12/06/24 06:04

老子の続き(第54章)

 この章の冒頭  「善く建つる者は抜けず、善く抱く者は脱せず。」 のように しっかりした信念を持って行動したいものです。

 

 善建者不抜。善抱者不脱。子孫以祭祀不輟。修之於身、其徳乃眞。修之於家、其徳乃餘。修之於郷、其徳乃長。修之於國、其徳乃豐。修之於天下、其徳乃普。故以身觀身、以家觀家、以郷觀郷、以國觀國、以天下觀天下。何以知天下然。以此。

                                                                   

 善く建つる者は抜けず、善く抱く者は脱せず。 子孫祭祀(さいし)して輟(や)まず。 之(これ)を身に修むれば、其の徳乃(すなわ)ち眞(しん)。 之を家に修むれば、其の徳乃ち餘(あまり)あり。 之を郷(きゃう)に修むれば、其の徳乃ち長し。 之を國(くに)に修むれば、其の徳乃ち豊(ゆた)かなり。 之を天下に修むれば、其の徳乃ち普(あまね)し。 故に身を以って身に觀(み)、家を以って家に觀、郷を以って郷に觀、國を以って國に觀、天下を以って天下に觀る。 何を以って天下の然(しか)るを知るや。 此(これ)を以ってなり。

                       

 しっかりと建てられたものはなかなか抜くことが出来ません。 しっかりと抱かれたものは脱落することはありません。 このように徳を身につけていれば子孫代々祭りごとを絶やすことはありません。 これを身に体得していればその徳は間違いの無いものになります。 家をおさめれば徳はありあまるものになります。 これをその郷土に修めればその徳がいよいよ長く続きます。 これを国に修めればその徳は益々豊かになります。 これを天下に修めればその徳は天下中に広まります。 従って、個人のレベルで修め方を見、家のレベルで修めかたを見、卿のレベルで修め方を見、国のレベルで修めかたを見、天下のレベルで修めかたを見るのです。 私が何によって世界の状況を知るかというとこの見方によってなのです。
                                 
                                  
 この章にはよく 「修觀」 というタイトルが付けられます。 内面からしっかりと物事を 「修め觀る」 と言うことでしょうか。
                        
                        
 坂城町長 山村ひろし            
 
                       

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12/06/16 10:30

老子の続き(第53章)

 この章もなかなか示唆に富んだ章です。

 今の政治のあり方、国民の態度、考えさせられること大いにあります。

                             

 使我介然有知行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚、服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道哉。

                                   

 我をして介然(かいぜん)として大道(たいどう)に知行(ちかう)すること有らしめば、唯(ただ)施(し)を是(これ)畏(おそ)る。 大道は甚(はなは)だ夷(たいら)かなるも、而(しか)も民は徑(こみち)を好む。 朝(てう)は甚だ除(じょ)なれども、田は甚だ蕪(ぶ)し、倉は甚だ虚(むな)し。 文綵(ぶんさい)を服(ふく)し、利劔(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨餘(あまり)有り。 これを盗夸(とうこ)と謂(い)う。 非道なるかな。

                          

 もし自分にはっきりとした大道にのっとった知恵があれば小道に入ることを恐れます。 大道は大きく開けているのに普通の人民は小道を行きたがるものです。 宮殿ははなはだ奇麗なのに田畑ははなはだしく荒れ、倉も空っぽである。 それなのに奇麗な衣服を身につけ鋭い名剣を帯び、飽食をし、ありあまる財宝を持っている。 これを盗賊といわざるを得ない。 道に反する行いです。

                    

             

 「大道は甚(はなは)だ夷(たいら)かなるも、而(しか)も民は徑(こみち)を好む」

 「大道は大きく開けているのに普通の人民は小道を行きたがる」

 つまり、大道をしっかりと歩めば何の問題もないのに、わざわざ、「小道」「隘路」を選び難渋してしまう。 正々堂々と大道を歩む世の中であって欲しいですね。

                    

 坂城町長 山村ひろし

                        

 

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12/06/06 13:59

老子の続き(第52章)

