14/07/26 00:57

坂城の100人 第39回目は扇池亭澄

 坂城の100人 第39回目は扇池亭澄(ますみ)(心光寺縁阿弥上人)。

 坂城町込山の心光寺住職、縁阿弥上人です。(1778−1833)

 前回に続き、当時の坂木を代表する狂歌師です。

                          

当時、江戸の著名な文化人であった狂歌師の蜀山人(太田南畝)が序文を書いた「信上諸家人名録」の中央左側に、「狂歌、澄、号 扇池亭、坂木、心光寺」として紹介されています。

              

心光寺南側にある縁阿弥上人の筆塚。 亀型の基石の上に建てられています。

               

縁阿弥上人筆塚側面(内容は以下をご覧ください。)

建立されてから180年、判読が難しい状況になっています。

                     

 以下、今回も、「ふるさと探訪」から、塚田睦樹先生の解説を引用して掲載します。

                 

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 澄は込山の心光寺住職として朝夕仏の道を勤め、食事をすることさえ忘れるほど精進したといわれています。

 余暇には、上人の学徳を慕って教えを受けにきた弟子は百人を越えたとのことです。

 文政元年(1818)頃、住職を退いた後は、心光寺境内の観月舎(月見堂)で、池に住む蛙を友とするなどして、狂歌を盛んにつくったといいます。

 天保四年(1833)に建立された縁阿弥の筆塚の側面には、四方瀧水の書(蜀山人の門下生)に以下のように書かれている。

                        

 「扇池亭澄 心光寺縁阿弥上人

 信州坂木の人。 寤寐(ごび)ただ狂歌を以てつとめとす。平生居る所の室、反古積もりて堆し。(ほごつもりて うづたかし) 是ミナ其詠ずる所の歌屑なりとぞ。」

 (信州坂木の人。寝ても覚めてもただ狂歌を作るのを日々の勤めとしている。普段居住している部屋は、書き損じた紙片が積もってうずたかい。これは皆彼が詠んだ狂歌の屑である。)

                    

 以下、扇池亭澄の狂歌 2句を掲載します。

                  

                      

 「虫」

                   

 あき風をひくまの小野の月しろに髭のはえたる虫の鳴くらむ

                 

 (吹き荒れる秋風がおさまる間の、小野の郷の月の出に空の白む頃には、髭の生えている虫が鳴いているだろうか。小野は京都の比叡山の里か、山科の里。

                       

           

 「海辺春立」(うみべはるたつ)

                 

 人よりも春たつけさの霞まで一といふ字をひく筆の海

                           

 (筆の海は、筆で描いた海か。立春の朝、その海に一という字を引いて霞とした。海辺には人は立っていない。ただ一面に霞が立ち込めている風景。)

                       

                          

 以上、江戸後期の坂木を代表する狂歌師3名をご紹介しました。

 いわゆる「狂歌」の持つ諧謔、軽薄なイメージではなくいずれも大変哲学的な深いものを感じますね。                         

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 坂城町長 山村ひろし

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14/07/16 19:30

坂城の100人 第38回目は北国堂雪高

 先日、坂木の狂歌師の一人として、船海堂潮来(前澤茂左衛門)の紹介をしました。

 今回はその続編で、やはり同時期の有名な狂歌師、北国堂雪高(荒井得三郎)の紹介をします。

 北国堂雪高は坂木、横町の生まれで多数の狂歌を残しました。

                         

狂歌集の数々。荒井直喜さん蔵。(「ふるさと探訪」より)

                   

「信上諸家人名録」、左から二人目に荒井得三郎の名が。

                    

                  

 「ふるさと探訪」より北国堂雪高の句を五句掲載します。

 解説は塚田睦樹先生によります。

                   

                 

 「残鶯」(ざんおう)

                  

 すみなれし花の古巣も若葉して老荘の杜へかよううぐひす

               

 (住み慣れた花の古巣が若葉してしまったので、鶯は老荘の杜へ不老長寿の修行に通っている。老子荘子は中国の思想家。鶯を擬人化して老人の願いを示唆したのがおもしろい。)

                          

                      

 「猿」

                 

 なく猿の皮ハ鼓(つづみ)となりながらうって替りし声のさびしさ

                

 (猿はけたたましく鳴き騒ぐ。それが皮となり、鼓になっても音立てるが、あの元気さとうって替ってしまってさびしいなぁ。皮になっても鳴く哀れさ。)

                            

                     

 「梅」

                 

 ぬすみてもあと嗅ぎつけて追いかけん匂いにしれる梅の枝道

             

 (盗んでも後を嗅ぎつけて追いかけよう。梅の匂いでそれとしれるよ、梅の枝道は。 卑俗的な盗みと優雅な梅の香の取り合わせが面白い。どじな泥棒への笑い。)

                             

                          

 「旅春雨」(たびのはるさめ)

                        

 はるの雨ふるさと遠くはなれ来て音信(いんしん)もなき旅ぞ淋しき

                 

 (春雨がシトシトと降る。故郷を遠く離れて来て何の音信もない旅は心も滅入って淋しい。春雨が降るからか、たよりのないからか、淋しいのは、よく分かる心境。)

