12/04/27 00:37

老子の続き(第45章)

 この章もなかなか面白いですね。 大人物と言える人は案外少しずれていたり、ちょっと面白いところがある。 というふうに考えてみると面白いですね。

                    

 大成若缺、其用不弊。 大盈若、其用不窮。大直若詘、大巧若拙、大辯若訥。 躁勝寒、靜勝熱。 清靜爲天下正。

                       

 大成(たいせい)は缺(か)くるが若(ごと)くなれども、其の用は弊(つまづ)かず。 大盈(たいえい)は(むな)しきが若くなれども、其の用は窮(きわ)まらず。 大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(せつ)なるが若く、大辯(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。 躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。 清静(せいせい)もて天下の正(せい)を爲せ。

                        

 大きく完成されたもの、あるいは人は、ちょっと見るとどこか欠けているように見えるものですがその働きはとどまることがありません。  真に充実しているものはどこか虚ろに見えることがあります。  本当にまっすぐなものはどこか曲がっているようにみえるし、素晴らしく技巧的なものはかえってどこか稚拙に見えることがあります。  また、素晴らしい演説は訥々としているものです。  うるさく立ちまわっていれば寒さしのぎにはなり、じっとしていれば暑さをしのぐこともできますが、静かに清らかに無為の状態でいれば世の中をさえ治めることが出来るのです。
                    
                        
 ぎりぎりの百点満点を目指すのではなく、少しのゆとり、あるいはバッファを持てということでしょうか。
 上記にある「(むな)しきが若く」について、伊藤若冲という有名な江戸期の画家(1716-1800)がいます。 この名は、禅の師であった大典顕常がこの老子の章からとり、与えたと言われています。
                                   
                            
 坂城町長 山村ひろし

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12/04/21 02:44

老子の続き(第44章)

 以前(第33章)に、「知足者富」(足るを知る者は富む)というのが出てきましたが、それに通ずるところですね。

                              

 名與身孰親。 身與貨孰多。 得與亡孰病。 甚愛必大費。 多藏必厚亡。 知足不辱、知止不殆。 可以長久。

                          

 名と身と孰(いず)れか親しき。 身と貨と孰れか多(まさ)れる。 得ると亡(うしな)うと孰れか病(くる)しき。 甚(はなは)だ愛(あい)すれば必ず大いに費(つひや)し、多く藏(ぞう)すれば必ず厚く亡ふ。 足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あやふ)からず。 以(も)って長久なる可(べ)し。

                            

 社会的な名声と命とでは自分にとってどちらが切実なものでしょうか。命と財産ではどちらが重要なものでしょうか。 ものを得るときと失う時とではどちらがつらいものなのでしょうか。 激しくものごとに執着すれば必ずそれを一切失ってしまうことがあるものなのです。 多く貯めこめば必ず大いに失ってしまうことがあります。 物事のこれでもう充分であるという「足るを知る」ことができれば辱めを受けるようなことはなく、一歩手前でとどまることを知っていれば危険なことはありません。このようにしていれば幸せに長く暮らすことが出来るのです。

                              

 外見ばかり重視していると自分の生命をも危うくするよ。 という老子の声が聞こえてくるようです。 常に「無為自然」「不争謙下」で有りたいものです。

                         

 坂城町長 山村ひろし

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12/04/16 06:38

老子の続き(第43章)

 ここでは、「柔」よく「剛」を制すというように、形を持たない強さについて述べています。

                  

 天下之至柔、馳騁天下之至堅。 無有入無?、吾是以知無爲之有益。 不言之教、無爲之益、天下希及之。   

                      

 天下の至柔(しじゅう)にして、天下の至堅(しけん)を馳騁(ちてい)す。 無有(むゆう)にして無間(むかん)に入る。 吾是を以て無爲の益有るを知る。 不言の教え、無為の益は、天下之に及ぶこもの希(な)し。

                      

                       

 水のようにこの世の中で最も柔らかいものが最も固い金属や岩石を自由自在に動かすことができます。 また、水のように形の無いものは隙間の無いところまで入り込むことができるのです。 私はこのように水のように一見、ことさらに何もしない自由自在で無為の大切さを知ることができるのです。 わざわざ言葉に出して教えない「不言の教え」、さかしらに行わない「無為の有益さ」はこの世の中でほかに匹敵するものはありません。
                             
                    
 孫子にも「微なるかな微なるかな、無形に至る」最高の攻め方について述べています。 いつもは静かな水の強さ。 いろいろ考えさせられますね。
                              
                           
 坂城町長 山村ひろし

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12/04/08 04:59

老子の続き(第42章)

 この章は正に「道」のダイナミックな動き、いわば「創造論」とでもいうべき章です。

 

 道生一、一生二、二生三、三生萬物。 萬物負陰而抱陽。 氣以爲和。 人之所惡、唯孤・寡・不轂。而王公以爲稱。 故物或損之而益、或益之而損。 人之所教、我亦教之。 強梁者不得其死。 吾將以爲教父。

                                

 道(みち)一(いち)を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず。萬万物陰を負ひて陽を抱き、 冲気(ちゅうき)以(も)って和を爲す。 人の惡(にく)む所は、唯(た)だ孤(こ)・寡(くゎ)・不轂(ふこく)のみ。 而(しか)るに王公(わうこう)以って稱(しょう)と為す。  故に物或(つね)に之を損して益し、或(つね)に之を益して損ず。 人の教ふる所は、我も亦(ま)た之を教へん。 強梁(きょうりょう)なる者は其の死を得ず。 吾れ將に以って教父(けぅふ)と為さんとす。     

 

 「無」としての道はまず「有」としての「一」を生じます。 この「一」が陰陽としての「二」を生じます。 この「二」が陰陽を持ち合わせた万物としての「三」を生じます。 従って万物はすべていわば、陰を背負って陽を抱いているのです。 そして「冲気」がこの陰陽をとりまとめる働きをします。  人々の嫌うものは 「孤(こ みなしご)」 「寡(か ひとりもの)」 「不觳(ふこく のうなし)」 ですが、すぐれた王侯は自らへりくだってそのように自称したりするものです。  世の中は、あるときは損をして儲かったり、あるいは儲かって損をしたり、良かったり悪かったりします。 このようなことから学べるのは 「力まかせに強引に推し進めようとするものは、かえってまともな死に方ができない」 ということです。 私はこれを良い教訓としたいのです。
                   
                                           
 この章は「道化」(どうか)というタイトルが付けられることが多いのですが、正に「生成化育」 ダイナミックな自然のいとなみについて書いています。
 そして、「 強梁(きょうりょう)なる者は其の死を得ず。」 強引過ぎると、まともな死に方ができないよ。 というのも強烈なメッセージですね。
                           
                                  
 坂城町長 山村ひろし

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