12/01/21 07:12

老子の続き(第31章)

 この章も前章に続き、老子の戦争論です。 過剰な武力の戒め、武力を持たざるを得ない場合にも 「恬淡(てんたん)とすべき」また、「勝ちて美とせず」 など重い言葉ですね。

                                       

 夫佳兵者不祥之器。物或惡之。故有道者不處。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不祥之器、非君子之器、不得已而用之、恬惔爲上。勝而不美。而美之者、是樂殺人。夫樂殺人者、則不可以得志於天下矣。吉事尚左、凶事尚右。偏將軍居左、上將軍居右。言以喪禮處之。殺人之衆、以悲哀泣之、戰勝以喪禮處之。

                                      

 夫(そ)れ佳兵(かへい)は不祥の器なり。 物或(つね)に之を悪(にく)む。 故に有道者は處(を)らざるなり。 君子處(を)りては即ち左を貴び、兵を用ふるときは則(すなわ)ち右を貴ぶ。 兵は不祥の器、君子の器に非ず。 已(や)むを得ずして之を用ふるも、恬淡(てんたん)を上(じょう)と為す。 勝ちて美とせず。 而(しか)るに之を美とする者は、是れ人を殺すを楽しむなり。 夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以て志を天下に得る可(べ)からず。 吉事には左を貴び、凶事には右を貴ぶ。 偏将軍は左に處り、上将軍は右に處る。 喪礼を以てこれに處るを言ふ。 人を殺すことの衆(おお)きときは、悲哀を以て之に泣き、戦い勝ちては喪礼を以て之に處る。

                             

 優秀な武器というのは不吉なものです。 常に憎まれているものなのです。従って、道を修めた者は軍備に携わるようなところにはおりません。 君子は普通は左席の将軍を尊びますが戦時には右席の将軍を尊びます。 そもそも武器は不吉なものなのです。 君子が用いるものではありません。 やむを得ず使う場合でも必要最小限、あっさりとした使い方でなくてはなりません。 勝ってもそれを素晴らしいこととしてはなりません。 そのようなことになれば殺人が素晴らしいということになってしまいます。 人殺しを楽しむ様な者は天下を支配することはできません。 吉事には左将軍を尊び、凶事には右将軍を尊びます。 通常、軍事では副将軍が左席にいて正将軍は右席にいますが、これは葬礼の形式に習っているからです。 人を多く殺さなくてはならない悲哀を持ち、たとえ戦いに勝っても葬礼の様式に則っているからなのです。

                                

 かつて佐藤栄作総理がケネディ大統領にこの老子の一節を渡したと言われています。 必要最小限の武力は持たざるを得なくてもその使い方への戒めですね。 

                       

 坂城町長 山村ひろし

 

 

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12/01/13 20:13

老子の続き(第30章)

 この章は老子の戦争観です。 また、単なる武力に関する見方だけでなく、人生観にも通ずる所があります。

                  

 以道佐人主者、不以兵強天下。其事好還。師之所處、荊棘生焉。大軍之後、必有凶年。善者果而已。不敢以取強。果而勿矜。果而勿伐。果而勿驕。果而不得已。果而勿強。物壯則老、是謂不道、不道早已。

                           

 道を以(も)って人主(じんしゅ)を佐(たす)くる者は、兵を以って天下に強くせず。 其の事好く還る。 師の処(お)る所には、荊棘(けいきょく)生ず。 大軍の後には、必ず凶年(きょうねん)有り。 善なる者は果(くわ)なるのみ。 敢えて以って強(きょう)を取らず。果(くわ)にして矜(ほこ)る勿(なか)れ、果にして伐(ほこ)る勿れ、果にして驕(おご)る勿れ、果にして已(や)むを得ざれ、果にして強なる勿れ。 物壮(さかん)なれば則(すなは)ち老ゆ。  是を不道と謂う。 不道なれば早く已(や)む。

           

 道を心得て君主を補佐するものは決して武力をもって強圧的な統治は行いません。なぜならばそのようなことを行うとかえってそれが跳ね返って来るからです。 軍隊のいるところは耕地としての手入れが出来ないので荊(いばら)などの生えた荒れた土地となってしまいます。 大きな戦いの次の年は必ず凶年が訪れます。道を心得たものならば勝って成果をあげたのならそれで良しとします。 相手に対しそれ以上の強圧的な態度は取らず、尊大な態度も取らず、武力で脅かすこともせず、傲慢にもならず、やむを得ずそうなったと言うような態度を持ち、脅かすようなことはしないのです。 何事も激しくやりすぎてはいけません。人間でもあまりにも強壮がすぎれば早く衰えてしまいます。このような行いを不道と言い道に逆らう行いです。不道の行いを続けていればたちまちに滅亡をむかえることになります。

                     

