。総クラス数は、午前と午後を合わせて約30クラスです。

  この学校は2部制で、午前と午後で生徒が入れ替わります。午後の授業は、アルバイト制になっており、教えた授業数あたりのお金が教員へ支払われます。午後はお金を稼ぎたい先生が入るので、私は授業を受け持っていません。その代り、午前のクラスの生徒に対する補講などを行っています。17時には仕事を終わらせ、暗くなる前に家へ帰ります。私の家までは、最低30分はかかります。帰り道にはマーケットがあり、野菜や食べ物が売られているので、新鮮な野菜はそこで買って夕飯の材料にしています。

  日々の生活で断水や停電などがありますが、断水した時は貯水タンクを、停電した時はキャンドルや炭を使って生活しています。最初は、この生活に対してとてもストレスを感じていましたが、今となってはもう慣れました。(笑)電気や水が止まっても、みんな笑顔を絶やさないで暮らしている、それがザンビアです。

ザンビアだより(8)02 

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 坂城町長 山村ひろし

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13/08/07 11:45

町村長会 政務調査会と中島千波画伯

 昨日(8月6日)から今日にかけて長野県町村長会政務調査会の第2回総務文教部会が、小布施町と高山村で開催されました。

 主な会議は小布施町公民館で6日午後開催され、国・県に対する提案・要望活動について討議しました。

 6つの提案・要望事項を決定しましたが、その中での重点提案として、「道州制反対・町村財政基盤の強化」と「教育環境の整備」の2点を採択しました。

 特に教育環境の整備については坂城町から提案した「インクルーシブな教育」の強化が含まれました。

                    

 *インクルーシブな教育 : 障がいの有無によらず、全ての子どもを対象として、一人一人の特別な教育的ニーズに応じて教育をおこなうべきであるという理念に基づいて行われる教育。たとえば、障がいがあったとしても他の子どもと同様な教育を受けられるように対応をはからなければならないと言う事です。

                      

 会議のあと、小布施町の市村町長の案内で小布施の町づくりについてご案内していただきました。

 全国的に有名な小布施町の町づくりですが、いまだに進化を続けているという感を持ちました。

 その中で、おぶせミュージアム中島千波館を訪れ、中島千波画伯とお会いすることができました。

 約1時間詳細に館内を説明していただきましたが、大変ユーモアに溢れ内容的にも深い説明を受け大変感銘を受けました。

                    

左から:山村、中島千波画伯、市村良三小布施町長

                 

 中島千波画伯の説明で大変ユーモアに富んだお話の例。

 下の絵は「小夜曲」というタイトルのついた絵ですが、花瓶に稲穂が入れられ、鳩のおもちゃがあり、暗い背景の右上には天使がラッパを吹いているという構図です。

 中島先生のお話では、「小夜曲」は有名なモーツアルトの曲にある、アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク(Eine kleine Nachtmusik)ですが、この絵では、「あ稲暗いね、な、天使のミュージック」ということなのだそうです。

「小夜曲」(中島先生からいただいた画集から)

                   

 今回の政務調査会での議論も大変重要なものでしたが、いまだに進化し続ける、小布施の町づくりに大きな感銘を受けました。

 坂城町では、坂城駅のエレベーター設置を基点として、駅前を中心としたバリアフリーの町づくりをスタートさせます。 種々の先進例を参考にして事業を推進いたします。

                                             

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/06 08:37

和平国際交流村

 昨日(8月5日)、1000mの高地にある 「和平(わだいら)国際交流村」 で毎年恒例の小学生児童を対象とした国際交流事業が開催されました。

 本会は坂城町教育委員会、坂城町国際交流協会、アフリカ舞踊サークル「サブニュマ」など多くの皆さんのご協力を得て実現しました。

関係者含めた全員で(参加児童は43名)

                       

挨拶する山村

                  

挨拶される坂城小学校若林校長先生

                     

後方:指導される先生方と右奥にはベン・ミンコフ先生のご両親もニューヨークから参加

今回、指導いただいた先生は坂城中学校で英語を教えておられる、ベン・ミンコフ先生を含め5名のネイティブスピーカーの先生たちです。

                              

                   

 一昨年から、小学校の5、6年生で外国語授業が必修化されています。

 一方、坂城町の国際化もどんどん進んでいます。

 今回の事業ではいろいろ工夫をし、児童も大いに楽しんで参加していただきましたが、わずか一日の体験です。

 今後は合宿なども含めもっともっと充実した内容にしていきたいと思っています。

 詳細は、以下の坂城町のホームページから。以下のサイトをクリックして下さい。

                                             

