13/02/23 18:02

人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会

 本日(2月23日)、坂城町文化センターにて、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会」 が開催されました。(主催:坂城町、坂城町教育委員会、坂城町社会福祉協議会、上田・佐久地域人権啓発活動ネットワーク協議会)

 玉井先生には、昨年9月1日に開催された 「第54回更埴教育研究集会」(於:坂城中学校) でもお話をしていただきましたが、是非とも本町民集会でもお話をしていただこうと思いお願いをしてまいりました。

 今回は 「発達障害などの家族への支援について」 と言うテーマでご講演をお願いしました。

 玉井先生はご自身にもダウン症のお子さんがおられ、(財)日本ダウン症協会の理事長もされておられ具体事例もふんだんにお話しいただき大変分かり講演会となりました。

開会にあたり、挨拶

                         

以下、坂城町のホームページから

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人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会

                

人権集会01

▲玉井邦夫さん(写真左)

2月23日(土)、文化センター大会議室で、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会」が開かれました。

この集会は、社会福祉、青少年、障害者、学校など各関係団体が連携を深め、町民一人ひとりが共に認め合い、共に支え合う人権感覚を養うとともに福祉に対する理解を深め、もって明るく住みよい人権・共生のまちづくりの実現をめざして開催されています。

最初に坂城町社会福祉協議会による社会福祉功労者表彰・社会福祉協助者表彰が行われ、続いて、大正大学人間学部教授の玉井邦夫さんを講師にお招きして、「発達障害などの家族への支援について」をテーマに、記念講演が行われました。講演では、発達障害児の就学前から成人期に至るまでの「こころとことばの育ちの課題」や、障害には、「個人としての障害」と「関係性としての障害」の二面性があること、「障害児を持つ保護者の気持ち」についてお話しいただきました。

人権集会02

▲社会福祉功労者
ボランティアグループ すみれ会(写真左)

人権集会03

▲社会福祉協助者
長野県労働金庫更埴支店運営委員会(写真左)

人権集会04

▲社会福祉協助者 小林恵美子さん(写真左)

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 坂城町長 山村ひろし                                                    

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13/02/23 04:04

「坂城の100人」第6回は 福沢諭吉です !

 「坂城の100人」に福沢諭吉が登場とは、びっくりされる方が多いかもしれませんが、以前にも書いたように福沢諭吉は坂城に大いに関係があり、彼の祖先の地なのです。

                  

ファイル:Yukichi Fukuzawa Berlin2.jpg

文久2年(1862)幕府使節として、ヨーロッパ歴訪の際ベルリンにて。原典:福沢研究センター

                            

坂城町は戦国武将村上義清の地として有名ですが、最近の調査で福沢氏は、この村上氏から分派したのではないかという説が有力になっています。
               
 福沢諭吉の先祖がいつの時代に大分の中津に移ったかは諸説があり不明ですが、福沢氏そのものが村上氏の分流であり、福沢氏の故地が坂城であったということなのです。
                 
まず、歴史的経緯を述べると、信濃村上氏の祖とされてきた「源盛清」は、寛治八年(1094年)の白河上皇呪詛事件により信濃国村上郷(坂城町)へ配流後、再び京へ戻り、康和5年(1103年)には後の鳥羽天皇となる第一皇子(宗仁)の宣旨で宗仁親王の庁を取り締まる「御監」の役を仰せつかっています。(第一回で記述した「源盛清」をご覧ください。)
                          
(源盛清について。 以下をご参照下さい。)
                                          http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/index.php?blogid=432&archive=2013-1-1
                  
                   
この盛清の一族は、村上郷を本貫地として信濃村上氏の祖となり、中世には信濃国内で最も大きな勢力を有することとなりました。
                
村上氏は多くの一族を信濃国内に分派していますが、その中に15世紀から16世紀にかけて、村上氏の所領である広大な「塩田庄」(上田市)を支配した「福沢氏」がいました。
                  
福沢氏は、村上郷の福沢を発祥とし、塩田庄の代官として、その力は信濃でも有数でした。
                
中世信濃の福沢氏といえば村上一族の福沢氏であることは明白です。(『諏訪御符礼之古書』や『蓮華定院文書』などの資料より)
                   
この後、福沢氏は天文22年(1553年)8月の武田信玄の塩田城侵攻により敗れ、翌年3月にその健在が確認できるものの、それ以降、歴史上から消えてしまいます。
                       
                     
福沢諭吉は、自分の祖先について 「福沢氏の先祖は信州福沢の人なり」 と記しています。
その根拠は、福沢諭吉の父 「百助」 が纏めた「福澤家系図」に拠っています。
そして、この福澤家系図では、更に福沢氏は「小笠原氏」に仕えていたとも記しています。
                 
小笠原氏は、中世、信濃守護職を代々勤めた名家で、武田信玄に信濃を追われた後、徳川家康に仕えたことで、再び信州の松本や飯田に本拠を置くこととなりました。
                  
                  
つまり、福沢氏は塩田城の敗戦後、その消息を絶つなかで、一族の何れかの人物が、信濃国内で領主となった小笠原氏に仕えることとなり、その後、小笠原氏が幾つかの転封を経て、豊前中津に国替えになったことにより、福沢氏も中津へ移ってきたものと推測出来るわけです。
                    
信州には福沢の地名が村上地区を含め長野県内で11ヶ所存在し、全国を見渡せば13県18か所に及んでます。
                       
以上のように仮説ではありますが話を結びつけることで、最終的に福沢諭吉の先祖は中世、村上郷福沢に発祥し、塩田庄を支配していた村上氏一族の福沢氏に求めることが最も自然なのではないかと考えられるわけです。
                            
                         
慶應義塾福澤研究センターにも問い合わせを行なったところでありますが、本事実が確認されれば長野県坂城町は福沢諭吉の祖先発祥の地となり福沢諭吉研究のあらたな一歩となることが期待されるところです。
                      
                  
ほぼ同文の内容で、公益社団法人日本工学教育協会誌にも掲載されました。
                    
                      
 「工学教育」2012-11 vol.60 no.6  231頁
                     
                
                      
                              
                         
坂城町長 山村ひろし

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