12/12/24 00:00

老子の続き(第81章)

 いよいよ最後の章になりました。

 このブログに書き始めて1年半、あっという間だったような気がします。

 この章も老子の神髄を語っています。

                             

 信言不美、美言不信。 善者不辯、辯者不善。 知者不博、博者不知。 聖人不積、既以爲人、己愈有、既以與人、己愈多。天之道、利而不害。 聖人之道、爲而不爭。

                           

 信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。 善者は辯(べん)ぜず、辯ずる者は善(よ)からず。 知者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。 聖人は積まず。 既(ことごと)く以(も)って人の爲にして、己(おのれ)愈々(いよいよ)有す。 既く以って人に與へて、己愈々多し。 天の道は、利して害せず。 聖人の道は、爲(な)して爭はず。

                         

 

 本当の言葉には飾りなどありません。 逆に飾られた言葉には本質はありません。 本当に優れている人は多くを語りません。 多く語る者は優れているとは言えません。 本当の知識家はその博識を見せびらかしたりはしません。 その逆に自分の知識をひけらかす者は本質的なことを理解していないのです。 聖人と言われる人は自分のためにため込むようなことはしません。 ことごとく人のために尽くし、結果として充実してくるのです。 もっぱら人に与えたとしても、自らますます豊かになってくるのです。 自然の道理である「天の道」は、すべてのものに利益を与え決して害することはありまあせん。 一方、「聖人の道」といわれるような道を実践して行けば、何を行っても決して争うようなことにはなりません。
                       
                  
 これでひとまず、老子を終わります。
 「信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。」
 この章に付けられるタイトルは「顕質」です。
 これからも、物事の本質を見極め、「無為自然」を実践していきたいと思います。
                                  
 来年、この老子をもう少し整理し、新たに一冊の本に纏めたいと思っています。
 乞うご期待! 
    
                         
             
 坂城町長 山村ひろし                
 

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12/12/15 01:09

老子の続き(第80章)

 老子もいよいよ残すところあと2章となってきました。

 この章はいわば老子の「国家論」と言えるものです。

 超大国、武装大国を目指さない。 小さな国で国民の数が少なくても誇れる国を作る、ということですね。

 

                             

 小國寡民。 使有什伯之器而不用。 使民重死而不遠徙。 雖有舟轝、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。 使民復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗。 鄰國相望、雞狗聲相聞、民至老死、不相往來。

                                     

 小國寡民(しょうこくくわみん)。 人に什伯(じゅうはく)するの器(き)有るも用いざらしむ。 民をして死を重んじて遠く徙(うつ)らざらしめむ。 舟輿(しゅうよ)有りと雖(いえど)も、之(これ)に乗る所無し。 甲兵(かふへい)有りと雖も、之を陳(ちん)ずる所無し。 民をして復(ま)た結縄(けつじょう)して之を用ひしむ。 其(そ)の食を甘(あま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しむ。 隣国(りんごく)相い望み、雞狗(けいく)の聲(こえ)相い聞こゆるも、民老死に至るまで、相い往来(わうらい)せず。

                            

 国民の数が少ない小さな国を考えてみましょう。 ここでは、人間の十倍、百倍の能力を持っている道具があったとしてもそれをあえて使いません。 人民には命の大切さを自覚させ、遠くへ移動することもしません。 舟とか車があってもこれにあえて乗ることもしません。 鎧や武器があったとしてもこれを見せびらかすこともしません。 昔ながらの文化・生活を大切にします。 自分たちの食べ物を旨いとし、身につけている服を美しいとし、その住まいに満足し、その習慣を楽しむのです。 そうなれば、すぐ近くに隣の国が見え、鶏や犬の声が聞こえるところにいても、人々が一生終えるまで、隣の国へ行き来したいとも思わぬくらいになるのです。

                       

 少し極端な話かもしれませんが、小なりと言えども、自分の文化を大切にし、誇りを持つ。 技術力もあり武力があっても見せびらかすようなこともなく、隣国と対立することもないということですね。

                 

                               

 坂城町長 山村ひろし

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12/12/08 05:56

老子の続き(第79章)

 この章はいわば 「道」 の 「裁き」 についてです。 なかなか意味深いものがあります。

                              

 和大怨、必有餘怨。安可以爲善。是以聖人執左契、而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常與善人。

                                      

 大怨(たいえん)を和(やはら)ぐるも、必ず餘怨(よゑん)有り。 安(いずく)んぞ以(も)って善と為(な)す可(べ)けんや。 是(ここ)を以って聖人は左契(さけい)を執(と)るも、而(しか)も人を責めず。 有徳は契(けい)を司(つかさど)り、無徳は徹(てつ)を司る。 天道は親(しん)無けれども、常に善人に與(くみ)す。

                                    