 この章も 「老子的生き方」 について述べています。

 道のあり方をよく理解し、「道」を踏襲すれば終生危ういことがないと言うことです。

                                                     

 天下有始、以爲天下母。 既知其母、復知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。 塞其兌、閇其門、終身不勤。 開其兌、濟其事、終身不救。 見小曰明、守柔強。 用其光、復歸其明、無遺身殃。 是謂習常。

                              

 天下に始(はじめ)有り、以(も)って天下の母と爲(な)る。 既にその母を知り、復(また)其の子たるを知る。 既に其の子たるを知り、復其の母を守れば、身を没するまで殆(あや)ふからず。 其の兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、其の門を閉づれば、終身勤(つか)れず。 其の兌を開き、其の事を濟(な)せば、終身救はれず。 小を見るを明と曰(い)ひ、柔を守るを強と曰ふ。 其の光を用ひて、其の明に復歸すれば、身に殃(わざわひ)を遺(のこ)す無し。 これを習常と謂(い)う。

                           

 この世の中のはじめにはその根源があります。 それが世の中の「母」と言えるでしょう。 その「母」の存在を良く理解し、そこから生まれた現実の世界つまり「子」の実態を知ることが大切です。 その世の中の実態を知り、根源である「母」を大切に守ることができれば終生危うくなることはありません。
 欲望や好奇心のもととなる耳目・五感や心の門をしっかりと閉じていれば一生疲れることはありませんが、逆にすべての感覚を開け放ってしまうと生涯救われることはありません。
 五感で察知できないような微小なものや兆しをとらえることが出来ることを明知と言います。 また、常に柔軟なありかたを守ることはむしろ本当の強さと言えます。 どんな微弱な光をとらえ常に明知を働けせることができれば自らの災いは無くなります。 これを常の道に従う恒常と言います。
                 
                          
                                    
 一定不変の 「常道」 に従っていれさえすれば、終身勤(つか)れず、終身救われるということのようですね。
                     
                     
                            
 坂城町長 山村ひろし

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12/06/02 01:42

老子の続き(第51章)

 この章は、いわば 「道」 との共同作業について述べています。 「道」 がどのように宇宙、万物を 「生成加育」しているか。 大変興味のある章です。

                    

 道生之、徳畜之、物形之、勢成之。 是以萬物、莫不尊道而貴徳。 道之尊徳之貴、夫莫之命、而常自然。 故道生之、徳畜之、長之、育之、成之、孰之、養之、覆之。 生而不有、爲而不恃、長而不宰。 是謂玄徳。

                                 

 道之(これ)を生じ、徳之を蓄(やしな)ひ、物之を形づくり、勢(いきほひ)之を成す。 是(ここ)を以(も)って萬物、道を尊(たっと)び徳を貴(たっと)ばざるは莫(な)し。 道の尊きと徳の貴きとは、夫(そ)れ之(これ)に命ずる莫(な)くして、常に自然なればなり。 故に道之を生じ、徳之を畜(やしな)ひ、之を長じ、之を育て、之を成し、之を孰(じゅく)し、之を養ひ、之を覆(おほ)ふ。 生じて有せず、為して恃(たの)まず、長じて宰(さい)せず。 これを玄徳(げんとく)と謂ふ。

                                

 道が万物を生み出し、徳が育て、具体的な物となって形作られます。 そして、道と徳が全体としてバランスをもってすべてを整えるのです。 したがって、万物は道を尊び、徳を貴ぶのです。 道が尊く、徳が貴いのは万物に命ずることなく自然だからなのです。 このように、道が万物を生じ、徳がこれを養い、伸長し、育て、成長させ、立派に成熟させ、保護しているのです。 それでいて、道はその成長させたものを独り占めするわけでもなく、何かを期待するわけでもなく、我が物顔で居座るわけでもありません。 このようなあり方を玄徳といい最高の徳をさします。

                   

 最後の部分で言う、「道」はすべてのものを生成するのに、「独り占めするわけでもなく、何かを期待するわけでもなく、我が物顔で居座るわけでもない」 と言う部分が印象的ですね。 世の中を見渡すとこの反対のことが多いですね。

                      

                          

 坂城町長 山村ひろし

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