21/07/16 05:32

父と戦争

トラトラトラ、390ページもある大作でしたが読み終わりました。とにかくすごい本です。20年間の綿密な取材にもとづいてアメリカの大学教授が執筆しました。
翻訳した日本人の力量も大したものです。
読書感想文は泥沼にハマりそうなので、そのうち機会があれば。
「リメンバー・パールハーバー」
報復攻撃は原爆を含め、何十倍何百倍でした。

海軍だった父は終戦の直前に室蘭沖で撃沈されましたが、辛うじて生き残りました。
詳しく知りたくて「室蘭空襲」で検索してみたら情報がありました。
市民にも多くの犠牲者(400名以上)が出て地獄のようだったと書かれています。
終戦の1ヵ月前、7月14・15日でした。父の話では、まるでスズメバチの大群のように無数の敵機が飛来し、空が真っ黒に見えたそうです。
空から雨あられの如くバンバン撃って来ます!爆弾も次々と投下。
任務は室蘭の警備でした。父は高い所に立ち、弾丸が降りそそぐ中、突撃ラッパを吹きました!
こういう非常事態になると、無我夢中で恐怖心とか何も感じなくなってしまうのだそうです。
対空砲火で勇敢に立ち向かいましたが、圧倒的な力の差でなすすべもなく撃沈されてしまいました。
1機か2機は誰かが撃墜したかもしれないと言っていました。
爆弾や弾丸が雨あられの如く飛んで来て、一緒にいた兵士たちは次々と倒れましたが奇跡的に父は助かりました。

海に投げ出された父は、遠くにかすんで見える陸地めざして泳いでいるところを漁船に救助され、病院に収容されて大きな注射を打たれたと言っていました。
冬の海だったら助からなかったでしょう。
船は今も室蘭沖に沈んでいるはずです。
室蘭を襲った敵機の群れは、この後青森を襲いました。

昭和40年頃だったか、子供だった私は生還した兵士たちの集まりに東京まで連れて行ってもらったことがありました。

室蘭で一文無しになった父は、どのようにして長野まで帰って来たのか?その話はとうとう聞かずじまいでした。
助けてくださった北海道の方々に感謝です。

 

毛布に同化しています(笑)

安いカツオですが、とても美味しかった。
安いのは量が少ないからですが、これで十分な量です。トラちゃんは小さいのを2個だけ。
食べるのが早すぎて写真は撮れませんでした。
水戸黄門様はカツオがお好き(笑)

おでん用に買っておいたコンニャク、賞味期限が近づいているので何とかならないものか?ピリ辛こんにゃく炒めを作ってみました。夏の料理ですね。
豆板醤をごま油で炒めて、肉や野菜とともに味噌ラーメンの粉末スープで味付けしました。庭の山椒の実を2粒添えました。
これは簡単で美味しい。おススメです。

 

キノコがどんどん出ています。
これはテングタケで毒。しかし特殊な方法で毒抜きして食べると、毒成分が旨味に変わって美味だそうな。
テングタケが出るということは、近縁種で食用のタマゴタケも出ているかも。探してみます。

カメラをペンタックスからニコンに変えてみました。前から持ってたんですが天体写真専用にしていました。
こっちのほうが綺麗に撮れるし、小さくて軽いので使いやすくシャッター音も静かです。発色が若干地味。
今後はこれをメインにします。15年も前のニコンD40です。
徹底的に使って使い潰します!

こちらはウスタケ。昔の本には食用となっていますが、新しい本では毒。少しなら良いが大量に食べると危険だそうです。結構美味しいらしいですが。

イブキジャコウソウ。良い香りがします。
前はハーブのタイムと間違えていました。平地に植えても育ちました。

純白のノリウツギも咲きました。これはアジサイの一種でしょうね。

 

ピッカピカの可愛いチビガエルが生まれました。これはヒキガエルですが、蟻のように小さいんです。しっかり生き延びて欲しい。
成長はすごい早さで、一夜にして尻尾が短くなって上陸しました。
モリアオガエルはまだまだ先になります。

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この記事へのコメント

戦争体験を 親から もっとちゃんと
聞いておけばよかった
そう思います・・・手遅れだけど(苦笑)

父親は 衛生兵で 怪我人や 病気の人
手当をしていたそうです。
母は 3月10日の東京大空襲を経験して
焼野原になるのを目の前で見たそうです
たくさんの人が亡くなっていくのも・・・。
悲しい事実ですが 語り継ぐ人たちも
もう少なくなりますよね
海軍省に勤めていて 早くから
この戦争は負けて終ることが解っていた
そうも言っていました。

梅雨明けましたね・・・暑いです😓
いきなりの暑さに 身体が慣れていません
投稿者: 由桜   21/07/16 18:23
私の祖父も海軍だったようなのですが、それを知ったのは、祖父が亡くなり10年以上も経ってからのことでした。
私が小1の時に亡くなったので、記憶に残っているのは、いつもお酒を飲んでいたということだけ(^_^;)
出征後のことは、祖母にも母たちたちにも話さなかったようで、今思えばですけど、よほどのことがあったのでしょう。
どれだけ恐ろしくつらい経験でも、聞かせてほしかったなぁと思います。