 統治者が人民に対して何らかの悪政を行い大きな怨みごとを買ってしまった場合、例え和解(何らかの補償などをして)したとしても必ず遺恨は残ってしまうものです。 いったいこれは正しいことなのでしょうか。 聖人と言われる人は、借金の証文(割り符)を持っていても決して取り立てなどはせず、人も責めません。 徳のある人はひたすら割り符を持ち、徳の無い人はひたすら取り立てを行うと言われます。 天の道はえこひいきはしないけれど、常に善人に味方するものなのです。

                        

 少しわかりにくい言い方ですが、有徳者が割符(債権)を持っていても請求などを行わず、一見、損ばかりしているように見えても、恨みを買うこともないのでいずれ天の助けを得ることができる、ということです。 何事もすべて裁判に持ち込む西欧的合理主義に対する批判でもあります。

                            

 坂城町長 山村ひろし

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12/11/30 20:55

老子の続き(第78章)

 前に、第8章で 「上善は水の若(ごと)し」 というのが出てきましたが、この章でも水を引用し、「堅強」に比した「柔弱」の強さを述べています。 ここも大切な章ですね。

                      

 天下柔弱、莫過於水。 而攻堅強者、莫知能勝。 其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。 故聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國之不祥、是謂天下王。正言若反。

                                         

 天下の柔弱なるもの、水に過(す)ぐるは莫(な)し。 而(しか)も堅強(けんきょう)を攻むる者、能(よ)く勝るあるを知る莫し。 其れ以(も)って之に易(かは)るもの無し。 弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざるもの莫きも、能く行なうは莫し。 故に聖人云(い)ふ、國の垢(あか)を受くる、是を社稷(しゃしょく)の主と謂(い)ひ、國の不祥(ふしょう)を受くる、是を天下の王と謂ふ、と。 正言(せいげん)は反(はん)するが若(ごと)し。                                                         

 

  この世の中で水ほど柔弱なものはありません。 しかもいざとなると頑強なものを攻めるのに、水ほど強いものはありません。 水に代わるものもありません。 弱いものが強いものに勝つことがあることはだれでも知っていますがそれを実践できる人はいません。 そこで聖人は 「国の汚辱を自ら引き受けることの出来る人が本当の王であり、国の禍を一身に引き受けることのできるのが天下の王である」(本当に強い王がまるで弱者のように汚辱や禍を引き受けるのだ) と言っています。 このように、正しい言葉というのはあたかも反対のことを言っているように聞こえるものです。

                               
                                   
                          
 米国の政治学者のジョセフ・ナイ氏がハード・パワー 一辺倒ではだめで、ソフト・パワー、後にはスマート・パワーの大切さを述べていますが、正に老子と同じ見解ですね。
                               
(以下、私のブログから)
http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=22227
                         
                                    
 坂城町長 山村ひろし
                                
 

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12/11/22 13:38

老子の続き(第77章)

 この章では、「天の道」のあり方について述べています。

 老子の言う「天の道」はそれこそ、宇宙、大自然の合理性を説いています。

 天はすべてのものを調和するということですね。

                                     

 天之道其猶張弓乎。?者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者與之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

                     

 天の道は其れ猶(な)ほ弓を張るがごときか。 高き者は之れを抑え、下(ひく)き者は之を擧(あ)ぐ。 餘り有る者は之を損(へら)し、足らざる者は之に與(あた)ふ。 天の道は餘り有るを損して足らざるを補ふ。 人の道は則(すなわ)ち然(しか)らず。 足らざるを損し以(も)って餘り有るに奉(ほう)ず。 孰(た)れか能(よ)く餘り有りて以って天下に奉ぜん。 唯(た)だ有道者のみ。 ここを以って聖人は、爲(な)して恃(たの)まず、功成りて處(お)らず。 其れ賢を見(しめ)すを欲(ほっ)せざるなり。

                               

 

 天の道の動き方はあたかも弓に弦を張って引っ張るようなものです。 つまり上の者を押さえ、下の者を持ち上げるようなものです。 あり余っている者から取り上げ、不足している者に分け与えます。 このように天の道は大きな自然の動きの中で余っているもの、足りないもののバランスを取っているのです。 しかしながら人の道ではそうではありません。 足らなくて困っている者から更に取り上げ、有り余っている者に差し出しているのです。 ありあまっているからと言って天下に差し出す人はいるのでしょうか。 それはただ、道を体得している人のみなのです。  それゆえに、聖人と言われる人は立派な業績をあげてもなにも要求せず、成果が上がっといってもいつまでもそこに留まっているわけでもありません。 ましてや自分の優れている点など人に見せようとはしないのです。
                                 
                       
 この調和のバランスが今の政治にも求められます。
 また、後段の 「功成りて處(お)らず。」 というのもすごいですね。
 成功までのプロセスが大切で、功成なり名遂げたならいつまでも居続けてはいけないということです。 出処進退の大切さも述べています。
                                          
                       
 坂城町長 山村ひろし 

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