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坂城の100人 第46回目は春日温斎

 坂城の100人、第46回目は前回に続き、坂城町の寺子屋の師匠として多くの弟子を育てた、春日温斎(1810年生)について記述します。        

内容については、坂城町の寺子屋について精力的に調査、研究を進められておられる、前坂城町図書館長の大橋昌人先生にご提供いただきました。代表的な寺子屋の師匠5名を選んで掲載しています。(今回で5人目、最終回です。)

 

 

坂城町の寺子屋師匠(5)春日温斎(おんさい)

                   

 通称弥兵衛、幼名八百吉、字を屈子信、号が温斎である。文化七年(一八一〇)十月の生まれ、弟の草臣はキリスト教の伝道師として活躍する。

 温斎は初め南日名の神主小宮山清惟に和漢を学び、後に佐久間象山にも師事して、経書・詩歌を学ぶ。寺子屋師匠として読み・書き・そろばんのほか、俳歌を教える。読みは実語教・童子教・今川教訓鏡・庭訓往来・四書等を、書は四十八字假名手本・宿邑名寄・幼穉梯子・年中贈与等を、また女子のためには女用文章・近所村名・手紙文言・おん手本などを授けた。

 日名沢の火の見がある道を挟んで西側、生垣に囲まれ、温斎の筆塚、佐久間象山の霊祠、頌徳碑が建つ。

                

              

 *尚、春日温斎の弟、春日草臣については、その息子の謙次郎とともに、北海道江別市美原地区のキリスト教布教に関して以下の記事がありました。            

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 (江別創造舎の記事より)

 明治28(1895)年の春、美原、最初の移住者春日謙次郎が石狩川左岸に佇み、原始の大河を前に天を仰ぎました。丸木舟で対岸に渡り、貸下を受けた三原33線1号線に堀立小屋を建てました。
 春日の父草臣は、佐久間象山の門下で、のちキリスト教に帰依しました。謙次郎自身も長野県松代美教会員であり、26年に渡道、札幌農学校長佐藤昌介の経営する農場を経て三原に入りました。ここに江別における初めてのキリスト教の種子が蒔かれたのです。

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 坂城町長 山村ひろし

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