11/12/31 08:03

老子の続き(第27章)

 この章は、実に内容の濃い深いものを多く含んでいます。 人の有り方、人との関係、社会とのあり方、人の使い方などなど大いに参考になります。

 

 善行無轍迹、善言無瑕讁。善計不用籌策、善閉無關楗而不可開、善結無繩約、而不可解。是以聖人常善救人、故無棄人。常善救物。故無棄物。是謂襲明。故善人者不善人之師、不善人者善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙


 
 善く行くものには轍迹(てっせき)無く、善く言うものは瑕謫(かたく)無し。 善く計るものは籌索(ちゅうさく)を用ひず、善く閉ずるものは関楗(くわんけん)無くして開く可(べ)からず、善く結ぶものは縄約(じょうやく)無くして解く可からず。 是を以て聖人は常に善く人を救ふ、故(ゆえ)に棄人無し。 常に善く物を救ふ、故に棄物無し。 これを襲明(しゅうめい)と謂(い)ふ。 故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。 その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智なりと雖(いえど)も大いに迷ふ。 是を要妙(ようみょう)と謂ふ。

 

 無為の状態ですぐれた進み方のできる者には轍(わだち)の痕が残りません。 すぐれた話のできる人には言葉に瑕(きず)がありません。 すぐれた計算を行う人は算木など必要としません。 すぐれた戸締りでは鍵をかけなくても開けることができません。  
 すぐれた結びは縄がけをしなくてもほどくことができません。 (契約などしなくても反故にすることがないということです)
 このように、聖人はうわべにとらわれず無為の状態で物事をよく見ることができ、その本来持っているものを大切にするので、人をもよく救うことができるのです。 従って、捨てられる人などありません。 また、物をよく救います。従って捨てられるものもないのです。 これは襲明(しゅうめい)あるいは明知を身につけていることと言います。 従って、善人は不善人の師ともなりますし、不善人は善人の資(たすけ)ともなります。 どんなことでもその師を尊ばなかったりその資を大切にしなければ知恵者といっても迷うことになります。 これを奥深い玄妙な真理と言います。
    
 
 襲明(しゅうめい)という言葉がありますが、これは「明」をおおう、つまり明智に従い表面的知識を拭い去り、「道」と一体となった、「理屈を超えた」状態の大切さを唱えています。 まさに「無為自然」のあり方ですね。
   
 
 坂城町長 山村ひろし

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11/12/24 09:52

老子の続き(第26章)

 ここでは、人間としての「重さ」あるいは「軽挙妄動」の戒めを説いています。 最近の政治の軽さを老子先生はどのように見ているのでしょうか。

                     

 重爲輕根。靜爲躁君。是以聖人、終日行、不離輜重。雖有榮觀、燕處超然。奈何萬乘之主、而以身輕天下。輕則失臣、躁則失君。

                  

 重(ぢゅう)は軽(けい)の根(こん)たり。 静(せい)は躁(そう)の君(きみ)たり。 是(ここ)を以って聖人は、終日行けども輜重(しちょう)を離れず。 栄観(えいくぁん)ありと雖(いへど)も、燕處(えんしょ)超然たり。 奈何(いかん)ぞ萬乗(ばんじょう)の主にして、身を以って天下より軽しとするや。 軽ければ則ち臣(しん)を失い、躁がしければ則ち君たるを失ふ。

                

 重いものが軽いものの支えとなるように、静かさは騒々しさを治めます。聖人は一日中行進しても決して輜重(しちょう 軍需品を乗せた車両)を離れません。素晴らしい眺めがあると言っても超然としています。大国の主が天下に対して軽々しく行動してよいものでしょうか。軽挙が多ければ臣下を失い、騒がしく妄動すれば君主の立場を失ってしまいます。

             

 重要ということばも「重いかなめ」であり、慎重も「重く慎む」という意味ですね、国を治める者、首長、経営者にとっても大切な心持ですね。

                       

 坂城町長 山村ひろし

  

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11/12/10 17:08

老子の続き(第25章)

 この章は老子の宇宙観を知るうえで重要な箇所です。 宇宙の根源、ビッグバーンの概念をも感じることが出来ます。

   

 有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立而不改、周行而不殆、可以爲天下母。吾不知其名。字之曰道、強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。故道大。天大。地大。王亦大。域中有四大、而王居其一焉。人法地、地法天、天法道、道法自然。

 物有り混成し、天地に先だって生ず。 寂(せき)たり寥(れう)たり、独立して改(あらた)まらず、周行して殆(おこた)らず。 以て天下の母と為す可(べ)し。 吾、其(そ)の名を知らず。 これに字(あざな)して道と曰(い)ひ、強(し)いて之(これ)が名を為して大と曰う。 大なれば曰(すなは)ち逝(ゆ)き、逝けば曰(すなは)ち遠ざかり、遠ざかれば曰(すなは)ち反(かへ)る。 故に道は大なり。 天は大(だい)なり。地は大(だい)なり。 王も亦(また)大なり。 域中(ゐきちゅう)四大(しだい)有り。 而(しか)して王は其(そ)の一に居る。 人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。

 いろいろなものが混ざり合って一つになり、天地のできる以前に存在しています。 音もなくうつろに形もなく、何物にも頼らず独立し変わることもありません。 どこまでも大きく巡り回りとどまることがありません。 その様子は天下の根源を作り出す母のようです。 私はその名を知りません。 とりあえず仮の字(あざな)をつけて道とし、しいて名を大とします。 大と言うごとくに大きく動き、遠ざかり、まるで大宇宙の動きのようにふたたびもとにもどってきます。 道は大きく、天も大きく、地も大きく、王もまた大きな存在です。 この世の中には四つの大きな大があります。 王もその一つなのです。 人は地の法則に則り、地は天の法則に則り、天は道の法則に則ります。 道は自らの自然な在り様に従って行動します。

   

 実に壮大な話ですが、文中、「四大」とあるのは「道、天、地、王」ですが、ここに「王」が入ってくるのが老子のユニークな現実的な立場だと言えます。 いずれにしても、大宇宙の滔々とした動きの中、堂々と無為自然の立場で生きていたいものです。

   

 坂城町長 山村ひろし

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11/12/02 20:42

老子の続き(第24章)

 この章は大変短いものですが、老子の本質が語られています。

 あまり無理するな、自然体で堂々と生きよということです。

  

 跂者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功。自矜者不長。其於道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處也。

 

 つまだつ者は立たず、跨またぐ者は行かず。  自ずから見あらわす者は明らかならず、自ずから是とする者は彰あきらかならず。  自ずから伐ほこる者は功無く、自ずから矜ほこる者は長ちょうとせられず  其の道に於けるや、余食贅行よしぜいこうと曰ふ。  物或つねに之を悪にくむ、故に有道者は處(お)らず。

 

 爪先立ちする人はいつまでも立っていることはできません。大股で歩く人は長い距離を進めません。自ら見せびらかす人は他から認められることはありません。自ら正しいと主張する人はかえって受け入れられません。自ら功績を自慢する人はなかなかそれを受け入れてもらえません。自ら威張っている人はリーダーにはなれません。このようなことは道の考え方からすると余計な振る舞い、無駄なことなのです。誰もがこのようなことを嫌います。従って道を極めた人はこのようなことは決して行わないのです。

 

 

 俺が俺が」の人生でなく、他者のために最善を尽くすことが大切です。 老子はあくまでも人為的な人生を否定し、常に「無為自然」の大切さを説いています。

 

 

 

   坂城町長 山村ひろし

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