21/08/27 00:37

旅をする蝶

大正ロマンの話が少し続きます。
前回と同じ須坂市の洋館、過去の写真ですがですが角度と季節を変えて。

私の中学校はこのすぐ近くでした。
当時はあまり興味なかったのですが、最近になって化粧直しされ綺麗になって圧倒的な存在感を放っています。
庭には花がたくさん咲いていました。

この洋館のすぐ近くにお住まいの画家【小山賢一氏】による絵画展が開かれていました。
この方は日展に何度も入選されたほどの実力者です。

前回コメント欄でご紹介した「カチューシャの唄」をこちらにも。大正3年に流行りました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZVjRaEYc04Q
映像も大変素晴らしくて大正ロマンを感じます。
コメント欄ではワンクリックで行けますが、本文の場合はいちいちコピペしないと行けません。お手数かけます。
長野県中野市出身の作曲家、中山晋平のデビュー作です。
大正初期にこんな現代的な曲を作ったなんて素晴らしい。今でも立派に通用します。
東京音頭も彼の作品です。
これを歌っているのは島倉千代子ですが、大正3年に歌っていたのは松井須磨子でした。
彼女も長野県出身で、日本初の本格的女優でした。
今は長野県人の気質が変わってしまったのか、有名人・芸能人はほとんど出ません。

カチューシャの唄、途中にトラちゃんに似た猫さんが出て来ますよ。
タオルケットに甘えるトラちゃんです。このお手手が面白い。

 

昨日の事。
「旅をする蝶」アサギマダラがやって来ました。
アゲハ蝶ぐらいの大きな蝶で、ヒラヒラとゆっくり優雅に舞います。
沖縄まで渡って行くというんですから驚きです。
私の頭や手に止まって遊んでくれました。長い時間いましたが、西の方へ去って行きました。

紫陽花が綺麗に色づきました。9月まで楽しめると思います。
お盆から長雨でいけませんが紫陽花は喜んでいるでしょうね。

その後フシグロセンノウがこんなにたくさん咲きました!
数年前には憧れの花だったのに、とても嬉しいです。
このオレンジ色は独特で、他の花にはない色ですね。

ナデシコも咲きましたが、こちらは一輪だけです。
なかなか増えてくれません。
ネジバナは公園の芝生で見つけました。
よく見ると花だけでなく茎もねじれています。
この赤紫色も独特の美しさがありますね。
とても魅力の多い花ですが、栽培は難しいです。
単独で植えてもダメ。芝生など他の雑草が多い環境でないと育ちません。

栗ができてきました。今年は豊作です。
野生の栗で道端にたくさんあります。栗拾いが楽しみ。

家のブルーベリーも豊作で、毎日少しずつ食べています。
ジャムにするほどはできません。

この家は「ブルーベリー御殿」と勝手に名付けています。
ブルーベリーの生け垣に囲まれています。20年ぐらい前から老夫婦が夏だけ別荘として利用していましたが、今年売りに出されて県外の若夫婦が購入しました。
ここに住むのか別荘なのかわかりませんが、時間に余裕がある仕事のようです。テレワークでここでも仕事ができるのかな。

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21/08/20 04:53

大正ロマン

昭和初期から大正へ。
前回いただいたコメントで「大正ロマンが好き」というのが良かったので、それでテーマにしました。
書きたい事が多くて、すごく長くなってしまったので大幅に切り詰めました。
機会があればまた特集したいと思います。

最初に季節の話題を。
フシグロセンノウ(ナデシコ科)が咲きました。植えたらどんどん増えて嬉しいです。

ツリガネニンジン(キキョウ科)道端にたくさん咲いています。

チビ蛙、去年までは蛙になる直前にほとんど全滅状態になってしまっていました。
泳ぎ疲れて溺死してしまうらしい。
蛙が溺死!?ちょっと考えにくいことですが、今年は手足がはえたのは浅いトレイに移してやったら無事に蛙になって上陸して行きました。
手がかかります。
そのうち「蛙の恩返し」大勢で押し寄せて来るかも(汗)
可愛いけど、もう庭の小さな池では面倒見きれません。