(坂城町ホームページから)

http://www.town.sakaki.nagano.jp/www/contents/1001000000207/index.html

                                        

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/05 08:13

平成25年度長野県消防ポンプ操法・ラッパ吹奏大会

 昨日(8月4日)、長野市飯綱高原で平成25年度長野県消防ポンプ操法・ラッパ吹奏大会が開催されました。

 心配された天候も薄曇りの中、比較的涼しい環境で長野県77市町村から選出された13の消防団による競技が行われました。

競技開始前の挨拶

             

 我が坂城町からは、36年ぶりに出場した第10分団が、第2部小型ポンプ操法の部に出場し、良く健闘し、7位に入りました。

 来年には更なる上位入賞を目指して切磋琢磨をしていただきたいと思います。

 尚、千曲市消防団第3分団は第1部ポンプ車操法の部に出場し、第6位でした。

 また、千曲市ラッパ吹奏分団は第11位でした。

頑張る 第10分団(上五明)チーム

                   

                    

競技終了後出場選手との記念撮影

前列左から:深井消防副団長、大井消防副団長、手塚消防団長、山村、山城上五明区長、塚田第10分団長

                 

                      

 各々の部では以下の消防団が優勝しました。

  第1部ポンプ車操法:富士見町、第2部小型ポンプ操法:上田市、ラッパ吹奏:上田市

          

 本年度の大会出場お疲れ様でした。

 来年に向けて、ポンプ車操法、小型ポンプ操法、ラッパ吹奏、各部門での訓練をスタートしていただきたいと思います。

 坂城町民皆様の応援も宜しくお願いいたします。    

                     

 坂城町長 山村ひろし

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13/08/04 15:58

第36回坂城町民祭り「坂城どんどん」

 昨日(8月3日)、坂城町 町民祭り 「坂城どんどん」 が開催されました。

 坂城町の全員が参加されたような大賑わいでした。

 踊り流しの「連」も48連増え、約1500人近くの方が踊りに参加していただきました。

 坂城町の人口の10%が踊りに参加されたことになります。

 すごいことですね。踊り以外にお出でになった方をカウントすればおそらく、町民の2割以上の方々が来られたのではないでしょうか。

 踊り流しのコンテストの結果は以下の通りです。

                   

1.正調の部

 1位:横町区連「壮」

 2位:横町区連「美」

 3位:下金井連

                 

2.パフォーマンスの部

 1位:大好きな坂城町をもりあげ隊(坂城小学校5年生)

 2位:キラリ輝く2組っ子連(坂城小学校6−2)

 3位:6の1今でしょ!(坂城小学校6−1)

               

3.特別賞

 「それいけ3年2組マン」、 「野猿☆子野猿」、「We are great friends 3-3」、「まつTとゆかいな仲間たち(坂中3年4組)」、「上五明区育成会子どもおどり連」、「それいけ3の1ジャン淳ジョン!(坂中3年1組)」、「月見区子ども連」、「突き進 おでん(坂中2年3組)」、「坂城高校生徒会」、「大好きな坂城町をもりあげ隊を見守り隊」、「横町区連「健」」、「坂城町商工会青年部」、「八十二銀行坂城支店」

               

 大変盛り上がった流し踊りでしたv。

 特に、今年は小学校、中学校の子供たちの活躍が素晴らしいものでした。

                  

挨拶する山村

             

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13/08/04 01:14

坂城の100人 第21回目は吾妻銀右衛門

 坂城の100人、21回目は小網地区で新田等の開発を行なった吾妻銀右衛門です。
 (本稿は、文化財センター学芸員の時延武史さんに纏めてもらいました)
                      
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吾妻銀右衛門 享保7年(1722)頃〜寛政7年(1795)頃
 
初代銀右衛門は、鼠宿村の吾妻彦右衛門の子として生まれました。吾妻家は有力な百姓で、村役人も勤めていました。
 
安永3年(1774)から、鼠宿村の忠左衛門・孫右衛門・又右衛門と協力して小網で新田開発を始めました。開発を行ったのは、今の小網公民館の西側に広がる谷地(小網沢)で、山神・藤之木・柳沢・菖蒲沢・小平・木戸口・舟久保・鍛冶山・五林原・西山の10か所です。
                
