11/08/21 04:53

老子の続き(第13章)

  この章では、世間の評判などに一喜一憂する我々の態度に痛烈に批判を与えています。 つまり、「名誉」とか「財産」といった社会通念上大切に思っていることに本当に価値があるのか、そんなことにこだわっていては本質的な仕事はできないよ、と言っています。

 

  寵辱若驚、貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲上辱為下。得之若驚、失之若驚、是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。故貴以身爲天下者、則可寄於天下、愛以身爲天下、乃可以託於天下。

 

  寵辱(ちょうじょく)驚くが如し、大患を貴ぶこと身の若し。 何をか寵辱驚くが若しと謂ふ。 寵を上と為し、辱を下と為す。 之を得ては驚くが若く、之を失ひては驚くが若し。 是(これ)を寵辱驚くが若しと謂ふ。 何をか大患を貴(たっと)ぶこと身の若しと謂ふ。 吾の大患有る所以(ゆえん)の者は、吾身を有とするが為(ため)なり。 吾身を無とするに及びては、吾何の患か有らん。 故に身に貴ぶに身を以てして天下を為(おさ)むる者には、則ち天下を寄す可し。 愛するに身を以てして天下を為むる者には、乃(すなわ)ち以て天下を託す可し。

  

 人々は世の中の誉れ、あるいは辱めにまるで自分自身そのものが評価されたように考える悪い癖があります。なぜこのようにいつもびくびくとしているのでしょうか。

 寵愛を最高のものと考え屈辱を最悪のものと考える、誉れを得て喜び、失って悲しむ。まるで自身の尊厳を言われたように感じてしまうのです。

 なぜ、そのように考えてしまうのかというと自分自身の存在にあまりにも固執してしまうからなのです。自分の存在を無として考えれば何の患いを感じることもありません。世間の評価など考えず、本当の自分を大切にする人にこそ天下を任せられるのです。本当の意味で自分自身を愛することのできる人にこそ天下を託すことができるのです。

 

  このように、世間の評判などに一喜一憂せず、自分を「無」として、無為自然の境地で取り組める人に天下を任せろと言っています。 

  我が国のリーダーにもこのような人を期待したいですね。

 

 

 坂城町長 山村ひろし

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11/08/12 10:49

老子の続き(第12章)

 この章にはしばしば「検欲」というタイトルが付けられます。 つまり、欲望を取り締まる、欲望を抑えるという意味です。

 われわれはいつも一見賑やかな、派手なものに目を奪われがちですが、よくよくものごとの本質を見極めなければいけないということですね。

  

 五色令人目盲。五音令人耳聾、五味令人口爽。馳騁田獵令人心發狂、難得之貨令人行妨。是以聖人爲腹不爲目。故去彼取此。

  

 五色は人の目をして盲ならしむ。 五音は人の耳をして聾ならしむ。 五味は人の口をして爽ならしむ。 馳騁(ちてい)田猟(でんれふ)は、人の心をして発狂せしむ。 得難きの貨は、人の行ないをして妨げしむ。 是をもって聖人は、腹の為にして目の為にせず。 故に彼れを去りて此れを取る。

 

  人が普段なかなか触れることの無い、色とりどりの色彩「五色」を一度に使うと、かえって目がだめになってしまうものです。 同じように五音といって様々な音色を使うと聴覚がおかしくなります。 又、五味といって数々の味を一緒に使うと人の味覚もおかしくなってきます。 乗馬や狩りもやりすぎると人の心を狂わすことになります。 普段なかなか手に入らない宝玉がしばしば人の心を狂わせるのと同じです。 このことからも、聖人と言われる人は実質的なものを重んじ、外見的なものには重きを置かないものなのです。

  

   こうありたいものですが、なかなか現実は気が揺らぐ時がありますね。

  

   坂城町長 山村ひろし

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11/08/03 23:43

老子の続き(第11章)

 この章は大変興味ある章です。いわば老子の逆説的な考え方に 「はっとする」 ところかも知れません。車のハブ、器、家などの例でいわば 「無用と思っているものこそ有用」 なのだという考え方です。(無用の用)

 

   三十輻共一轂。當其無有車之用。挺埴以爲器。當其無有器之用。鑿戸牖以爲室、當其無有室之用。故有之以爲利、無之以爲用。

 

 

  三十の輻(ふく)は一轂(こく)を共にす。その無に當(あた)りて車の用あり。埴(ち)を埏(せん)して以って器を為(つく)る。その無に當りて器の用有り。戸牖(こよう)を鑿(うが)ちて以て室を為る。その無に當りて、室の用有り。故に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。

 

  車輪の三十の輻(ふく スポーク)は一つの轂(こく ハブ)に集まります。この中心が空洞になったハブがあるからこそ車輪の役目を果たすことが出来るのです。粘土を練って器を作りますがこの内部の何も無い空間こそが器の大切な役目なのです。戸口や窓をくりぬいて部屋を作りますがこの何も無い空間こそがあって初めて部屋の役目がかないます。従って「有」というのは「無」があってこそ、本来の機能を果たすことが出来るのです。

 

  どうでしょうか、「無の働きを考える」、「無を意識して有を見る」ということを時として考えてみると今までと別の価値観が見えてきます。 あるいは、あなたの回りの人に対しても別の発見があるかも知れません。

 

  坂城町長 山村ひろし 

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