ここから本題です。
大正と昭和。結論から言うと、豊かで楽しかった庶民の生活を戦争が台無しにしたということです。
こういう事は二度とあってはなりません。

驚いたことに、大正末期には今とほとんど同じ”文化生活”が実現されていました。
貧富の格差は大きかったと思いますが、母から聞いた話でも祖母の実家へ遊びに行くと、実際にあの「小さいおうち」と同じような豊かで楽しい生活。
自分の家とは別世界で羨ましかったそうです。

大正から昭和初期の面白い広告です。
古本屋で見つけた本がとても面白いんです。

これは前回の「小さいおうち」そっくり。
当時の小市民の憧れの生活だったのでしょう。
ソースという調味料は当時すごく新しい物でした。
大正時代の洋食いいなあ。カツレツって?
トンカツとは違って薄い牛肉のカツなんだそうです。
銀座の柳の下で、銀ブラです。

カルピスは古い歴史があります。この黒人をモチーフにしたイラストは人種差別だとかで最近になって廃止になりました。
とてもチャーミングで良いと思うんですが。
このパンは食べたくない。少年の顔が不気味ですよね。とてもまずそうだ。
カメヤというのも変。昔からの屋号なんでしょうけど亀とパンは馴染みません。
このパインも食べたくない。怪しい雰囲気です。
この少年、酒乱のオヤジのように目がすわってますね(汗)

トラちゃんのライバル!いい勝負ですね(笑)
どっちが凛々しい?
この映画を見に来た人に森永チョコレートを進呈!
という広告です。
そんな昔から森永チョコレートがあったのですね。
しかし昭和20年が近づくと姿を消してしまいました。

大正ロマンというと洋館ですが、
私の故郷にはこんな美しい洋館があります。今は農協になっていますが、元々は何だったんでしょう。

こちらは元々は役場でしたが、今は絵の展覧会などが開かれます。
長野県須坂市は小さな町ですが、大正から昭和にかけて生糸で栄え硫黄鉱山の出荷場でもあり、県庁所在地である隣の長野市よりも栄えていたほどでした。
東京の大手財閥系企業から商談に訪れる偉い人を接待するために高級料亭が立ち並び、腕の良い料理人が集まって来ました。芸者さんも大勢いました。
かつての栄華はどこへやら。今は商店街もさびれ、静かな住宅街です。

この洋館は県内最高レベルの文化財です。
ここからは遠い佐久市(車で3時間)の中込学校です。
数年前に行って来ました。
これが小学校だったというんですから驚きです。
洋風建築に不慣れな大工さんで、お金もかかりすぎて途中で頓挫しましたが、長い年月をかけて完成しました。

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21/08/13 06:01

小さいおうち

数年前にNEccoSunさんのブログで紹介された本ですが、
終戦の日を前に再度ここでもご紹介します。
2014年、山田洋次監督によって映画化されました。

この表紙のデザインがとても良いと思います。
イラスト・いとう瞳、デザイン・大久保明子と記されています。
NEccoSunさんのブログでは上流階級のハイカラな言葉づかいが話題になりましたが、いろんな切り口があって何度読んでも面白いです。
少なくとも5通りぐらいの切り口があると思います。
私はここでは「生活水準」をテーマにしてみたいと思います。

題名とは違って小さくはない豪華なお家です。
この家に住み込みで働いていた女中さん(家政婦)の目で見た東京の「ハイカラな生活」が生き生きと描かれています。
8歳年上の奥様に憧れていて2人は仲良しでした。
この人は小学校を出たばかりで東北から出て来たのでした。そして3軒目のお勤めでこの家に落ち着きました。

昭和初期の大衆文化です。こんなに楽しかったんですよ。
今とほとんど変わらない生活、いや、もっと豊かです。
昭和5年から昭和15年頃の日本はこんなに豊かだった!?
本当でしょうか?ちょっと信じられません。戦争の暗い影ばかり想像してしまうし、貧富の格差も大きかったはず。

私の家にも昔は女中さんがいました。
弟が生まれたときに母の実家から家事を手伝いに来てくれていました。福島出身でまだ高校生ぐらいの年齢で、子供のような背の低い女性でした。
その後故郷へ帰って結婚しました。こういうパターンが多かったようです。
母の実家は商売家で大家族だったので、女中さんが必要だったのです。
女中さんを雇うのは当時は珍しいことではありませんでした。

