12/02/26 06:47

老子の続き(第35章)

 この章も私の好きなところです。 「無味」という言葉が出てきます。

 お茶(煎茶)を味わうのに、一煎目は「甘い」味がしますね、二煎目は「苦み」が出てくるかもしれません、三煎目は「渋み」が感じられますね。 それでは四煎目はどうでしょう。 ここでは「無味」を味わいことになります。 「無味」とは味が無いのではなく、すべての味を包含していると考えられないでしょうか。

                         

 執大象天下往、往而不害、安平太。樂與餌、過客止。道之出口、淡乎其無味。視之不足見。聽之不足聞。用之不足既。

                       

 大象(だいしょう)を執(り)て天下に往(ゆ)けば。 往くとして害せられず。 安平太(あんぺいたい)なり。 楽(がく)と餌(じ)とは、過客(くゎかく)止(とど)まる。  道の口より出(い)づるときは、淡(たん)として其れ味無し。 これを視れども見るに足らず。 これを聴けども聞くに足らざるも、これを用ふれば既(つく)す可べからず。

                    

 目に見えるような形を超えた、大きな道を身につけて生活をすればどこに行っても危害を受けるようなことはなく安寧な生活を送れます。 通りがかりの人に音楽やおいしい食事を出せばいったん足を止めて関心を引くでしょうが、道について話をしても一見味もそっけもなくなかなか気がつきません。 なかなか見ようとしても見えるものでもなく、聞こうとしてもなかなか聞けるものでもありません。 しかしながら道の働きはいつまでも尽きることがないほど大きいのです。

            

 「道」のありかたを身につけ、「往くとして害せられず。 安平太(あんぺいたい)なり。」 自然体で淡々と暮らす。 これも老子の神髄ですね。

                       

 坂城町長 山村ひろし

                

 

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12/02/17 22:50

老子の続き(第34章)

 この章では「道」のありようを自分のものとして、無為自然の状態で物事に取り組む必要性を述べています。

                           

 大道氾兮、其可左右。萬物恃之而生、而不辭。功成不名有。愛養萬物、而不爲主。常無欲可名於小。萬物歸之、而不爲主。可名爲大。是以聖人、終不自大。故能成其大。

                        

 大道汎(はん)として、其れ左右すべし。 萬物これを恃(たの)みて生ずるも、而(しか)も辞(じ)せず。 功成りて名を有せず。 万物を愛養(あいやう)して、主と為(な)らず。 常に無欲なれば小(しょう)と名づくべし。 萬物之に帰して、主と為らず。 名づけて大と為す可し。 是を以(も)って聖人、終(つい)に自ら大とせず。 故(ゆえ)に能(よ)く其の大を成(な)す。

                     

 偉大な道は洪水のように右に左に行き渡ります。 万物はこの道から生まれ生じているのですが、道はそのようなことは一言も言いません。 いろいろなものが出来上がっても、名乗るようなことはしません。 万物を愛しみ育ててもそれをおさめるようなこともしません。 常に無欲なのです。 名付ければむしろ「小」とでも言えます。一方、万物はすべて道に起因するのにそれをおさめることもしません。 名付ければむしろ「大」とでも言えるかも知れないのです。  そのように、聖人と言われる人も、常に自分自身を「大」なるものとはしません。 そのために大変大きな存在と成り得るのです。

                    

 大きな仕事をしても、常に謙遜し、謙遜すればするほど大きな存在となる。 決して、出しゃばらず「功なりて名を有せず」いうような人物はなかなかいませんね。

                           

 坂城町長 山村ひろし

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12/02/11 21:12

老子の続き(第33章)

 この章も誠に老子の本質を突いた有名な章です。 私の大切にしている文章でもあります。

                           

  知人者智、自知者明。 勝人者有力、自勝者強。 知足者富、強行者有志。 不失其所者久。 死而不亡者壽。

                               

 人を知る者は智、自らを知る者は明(めい)なり。 人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し。 足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。 その所を失わざる者は久しく、死して亡びざる者は壽(じゅ)なり。

                           

 他の人のことを理解できるのは知恵者と言え、自分自身を理解できることはさらに素晴らしい明智を持っていると言えます。 他人に打ち勝つことの出来る人は力があると言えますが、自分自身に打ち勝つことの出来る人が本当に強い人間と言えます。 物事に満足できる人は豊かになることが出来、根気強く物事を続けられる人は本当に志を持っている人です。 自分のおかれている位置づけをはっきりと持っている人は長続きすることができ、たとえ死んでも道のあり方と一体となっていればその考えかたは滅びることなく長寿を全うできます。

                          

 「自知者明」(自らを知る者は明)、自勝者強(自らに勝つ者は強し)、「知足者富」(足るを知る者は富)いずれも深い言葉ですね。 特に「知足者富」がなければ幸せ感を味わうことが難しく、永久に不平不満を訴えることになりますね。

                      

 坂城町長 山村ひろし

 

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12/02/03 11:44

老子の続き(第32章)

 「道常無名」という言葉も有名な言葉ですね。 第1章を思い出してみてください。

(老子第1章)

http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/index.php?blogid=432&archive=2011-5-22

 

(老子第32章)

 

 道常無名。朴雖小天下不敢臣。侯王若能守之、萬物將自賓。天地相合以降甘露、民莫之令而自均。始制有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。譬道之在天下、猶川谷之與江海。

 

 道は常に無名し。 朴(ぼく)は小なりと雖(いえど)も、天下あえて臣とせず。 侯王(こうおう)若(も)し能くこれを守らば、万物将(まさ)に自ら賓(ひん)せんとす。 天地は相い合して、以(も)って甘露(かんろ)を降し、民は之に令する莫くして、自ら均(ひと)し。 始めて制(さ)けて名有り。 名も亦(また)既に有れば、それ亦た将に止まるを知らんとす。  止まることを知るは殆(あや)うからざる所以(ゆえん)なり。道の天下に在(あ)るを譬(たと)うれば、猶(な)お川谷(せんこく)の江海(こうかい)に與(くみ)するがごとし。

 

  道はいつも無名で言い表す名前はありません。自然の朴(あらき)は小さくともそのままではそれを使いこなすことはできません。 もし諸侯が政治を行う上で素朴な有り様を大切にするならばあらゆるものが敬意を表することになるでしょう。 天地が相和して恵の雨を降らせ人民は命令されることなく整いおさまります。 朴を細かく分け(道具などができ)名が付けられ始められます。 名ができはじめると更に細分化され留まることを知らなくなり、どんどん技巧に走ったりするようになり困った状態になります。ある段階でとどまることを知れば危うい状態から免れることができます。 道が 天下にあることを例えれば大きな河や海が数多くの河や谷の水を滔々と集めるようだと言えます。

 

 朴(あらき)のような人材を育て伸ばすことが我々の仕事だと思っています。 坂城町には逸材が豊富にいます。 期待したい。

 

 坂城町長 山村ひろし

 

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