11/07/26 23:04

老子の続き(第10章)

 この章では徳を体得した、聖人と言われる人の行いについて述べています。 無為の心で人々を愛し、指導者になっても我が物顔にならない元徳のあり方について書いていますが、なかなか現実の世界では難しいですね。 日本にもこのような指導者が欲しい。

 

   載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能嬰兒。滌除玄覽、能無疵。愛民治國、能無為。天門開闔、能爲雌。明白四達、能無知。生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

  

  営魄(えいはく)に載り一を抱いて、能(よ)く離るること無からん。 気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致して、能く嬰児たらん。 玄覧を滌除(てきじょ)して、能く疵無からん。 民を愛し国を治めて、能く無為ならん。 天門開闔(てんもんかいこう)して、能く雌たらん。 明白四達にして、能く無知ならん。」 之を生じ之を畜ひ、生じて有せず、為して恃(たの)まず、長じて宰(さい)せず。 之を玄徳と謂う。 

   

      私たちは聖人のように、精神と肉体を一体化させ心が迷うことの無いようにすることが出来るでしょうか。 気を集中して力を抜き、まるで赤ん坊のように柔軟でいられるでしょうか。 奥深い心の鏡を磨き上げ一点の曇りない心構えでいることが出来るでしょうか。 人々を愛し国を治めてなおかつ無為の状態でいることが出来るでしょうか。 天門を開いていろいろなものを創り出しながら静かに雌のように穏やかでいられるでしょうか。 隅から隅までよく分かっていながらまるで知らないような態度をとることが出来るでしょうか。

 このようにいろいろなものを創り上げ育てていながら自分の物にすることも無く、大きなことを為しても何かを頼むわけでもなく、指導者になっても我が物顔にはならないのです。 これを玄徳と言い聖人の徳のあり方を示しています。

    

    これはまさに、老子の掲げる理想の人物像ですね。

 

  坂城町長 山村ひろし

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11/07/16 11:09

老子の続き(第9章)

 この章はいわば老子の真骨頂ですね。

 節度を持つことの大切さ。七分(あるいは腹八分目)で良いではないか。あるいは後に第33章で出てくるように「知足者富」(足るを知るものは富む)の如く、節度を知り強欲を恥じることの大切さを説いています。また、関連して、出処進退の大切さも述べていますね。ところが、最近は、この「出処進退」について見苦しい政治家が多く、見るに堪えませんね。

 

   持而盈之不如其已。揣而鋭之不可長保。金玉滿堂莫之能守。富貴而驕自遺其咎。功成名遂身退天之道。

 

   持(じ)して之を盈(み)たすは、その已(や)むに如(し)かず。揣(きた)えてこれを鋭くすれば長く保つべからず。金玉(きんぎょく)堂に満つれば、之を能(よ)く守る莫(な)し。富貴にして驕(おご)れば、自らその咎(とが)を遺(のこ)す。功成り名遂げて身退くは、天の道なり。

 

 いつまでも器(うつわ)を一杯にしていてはいけません。刃物をぎりぎりに鋭くしてもいつかは折れてしまいます。たくさんの宝玉を蔵に持っていても、いずれは襲われてしまいます。大金持ちになって驕る様になるとかえって問題を残すことになります。功成り名遂げたならば速やかに身を引くのが道理というものです。
 
 以上。
 
 坂城町長 山村ひろし

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11/07/09 18:47

老子の続き(第8章)

 この章では、「道」のあり方について、水を例えにして述べています。冒頭に「上善若水」(じょうぜん みずのごとし)という有名な一節が出てきます。お酒の銘柄で有名ですが、ここはお酒の話ではありません。水のあり方の素晴らしさについて述べていますが、先の大震災を思うと時として大変な力を持つ水についても考えさせられます。

 

  上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、政善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

 

  上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水善(よ)く萬物を利して争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に居る。故に道に幾(ちか)し。」 居には地を善しとし、心は淵(えん)なるを善しとし、与(あた)ふるには仁なるを善しとし、言はは信なるを善しとし、政は治(おさ)まるを善しとし、事には能なるを善しとし、動くには時となるを善しとす。」  夫(そ)れ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)無し。

 

 最高の善、「上善」といわれるものは何ですかと言えば、それは水と言えます。水はあらゆるもののために働き、争うことはありません。又、皆の嫌がるような低いところに収まっています。まるで道を実践しているようです。
 住む場所としてはしっかりした土地の上を良しとし、心持は深く深淵を良しとし、他に対しては情け深いのを良しとし、言は信義をもってすることを良しとし、政(まつりごと)は平和に徹することを良しとし、事をなすには最善を良しとし、最適なときに動くのを良しとします。 このようにすべて水のように、争わぬことを心がけることが大切です。このようにすれば間違いを犯すこともありません。
 
   
    老子の第78章でも水について述べています。 そこでは、水の柔らかさについて触れていますが、同時に強さにおいても水に勝るものはないと書いています。(「天下の柔弱なるもの、水に過ぐるは莫し。而も堅強を攻むる者、能く勝るあるを知る莫し。」)
 何千年の長きにわたり、千曲川と対峙してきた坂城の人々にとって老子の水に対する考え方について大いに考えさせられませんか。
 
   坂城町長 山村ひろし

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11/07/06 21:26

老子の続き(第7章)

 この章ではいよいよ老子の本質的な部分に入っていきます。それは「私心私欲」を持たない世界です。

 老子には後世、副題が付けられましたが、この章には「韜光(とうこう)」というタイトルがしばしば使われています。「韜光曖跡(とうこうまいせき)」という言葉がありますこれは「光を包みおさめて跡を晦(くら)ます」という意味ですが、わが身を人の外側におきながらそれでいて自ずから人に招かれてその場にいる、というような無為自然の立ち振る舞いについて述べています。人前にしゃしゃり出るのではなく、自然に多くの人から推挙され自然に人々のリーダーになることの大切さについて述べています。なかなか難しいですね。

 

   天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長久。是以聖人後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪。故能成其私。

 

    天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自ら生きんとせざるを以てなり。故に能く長久なり。」是を以って聖人は其の身を後にして身先んじ、其の身を外にして身存す。其の私無きを以てに非ずや。故に能く其の私を成す。

 
天は永久であり、地もその果てるところを知らない。天地がこのように永遠で長く続くのは自らが無為であり、ことさらに生きようとしていないからです。だからこそ長く久しく続くのです。このように見てみると聖人は自ら表立って前に出ないのに人から推され、常に中心部にいようとしているわけでもないのに中心的存在となっている。これは私利私欲を持たず無為の状態でいるからこそであり、結果として物事を成就することが出来るのです。
 
以上。
 
坂城町長 山村ひろし
 

 

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