                             
 小網沢地区
                        
地形を見ても分かるとおり、「新田開発」とは言いながらも、水田に適した場所ではなく、実際は畑地の開発でした。その上、傾斜の急な斜面地であったため、植え付けた作物が大雨で度々流されてしまいました。そこで思案の末、北上州(群馬県)から「広葉ワセ」という品種の桑苗を取り寄せて植え付けたとのことです。この桑が開墾地と相性が良く、根も強くはり、耕作地が雨に流されることも無くなりました。この事に力を得た銀右衛門達は養蚕業に精を出し、さらには蚕種業まで手掛けるようになり、相当の利益をあげるようになりました。新田開発の成功した村では凶作の困難も租税滞納も無く、開発に係る借金も返済し、非常に安定したそうです。
 
開発当初、初代銀右衛門は鼠宿村から千曲川を渡って小網沢まで通っていましたが、天明2年(1782)頃に開発地内の舟久保に移転しました。現在、杉林の中に残る石垣が屋敷跡です。最大で5m程の高さがあります。隅角部分は、長方形に加工した石材を短辺と長辺を交互に積み上げていく「算木積み」という技法が用いられています。これは城郭の石垣に多くみられる技法で、経験を積んだ石工がたずさわっていたことがうかがわれます。当地がかつて松代藩領であったことから、松代周辺から職人がやってきたのでしょう。
                   
                  
昭和20年代の写真、中央下に大きな石垣
                                        
                   
               
かつての入口(石門)
                  
                  
石垣を下から見た状況                
                       
 
屋敷跡から北へ50mほどの所に銀右衛門の墓があり、自然林に返りつつある、かつての開墾地を静かに見つめています。
                     
                
銀右衛門の墓
                  
 
初代銀右衛門による新田開発が軌道に乗るまでは大変な苦労があったのでしょうが、水田を開発するより、桑畑を開いて養蚕を行う方が、はるかに富を生み出すことができると確信していたからこそ、農業には不向きな小網沢(実際に、現在では耕作されていません)にあえて挑戦したものと思われます。
 
現在を生きる我々の豊かな生活の礎として、吾妻銀右衛門の新しい産業を切り開く先見の明と、血の滲むような努力があった事を忘れないでいたいものです。
                       
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坂城町長 山村ひろし
 

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13/08/01 21:51

169系電車の車輪と車軸が坂城駅ギャラリーへ

 本日(8月1日)、169系電車の車輪と車軸が坂城駅ギャラリーに設置されました。(公開は8月3日(土)から)

 しなの鉄道さんから譲り受けた車輪、車軸を坂城運輸(関戸社長)の全面的なご協力を得て、小雨の降る中、坂城駅ギャラリーに設置されました。(一般公開は8月3日、「坂城どんどん」開催日から)

大変な苦労の後、車輪、車軸が坂城駅ギャラリーに設置

左から:宮下副町長、山村、坂城運輸関戸社長他

           

 詳細は以下、坂城町ホームページをご覧ください。                   

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169系電車の車輪と車軸がご覧いただけます!

169系電車車輪車軸01

▲169系電車の車輪と車軸

 169系電車の車輪と車軸が坂城駅ギャラリーに設置されています。

  この車軸は、坂城駅前多目的広場に静態保存されている169系電車の予備として製造、保管された本物の車軸です。昭和40年11月に住友金属において製造され、169系と時代を共にし、その活躍を陰から支えてきましたが、同電車の引退とともにその役割を終え、多目的広場に近い坂城駅ギャラリーに展示することとなりました。

  車輪と車軸の総重量は約1.5tあり、須坂市の長電テクニカルサービス(株)からトラックで運ばれ、カニクレーンによりギャラリーに設置されました。

  ギャラリーが開いている午前8時から午後7時まで自由にご覧いただけます。また、坂城どんどん開催中は、169系電車が坂城駅に静態保存された際の様子や記念イベントをおさめた写真と、車輪と車軸の説明パネルも展示されます。ぜひご覧ください!

▼裏側はこのようになっています

169系電車車輪車軸11
 

▼車輪と車軸の運搬設置作業

169系電車車輪車軸09

169系電車車輪車軸10

169系電車車輪車軸02

169系電車車輪車軸03

169系電車車輪車軸04

169系電車車輪車軸05

169系電車車輪車軸06

169系電車車輪車軸07

169車輪車軸08

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 坂城町長 山村ひろし

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