 これは、用兵の極致でもありますし、「強壮」「強引」への批判でもあります。「不道なれば早く已(や)む。」、道のありようから外れてしまうといずれ滅びてしまうということですね。

              

 坂城町長 山村ひろし

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12/01/08 20:16

老子の続き(第29章)

 老子の中で政治的な発言として大変興味ある章です。 天下を取る、政権を取る、社長のポストを取るなどと我利我利になればますます天下は遠のく。 ここでも無為自然でなければならぬと説いています。 今年も国内外とも大きな国政選挙が予定されています。 老子先生はどのようにご覧になるか。

       

  將欲取天下而爲之、吾見不得已。天下神器、不可爲也。爲者敗之、執者失之。故物或行或隨、或呴或吹。或強或羸、或載或隳。是以聖人、去甚、去奢、去泰。

                

 天下を取りて之を為(をさ)めんと将欲するは、吾れ其の得ざるを見るのみ。 天下は神器、為(をさ)む可(べ)からずざるなり。  為(をさ)むる者は之を敗(やぶ)り、執(と)る者はこれを失う。 故に物或(あるひ)は行き或(あるひ)随(したが)ふ。 或(あるひ)は呴(く)し或は吹く。 或いは強め或いは羸(よわ)む。 或いは載(の)せ或ひは隳(おと)す。 是(ここ)を以(も)って聖人は、甚(はなは)だしきを去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。

             

 天下をとってこれを我がものにしようとする者には決して天下は取れません。 なぜなら天下はまるで神器のように不可思議なもので容易に治めるようなことは出来ないのです。 人為的に治めようとすればうまくいかず全てを失ってしまいます。物事にはいろいろあります。 先に行く人があれば後から行く人があり、強く吹きかける人もあればそっと吹く人もあり、強める人があれば弱める人もおり載せる人があれば落とす人もあります。 従って、聖人は極端に偏ったことをせず、驕り高ぶらず、ごくごく自然のままに過ごしていくのです。

          

 とにかく作為的な政治が横行していますね。本質論を議論し、自然体で有りたいものです。

           

 坂城町長 山村ひろし

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12/01/05 04:50

老子の続き(第28章)

 この章にはよく「反朴」というタイトルが付けられますが、これは「朴(あらき)に反(もどる)」という意味で、物事の大原則に戻る、本質を見抜くことが求められます。

 

 知其雄、守其雌、爲天下谿。爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。知其白、守其黒、爲天下式。爲天下式、常徳不忒、復歸於無極。知其榮、守其辱、爲天下谷。爲天下谷、常徳乃足、復歸於朴。朴散則爲器。聖人用之、則爲官長。故大制不割。

 

 其の雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(たに)と為(な)る。 天下の谿と為れば、常徳離れず、嬰兒(えいじ)に復帰す。 其の白(しろ)き知りて、その黒(くろ)きを守れば、天下の式(しき)と為る。 天下の式と為れば、常徳は忒(あらた)まらずして、無極に復帰す。 その栄(えい)を知りて、その辱(じょく)を守れば、天下の谷と為る。 天下の谷と為れば、常徳乃(すなわ)ち足りて、朴(ぼく)に復帰す。 朴散(さん)ずれば則(すなわ)ち器(き)となる。 聖人はこれを用(もち)ふれば、則ち官長(くぁんちょう)と為る。 故(ゆえ)に大制(たいせい)は割(さ)かざるなり。

 

 雄のように力強さを知っていて雌のような優しさを常に持ち続けていれば世の中の全ての者が集まってくるような天下の谷と言われるような人になることが出来ます。  天下の谷となるような状態になれるとすればそれは完全に徳を身につけた状態で、あたかも純真な幼児のような状態に戻ることです。 華やかな明るい世界を知りながら、一方、暗い漆黒の世界もわきまえ、人々に慕われるような模範となります。 世の中の模範ともなれば徳が完全に身に備わり無限に変わらない本来の無為自然の状態に戻ることが出来ます。 輝かしい栄光を知りながら自らはあたかも惨めな者の心もちを保てば世の中の人々が集う天下の谷の様な状態になります。 天下の谷ともなれば徳が常に身に備わり朴(あらき)のような素朴な心もちに戻ることができます。 この朴は細かく切っていろいろな器を作るのですが、人に例えれば聖人はこの器を用いて官長などのいわゆる官職を任命するのです。 従って、本当に優れた人を登用するのであればあまり切り刻んだりしないで、朴(あらき)の状態で育てたいものです。
 
 
 この章も老子の本質を語るうえで欠かせない部分です。 「朴」の心持を大切にして物事を見つめなおすことができれば二元論に陥ることなく、物事の両面を受け入れることができるのではないでしょうか。
 
 
 坂城町長 山村ひろし

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