「小さいおうち」のご主人は中小企業のサラリーマンでしたが、輸出が好調で上昇気流に乗っていて、昇進して幹部になりました。
家族で時々都心のレストランに出かけて美味しい物を食べたり、ちょっと高級な洋菓子などをお土産に買って帰ったり。
女中さんは料理の腕をみがき、家庭に豪華な食卓を提供するために買い物にも工夫を凝らし日々努力していました。
昭和初期なのにクリームシチューなんか作って食べていました。鎌倉まで海水浴に行きました。

今の日本ではこれは上流階級の生活だと思いますが、ここでは「中流」ということになっています。
戦前の日本の生活水準はこんなに高かったのでしょうか。
もちろんこれは東京での話ですが。

こんな楽しい平和な暮らしでしたが、昭和20年が近づくと急激に悪化します。それでも寸前まではデパートでは「戦勝記念」とかで華やかな大売り出しをしたり。
戦況の悪化が庶民には気づかれないようになっていました。

可愛がっていた柴犬を国に供出させられ、泣いていた子供の話がありました。
なぜそんなひどい事を!?
大型犬は軍用犬に、小型犬は毛皮を兵隊さんの防寒着にするという話でしたが、実際には利用されず殺処分されたらしいです。
本当のところは、食糧難の折ペットなど飼っている場合ではないという事だったのでしょう。

最後にはこの家は空襲で焼けてしまって、防空壕に避難していたご夫婦も亡くなってしまいます。
たまたま外出していた息子さんがただ1人生き残りました。戦災孤児となり遠くの親戚に引き取られました。
女中さんも帰郷していて助かりました。

本当にあった話なのか、フィクションなのか?
私はこれは実話だと思います。

もし戦争がなければ、あの頃の日本がその後も順調に成長を遂げていたのなら、どんな社会になったでしょうか?
東京オリンピックも当初の予定どおり1940年に開催されて大好評だったはず。
そして昭和20年代には世界に冠たる素晴らしい先進国になったはずです。経済だけでなく文化的にも豊かな。
戦争で多くの若い優秀な人材を失ったのは、国にとって大きな損失でした。

トラちゃん、悩み多い顔をしていましたが、次の瞬間には幸福そうな寝顔に。

 

コオニユリが咲きました。
オニユリはやたら増えますが、コオニユリはなかなか増えません。高原に咲く貴重な花です。
昨日早朝のラジオで「今日の誕生日の花オニユリ、花言葉は荘厳」と言っていましたが、ネットで調べたら8月12日は少数派で他の日のほうが多かったです。
誕生花なんていいかげんなものですね。花言葉も他にいろいろありました。
オニユリのユリ根はお正月料理に珍重されます。
ヤマユリも食べられますが、苦くて美味しくないそうです。
桔梗も咲きました。お墓参りにはオレンジ色と紫で良い組み合わせです。しかしコオニユリはもったいなくて切れません。
桔梗は秋の七草ですね。

ススキの穂も出てきました。

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21/08/06 01:02

オリンピック

ドイツ在住のpilさんのブログに、ドイツ選手金メダルのお祝いコメントをしたので、それ関連の話題です。
49年ぶりということになります。それでも同種目で2回金というのは素晴らしい。日本では考えられない事です。
最後の最後に奇跡的な大逆転劇、記録は7m00でした。
2位とはたった3cmの差、そして2位と3位は同記録でした。
女子走り幅跳びです。前回のドイツ人金メダリストは72年ミュンヘン大会のときの、この人。
こんな昔に7m近く跳んだのですから凄い! 模範的な美しい跳び方です。