イブキジャコウソウは、タイムのそっくりさんなんですね(*^-^*)
良い香りと書かれていますが、香りもタイムに似ているのでしょうか?
キノコも次々と姿を現しているようですね。
美味しいキノコが、沢山見つけられますように〜(*´▽`*)
投稿者: pil   21/07/16 20:22
由桜様
コメントありがとうございます。
父はよく話してくれましたが、海軍だったせいでしょうか。
陸軍で実際に敵と対面して戦った人は、嫌な思い出がフラッシュバックするので沈黙していた人が多いらしいです。

私の親は結婚して8年間子供に恵まれなかったので、普通より年齢が高かったのです。
私の同級生たちの親は戦争を体験していない人がほとんどでした。
だから私は貴重な体験談を聞くことができました。

衛生兵ですか。怪我人の手当は大変なお仕事ですね。
戦場では薬品が足りなくて、どんな重傷でも赤チンキだったという話を聞きました。
今は赤チンキはないですよね。昭和の時代に廃止になった薬です。
東京大空襲ですか。あまりに悲惨な現場を見てしまうと感覚がマヒしてしまって何も思わないという話を聞きました。
後で思い出して苦しむのかもしれません。

海軍省に勤めていて戦争の実情が薄々わかったのですね。
極秘事項が多いのはどこの国の戦争も同じです。
真実は藪の中。一般市民には何ともなりません。
何十年たっても真相は藪の中だったりします。
政府や軍部が暴走してしまうと、一般市民にはどうにもできないと思います。
日頃から選挙は欠席せずに、よく考えて投票するぐらいしかできません。

明日の予報、長野市は36度です!
ここは高原なので30度以上にはならないと思いますが。
投稿者: ロッド   21/07/17 00:50
pil様
コメントありがとうございます。
昔は国民皆兵でしたからね。兵隊になった人は多かったです。
いつもお酒を飲んでいたのは、昔の嫌な事を忘れるためだったのかもしれませんね。
そのくらいの世代の人は2度も戦地へ行った人も多いです。
満州でソ連と戦って、やっと生還できたと思ったら今度は南方へ。
毒ガスや細菌兵器の開発が仕事だった人も、捕虜を使った人体実験でひどい経験をしたそうです。だから固く口を閉ざしていました。
母は戦争中は15歳の女学生でしたが、学校は中断されてしまって軍需工場で働かされました。だから勉強はしていなくて
簡単な言葉も知りませんでした。
母は縫製の仕事でしたが、中には女学生でも旋盤工として戦闘機の部品を作っていた人もいたそうです。

イブキジャコウソウは母がハーブだと言って実家の庭に植えてあって、少量ですが食べてしまいました(笑)
特に問題ありませんでしたが、食用ではないようです。

今日は庭の枯れ木にウスヒラタケが生えていました。
何年も食べていないので万一違うのでは?と思って食べる気分になりません。
普通のヒラタケと同じで美味しいのですが。
明日はタマゴタケを探しに行こうかと思います。
投稿者: ロッド   21/07/17 00:50
こんにちわ〜
昨日梅雨明けしました
今日は一気に夏日よりモード
お洗濯物はスッキリ乾きますが
肌に挿すような太陽です

これからは暑いですね〜
って言うご挨拶になりそうですね

イブキジャコウソウお庭にあるのですか?
タイムに似た花で可愛いですよね
グランドカバーに良いみたいで私も植えてみたいです
日当たりが良くないと無理かな〜?
投稿者: misako   21/07/17 14:04
misako様
コメントありがとうございます。
梅雨明けした途端に猛暑日ですね。長野は36度の予報でしたが34.7度でした。
しかし明日は37度とか!
東京は暑い暑いという割には35度以上にはなりませんね。

うちも今日は蒸し暑くて湿気がこもっているので換気扇フル稼働で室内の空気を入れ換えています。
押入れの中にも小さい扇風機を入れて換気しています。
とにかく湿気がすごいです。
外に出ると爽やかで涼しいんですけどね。暑くても28度が最高です。
しかし街へ買い物に行くときは朝早くに行かないと茹でダコのようになってしまいます(苦笑)

イブキジャコウソウは家にはなくて、よその道端にありました。
強くてドンドン増えるみたいです。葉っぱは松ヤニのような匂いがします。
日当たりの良い所にあります。
投稿者: ロッド   21/07/17 22:47
お父様の戦争体験は壮絶なものだったのですね。
助かってほんとうによかった。
始め方も終わり方も間違っていた戦争のために命を落とすなんてやりきれません。
今も世界のあちこちで紛争が起きていて
苦しむのは庶民という構図はいつの世も変わらないようです。
世界から戦争がなくなる日なんて永遠に来ないような気がします。