                               

                                

 「林外筍」(はやしのそとのたけのこ)

                     

 けん竿と末ハなりなん藪越て人の分地にいづる竹の子

                    

 (終いには間竿になってしまうだろう、竹藪を越えて他人の分地に顔出した竹の子は。林外筍は間竿になって土地の境を測るとした諧謔。)

                        

 以上、いずれの句もなかなか奥深いものがありますね。

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 坂城町長 山村ひろし

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14/07/12 23:46

坂城の100人 第37回目は船海堂潮来

 「坂城の100人」 第37回目は、先日ご紹介した江戸、天明期の有名な狂歌師、船海堂潮来(前澤茂左衛門)です。 天明(1781−1789)狂歌と言われた狂歌全盛期の狂歌師。

                        

 船海堂潮来(ちょうらい)は坂木、横町の生まれで家は代々茂左衛門を襲名した旅籠です。(村名主も務めた家です。)

                       

 以下、潮来の狂歌を5句ご紹介します。 (「ふるさと探訪」より。解説は塚田睦樹先生によるものです。)

                   

 塚田睦樹先生の解説と共に読むと狂歌というイメージではなく深い哲学的な叙情を感じます。

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 「老人」

            

 頭にハ雪をつミてし老(おひ)が身は杖をつかねバあぶなかりけり

 (頭に雪のような髪を積んでしまった老いの身は、雪の積む道は杖をつかなければあぶないな。老人の白髪を「雪の積む」の比喩が妙。)

                

                 

 「苗代」

                

 糸ほどな水せきいれて小山田にいのちをつなぐ種も蒔たり

 (糸ほどのか細い水を堰きとめて引いた小さな山田に、籾の種も蒔いた。これでかろうじて命がつなげる。山間の小さな田に暮らしをかける貧農の思い。 水・せき・田・種などの縁語が適切。)

             

              

 「擣衣(きぬをうつ)」

                

 背なかにハ子をおひながらひとりして子持縞(こもちじま)をもうてる衣(きぬ)うち

 (背中には子を負いながら独りで子持縞をうっている衣うちの女がいる。その姿があたかも子持縞だと見立てた連想が面白い。)

                     

              

 「山霞」

                

 染草の出るてふ山の白妙もついぞやすくかかすむむらさき

 (染の原料の染草が生えているという山の白妙も、そんなにたやすく紫に霞むのだろうか。話を聞いただけで、そのように見えるのは人の心の面白さ。)

                   

                

 「神楽」(かぐら)

             

 寒けさにみな音のたへし虫の名の鈴のミぞきく霜のよかぐら

 (秋が深みすべての虫の音の絶えてしまった霜夜に、神楽の鈴の音だけが聞ゆる。霜夜の寒さと心にしみる鈴の音に更けゆく晩秋の夜の叙情を詠む。鈴虫の名の鈴だけを取り出したのが妙。)

                    

                    

 次回以降、同時期の坂木の狂歌師、北国同雪高(荒井得三郎)、扇池亭雪高(縁阿弥萬誉上人)を順次、ご紹介します。

           

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 坂城町長 山村ひろし

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14/07/11 21:10

「信上當時人名録」

 「信上當時人名録」は文政十年(1827)に発行された信州と上州の文化人を記録した書物(人名録)です。

 当寺の有名文化人を紹介した本です。

 「坂城の100人」を進めていくうえで、江戸文化の中で一時期をつくった「狂歌師」が坂木でどのように活躍していたかを調べようと、この本の原本を探していたのですが、何と、長野県のディジタルアーカイブ(「信州デジくら」)に登録されていました。

             

 この本の序文は当時、江戸の著名な文化人であった狂歌師の蜀山人(太田南畝)が記しています。

                  

             

 この人名録には345名の名が記されていますが、坂木からは20名もの人物が名を連ねています。 坂木の文化人も大活躍ですね。

 俳人では、以前にもご紹介した、藤沢雨紅や沓掛仲子などのほか小林一茶などがあり、狂歌師としては、3名記されていました。

                       

中ほどに小林一茶、右端に沓掛仲子

中央左に:藤澤秀子(雨紅)

                  

一番左に:藤澤清助(貞雅。雨紅の主人の名も。主人の清助も俳人として有名人だったのですね。)

              

左から3番目に、前澤茂左衛門(狂歌師)

              

 当時、坂木を代表する狂歌師は次の3名です。

 船海堂潮来(前澤茂左衛門)、北国同雪高(荒井得三郎)、扇池亭雪高(縁阿弥萬誉上人)

                   

 狂歌は、諧謔、滑稽、機智を詠んだ短歌ですが、江戸時代、天明期(1781−1789)に大流行しました。

 その中でも有名な狂歌師が蜀山人(太田南畝)です。

 上記の坂木の狂歌師も蜀山人の影響を強く受けています。

 北国街道、坂木宿に往来する江戸文化の香りが素晴らしいものです。

 次回以降の「坂城の100人」ではこの狂歌師の作品を一人づつご紹介したいと思っております。

                      

 坂城町長 山村ひろし

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