この当時私は高校1年で陸上部に入ったばかりでした。
それで初めて買った本がこれでした。
陸上は初めてで何も知らなかったんです。
野球部に入ろうかと思いましたが、練習時間が長くて厳しそうだし、隣の市から電車通学なので大変だし。
陸上部なら個人種目なので自由で良いし、この高校は指導者がいなくて生徒だけでテキトーにやってたので気楽にできそうと思ったのが動機でした。
そういう軟弱な動機でしたが、実際には想像以上に軟弱な陸上部で、幽霊部員ばかり。いつも活動しているのは5人ぐらいでした。
練習しないでいきなり試合に出るので、当然負けます。
集合時間も決まっていなくて、自分の種目に間に合うように来て、終わればサッサと帰って行く。

セピア色に変色した新聞、1977年です。
現在の日本記録は1m96。まだ追いついていません。
今回の五輪、女子は一人も出場できませんでした。
現在の世界記録は2m09で、もう34年も破られていない古い記録です。

私の専門はこの種目でしたが、日本ではすでにベリーロールの時代は終わって背面跳が100%でした。
優劣はほとんどありませんが、ベリーロールは難しすぎるので敬遠されました。

こちらも72年のミュンヘンで優勝したドイツの選手。なんとまだ16歳でした!
これは私はテレビで見ていた記憶があります。「背面跳ってこうやって跳ぶんだ」と思いました。
この選手はその後長いスランプに苦しみましたが、30歳近くなって見事に復活!
2m以上まで記録を伸ばし、金はとれなかったと思いますが再びメダリストになりました。
しかし身長が184cmというのはすごいですね。日本にそんな長身の女性はいません。
西ドイツ、東ドイツというのも時代を感じさせます。

うちの娘も同じ16歳ですが、結構跳びますよ(爆)
後ろから見ると鉄腕アトム。
綺麗に坊主刈りになっています(笑)

こちらは昭和初期の日本人選手。
この跳び方で2m07を跳んだのですよ!
これは世界記録でしたが、オリンピックでは実力を出せず6位に終わりました。
はさみ跳び(正面跳)という跳び方で、小学生のときに授業で教わるあの跳び方を少々改良したものです。
バーをまたいだ後、体をひねりながら手前に寝せるようにして苦労して抜き足をします。
足が引っかかってしまうことが多い。それ以前に高いバーの上までジャンプして足でまたぐのが大変です。

背面跳に比べると約20cmのハンディがあるので、この人がもし背面跳で跳んだら今でも第一線で活躍できるはず。
当時はグランドコンディションもシューズも劣悪だったので、それを考えに入れると、さらにプラス10cmになります。
つまり2m37が跳べる計算になり、今回の五輪でも金メダルです!
昔も今も人間の能力ってあまり変わっていないのですね。

下に山田宏臣という名前が見えますが、朝隈先生が育てた選手で68年メキシコ五輪で決勝進出。幅跳びに日本人初の8m越えを果たした人です。
京都の知恩院の石段上りで鍛えました。
そして今回の五輪では橋岡選手が8m10を跳んで6位入賞。伝統は見事に継承されています。
知恩院の石段は聖地なので、私は京都までわざわざ見に行きました。普通の石段より幅が広くて傾斜が緩いんです。
だからトレーニングには最適。

これは自分の名前が載っているので記念になります。
出させてもらえただけで光栄です。
各種目15人ぐらいに招待状が届いて、この中で3位以内に入ってさらに五輪参加標準記録を越えた人が代表に選出されます。このとき基準をクリアできたのは1人か2人でした。
(0という種目のほうが多いんです)
五輪標準記録は大変に厳しいもので、五輪本番で8位以内に入るぐらいのレベルです。
標準記録をクリアしていても本番で実力を発揮できる人は5人に1人ぐらいです。
つまり世界から40人出ても勝ち残るのは8人ということです。勝負の世界は厳しい!

モスクワ五輪は日本はボイコットしたので「幻の五輪」でした。ソ連のアフガン侵攻問題でした。
その後アメリカが軍を送り込んで、今は撤退。しかし問題は解決していません。先日大きな爆発(テロ事件)がありました。

オリンピック自体にも問題がいろいろ多く、もう曲がり角に来ているので、今度からは毎回アテネでやったら良いのでは?
という論調も出て来ているそうです。

 

裏庭のヤマユリが見事に咲きました! 花は巨大です。
2株で11個も咲いています。香水のような香りが庭全体にたただよっています。特に夜は幻想的です。

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