うちの庭にもちっこいアマガエルがたくさんいますよ。
ヒキガエルでも最初は蟻のように小さいのですか。
ミニチュアのカエルも一人前にカエルの姿をしていてかわいらしいですね。
投稿者: NEccoSun   21/07/19 00:19
NEccoSun様
コメントありがとうございます。
私は両親が結婚後8年目の子なので、親の年齢は普通より高いのです。それで戦争体験を聞くことができました。
父は浪人して苦労して入った東京の専門学校の学業を中断させられて学徒出陣でした。貧乏な親が無理して学費を工面してくれたのに半分無駄になってしまいました。
赤紙が来て「海軍」と知った祖母は泣き崩れてしまいました。海軍だと生きて帰って来れないだろうと思ったんです。

平和教育を受けて育った我々からすればNEccoSunさんがおっしゃるとおりなんですが、戦時教育で育った父は戦争に行ってお国のために死ぬのが喜びだとさえ思っていました。
ですから学友たちと話し合うことは「生とは何か?死とは何か?人生とは何ぞや?」
すごく真面目な人生論の議論だったそうです。哲学書もたくさん読んでいました。
私たち世代とは全然違いますね。

外国へ目を向ければ、例えばアフガニスタンのタリバンなど戦争に明け暮れる人々は、少年時代から戦闘員としての教育を叩き込まれているので、戦争が終わると普通の生活ができなくて苦しむそうです。
戦争をすることしか能のない人間に育ってしまっている。そういう人々がタリバンだけでなく世界には大勢いるのだそうで、これは大問題です。

戦前の教育で育った人々も似たようなところがあります。
戦争が終わって平和な社会になっても何でも戦争のつもりで真剣勝負をする。
だから海外ではエコノミックアニマルと呼ばれたり、猛烈サラリーマンとか過労死とか、そういう問題になっています。
真珠湾攻撃の生き残りで、戦後は自衛隊で指導教官になった人がいます。
その後国会議員になって問題発言をしました。
「原爆の3つや4つ落とされても日本は降伏するような国ではなかった」「日本は核武装すべき」
やはり若い時の経験は一生を左右しますね。

ヒキガエルは生き残ったのはごく少数でしたが、今度はモリアオガエルをなんとか立派に育てようと思案しています。
最後に上陸するときが一番危ないのがわかりました。
護岸工事されているとダメみたいです。自然の遠浅の池でないと。
投稿者: ロッド   21/07/19 15:46
私が子供の頃、戦争で手や足を失った人が、大きなデパートの前の歩道に座って、通行人からお金をもらっていました。
すでに戦後25年くらい経っていたいたころの話です。
戦争の悲惨さは世界中の人が知っているのに、世の中から戦争がなくなることは1度としてありません。
人間って本当にバカですよね。
戦争をして幸せになることなんてないのに。
そんなことを考えられるのも、こうして平和な所に住んでいられるからなんでしょう。

我が家の小さな池にも、アマガエルほどの大きさのチビ赤ガエルが3匹住み着いてます。
庭の虫をせっせと食べて、大きくなってくれればと思います。
卵を産んでくれたらいいのに、、、と思うのですが、今まで1度として池で卵を産んだことがありません。
何がいけないんでしょうね?猫のせい?
投稿者: woojyan   21/07/19 16:02
woojyan様
コメントありがとうございます。
それは傷痍軍人ですね。昔は社会保障制度が不備だったので、障がい者でも自前で生活を支えなければならず、生きて行くのが大変でした。
お国のために戦って障がい者になったのですから、国で何らかの助けをすべきですが、悲しいかな敗戦国ですから何もできなかったのでしょう。

父が言った言葉「戦争がいけないなんて当たり前のことじゃないか!」
反戦運動をしている人たちをテレビで見て発した言葉でした。
誰もが戦争はいけないと思っているのに、実際には人によってスタンスがずいぶん違います。
これが問題なんです。「戦争はいけないけど必要悪」その程度に思っている人たちも多いです。
「いけないのはわかっているが、やるべきときにはやる!!」
日本国憲法には「戦争は紛争解決の手段にしない」と書かれていて立派な事だと思います。
実際に解決しないのです。一時的に勝っても必ずまた報復されます。何十年何百年たっても恨みは消えません。
たとえば大昔のロシアやウクライナのクリミア戦争の事は今でもまた再燃しているし、日本と韓国中国とも問題も似ています。
どちらがいけないとか、どちらが正義だとか、そう簡単な問題ではありません。
突っ張って正論を言ったら必ず争いになります。しかし、遠慮して正論を言わないわけにいきません。それが外交の難しいところで、まさにキツネとタヌキのバカしあいみたいなもんですね。

アカガエルですが、うちの庭で産卵しようとして死んでしまったことがありました。お腹の大きい母親でした。
春まだ早く、氷点下になるような季節に出て来ます。
他のカエルより2ヵ月ぐらい早く産卵して、その後また冬眠するのです。
残念ながら今はうちにはアカガエルは1匹も来ません。10年ぐらい前にはたくさんいたのですが。
投稿者: ロッド   21/07/19 21:52


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